初等科國語 六/胡同風景
胡同風景
[編集]
どこの家も、高い
一見、何の曲もないやうなこの胡同ではあるが、ここに住んでゐる子どもたちにとつては、かけがへのない樂しい遊び場所であり、大きくなつてからのなつかしい思ひ出となる天地である。
冬は冬で、風當りの少ない胡同の廣場に、子どもたちがたむろして、日だまりを樂しみ、夏は夏で、ひんやりとした土塀の日かげを選んで、風の通り道で遊んでゐる。
遊ぶといつても、別におもちやや繪本などを持つて、遊ぶわけではない。その邊を走つたり、地べたに
物音には、いろいろなものがある。まづ、物賣りが鳴らして來る鳴り物の音がおもしろい。
床屋が通る。客の腰掛ける
糸屋が來る。荷車を引きながら、ゆつくり歩いて來る。でんでんだいこのやうな、ブリキのつづみを鳴らしてやつて來る。「チャカチャン、チャカチャン。」と、輕やかな、はずむやうな音をたてる。すると、どこからともなく女の人たちが集つて來て、糸屋さんを取り巻く。黄色や、紅白の糸たばがくりひろげられて、しばらくは話がにぎやかに續く。
いかけ屋が來る。これも、いろいろな道具を入れた荷をかついでゐる。前の荷の上に、小さなどらをぶらさげておき、その兩側に
どらにも大小さまざまがあつて、音色も違ふし、同じ大きさのどらでも、その打ち方によつて音が違ふ。「あの音は、おもちや屋さんだ。」「今のはあめ屋さんだ。」と、それぞれすぐわかる。
その中で、いちばんさわがしくて、大きな音をたてるのは、猿まはしのどらであらう。「ジャン、ジャン、ジャン。」と、激しくたたいておいて、手のひらで、どらを急に押さへるので、「ジャン、ジャン、ジャッ。」といふやうに聞える。これを聞きつけて、子どもが大勢集る。まるく輪になつたその中で、猿がさまざまな
子どもの見ものでは、このほかに影繪がある。日暮れ時の胡同の廣場などに、影繪の
鳴り物を使はないで、呼び聲でやつて來る者もゐる。
まんぢゆう屋がさうだ。朝早く大きな聲で叫びながら、ふれ歩いて來る。やつと目がさめたころ、遠いところを通るその聲を聞くのは、夢(ゆめ)の中の聲のやうに思はれる。
春は、苗賣りがやつて來る。
夏は、金魚賣りがやつて來る。「さあさあ、金魚をお買ひなさい。大きな金魚に、小さな金魚。」こんなことをいつて通る。
アイスクリーム賣りがやつて來る。「おいしい、おいしいアイスクリーム。にほひも砂糖もおほまけだ。」と歌ふ。
秋には、なつめ賣りもやつて來る。ぶだう賣りもやつて來る。
たとへ鳴りものであらうと、呼び聲であらうと、管のやうな胡同には、それがふしぎなほどよく響き渡る。
このやうに、いろいろな物音が響くが、何といつてもいちばん耳に親しいものは、水を運ぶ一輪車の音であらう。水に
夜の胡同は眞暗なので、それこそ鼻をつままれてもわからないほどである。それだけに、空が美しい。月が出てゐれば、出てゐたで美しく、星の夜であれば、また更に美しい。靑みがかつた明かるい夜空に、
胡同に面した家々の門には、
正月には、門の戸びらに、眞赤な紙にめでたい文字を書いた春聯が張りつけられる。子どもたちは、その新鮮なかざりに正月氣分を味はふ。
春になると、
大通を、
あひるが、「があがあ。」とさわいで行く。
花嫁行列のラッパの音が、どこかで響く。子どもたちは、またそちらの方へ走つて行く。
胡同は、子どもたちを育ててくれる母のふところのやうなものである。子どもたちは、この自然の美しさにひたり、人情の温かさを吸つて、おほらかにのびて行く。