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  • ある。「十一月」は「十月」の誤なること明である。 「廿二日。半陰。尻沢村出張之御人数大野村(五里)迄進発。」一戸の記に拠れば、武揚は「人見勝太郎、本多幸七郎の両人に命じ、(中略)五稜廓に」向はしめた。「二人命を聞いて茅部嶺を越え、大野まで至」ると、「津軽の兵二百人人見勝太郎等の大野村に在るを聞いて夜襲」した。福山藩兵の進発は此時の事か。…
    1.54メガバイト (342,889 語) - 2024年3月25日 (月) 01:52
  • 、物具の仕度は、珍しからず候抔と、悪口まじりの御返事に及びけり。又、兌長老へは、直江返報あり。其状に曰く、 一、今朔日の尊書、昨十三日に著、具に拝見多幸々々。 当国の儀、於其許種々雑説申すに付、御所様、御不審の由、尤無㆓余儀㆒候。併し京・伏見の内に於てさへ、色々無㆓心得㆒雑説無㆓止時㆒候。況哉、遠国…
    3キロバイト (116,548 語) - 2024年2月3日 (土) 18:43