作者:新渡戸稲造
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←作者索引: に | 新渡戸稲造 (1862年(文久2年) - 1933年(昭和8年)) |
新渡戸 稲造(にとべ いなぞう)は、日本の教育者・思想家。幼名は稲之助。1871年盛岡から上京、叔父の太田時敏の養子となり、英語学校で英語を学んだ。1877年、札幌農学校(現北海道大学)に二期生として入学。ウィリアム・クラーク博士が残していった「イエスを信ずるものの誓約」に署名し、後日洗礼を受けた。1884年、米国に私費留学し、ジョンズ・ホプキンス大学に入学。クエーカー派の集会に通い始め、正式に会員となった。その後札幌農学校助教授に任命され、大学を中途退学して、官費でドイツへ留学。1891年に帰国し、教授として札幌農学校に赴任。1901年、台湾総督府民政部殖産局長心得に就任。1906年、第一高等学校校長となる。1911-1912年に渡米、帰国後、東京植民貿易語学校校長、拓殖大学学監、東京女子大学学長などを歴任。1920年、国際連盟設立に際して、事務次長の一人に選ばれた。英文で書かれた著書の『武士道』は長年読み継がれ、21世紀に入っても解題書が出版され続けている。— ウィキペディア日本語版「新渡戸稲造」より。 |
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