小さな王国
小さな王国
貝島昌吉がG県のM市の小学校へ転任したのは、今から二年ばかり前、ちやうど彼が三十六歳の時である。彼は純粋の江戸つ児で、生れは浅草の聖天町であるが、旧幕時代の漢学者であつた父の遺伝を受けたものか、幼い頃から学問が好きであつた為めに、とう〳〵一生を過つてしまつた。―――と、今ではさう思つてあきらめて居る。実際、なんぼ彼が世渡りの拙い男でも、学問で身を立てようなどゝしなかつたら、―――何処かの商店へ丁稚奉公に行つてせつせと働きでもして居たら、―――今頃は一とかどの商人になつて居られたかも知れない。少くとも自分の一家を支へて、安楽に暮らして行くだけの事は出来たに違ひない。もと〳〵、中学校へも上げて貰ふことが出来ないやうな貧しい家庭に育ちながら、学者にならうとしたのが大きな間違ひであつた。高等小学を卒業した時に、父親が奉公の口を捜して小僧になれと云つたのを、彼は飽く迄反対してお茶の水の尋常師範学校へ這入つた。さうして、二十の歳に卒業すると、直ぐに浅草区のC小学校の先生になつた。その時の月給はたしか十八円であつた。当時の彼の考では、勿論いつまでも小学校の教師で甘んずる積りはなく、一方に自活の道を講じつゝ、一方では大いに独学で勉強しようと云ふ気であつた。彼が大好きな歴史学、―――日本支那の東洋史を研究して、行く末は文学博士になつてやらうと云ふくらゐな抱負を持つて居た。ところが貝島が二十四の歳に父が亡くなつて、その後間もなく妻を娶つてから、だん〳〵以前の抱負や意気込みが消磨してしまつた。彼は第一に女房が可愛くてたまらなかつた。その時まで学問に夢中になつて、女の事なぞ振り向きもしなかつた彼は、新世帯の嬉しさがしみ〴〵と感ぜられて来るに従ひ、多くの平凡人と同じやうに知らず識らず小成に安んずるやうになつた。そのうちには子供が生れる、月給も少しは殖えて来る、と云ふやうな訳で、彼はいつしか立身出世の志を全く失つたのである。
総領の娘が生れたのは、彼がC小学校から下谷区のH小学校へ転じた折で、その時の月給は二十円であつた。それから日本橋区のS小学校、赤坂区のT小学校と市内の各所へ転勤して教鞭を執つて居た十五年の間に、彼の地位も追ひ〳〵に高まつて、月俸四十五円の訓導と云ふところまで漕ぎつけた。が、彼の収入よりも、彼の一家の生活費の方が遥かに急激な速力を以て増加する為めに、年々彼の貧窮の度合は甚しくなる一方であつた。総領の娘が生れた翌々年に今度は長男の子が生れる。次から次へと都合六人の男や女の子が生れて、教師になつてから十七年目に、一家を挙げてG県へ引き移る時分には、恰も七人目の赤ん坊が細君の腹の中にあつた。
東京に生ひ立つて、半生を東京に過して来た彼が、突然G県へ引き移つたのは、大都会の生活難の圧迫に堪へ切れなくなつたからである。東京で彼が最後に勤めて居た所は、麹町区のF小学校であつた。其処は宮城の西の方の、華族の邸や高位高官の住宅の多い山の手の一廓にあつて、彼が教へて居る生徒たちは、大概中流以上に育つた上品な子供ばかりであつた。その子供たちの間に交つて、同じ小学校に通つて居る自分の娘や息子たちの、見すぼらしい、哀れな姿を見るのが彼には可なり辛かつた。自分たち夫婦はどんなに尾羽打ち枯らしても、せめて子供には小ざつぱりとしたなりをさせてやりたかつた。何処其処のお嬢さんが着て居るやうな洋服が買つて欲しい。あのリボンが欲しい。あの靴が欲しい。夏になれば避暑に行きたい。さう云つて子供にせがまれると、
M市は、東京から北の方へ三十里ほど離れた、生糸の生産地として名高い、人口四五万ばかりの小さな都会であつた。広い〳〵関東の野が中央山脈の裾に打つかつて、次第に狭く縮まらうとして居るあたりの、平原の一端に位して居る町で、市街を取り巻く四方の郊外には見渡すかぎりの一面の桑畑があつた。空の青々と晴れた日には、I温泉で有名なHの山や、その山容の雄大と荘厳とで名を知られたAの山などが、打ち続く家並の甍の彼方に聳えて居るのが、往来の何処からでも眺められた。町の中にはT河の水を導いた堀割が、青く涼しく、さら〳〵と流れて居て、I温泉へ聯絡する電車の走つて居る大通りの景色は、田舎のわりには明るく賑やかで、何となく情趣に富んで居た。貝島が敗残の一家を率ゐて、始めて其処へ移り住んだのは、或る年の五月の上旬で、その町を
彼が教職に就いたD小学校は、M市の北の町はづれにあつて、運動場の後ろの方には例の桑畑が波打つて居た。彼は日々、教室の窓から晴れやかな田園の景色を望み、遠く、紫色に霞んで居るA山の山の襞に見惚れながら、伸び〳〵とした心持で生徒たちを教へて居た。赴任した年に受け持つたのが男子部の尋常三年級で、それが四年級になり、五年級に進むまで、足かけ三年の間、彼はずつと其の級を担当して居た。麹町区のF小学校に見るやうな、キチンとした身なりの上品な子供は居なかつたけれど、さすがに県庁のある都会だけに、満更の片田舎とは違つて、相当に物持ちの子弟も居れば頭脳の優れた少年もないではなかつた。中には又、東京の生徒に輪をかけて狡猾な、始末に負へない腕白なものも交つて居た。
土地の機業家でG銀行の重役をして居る鈴木某の息子と、S水力電気株式会社の社長の中村某の息子と、此の二人が級中での秀才で、貝島が受け持つて居る三年間に、首席はいつも二人の内の孰れかゞ占めて居た。腕白な方ではK町の
貝島がM市へ来てからちやうど二年目の春の話である。D小学校の四月の学期の変りめから、彼の受け持つて居る尋常五年級へ、新しく入学した一人の生徒があつた。顔の四角な、色の黒い、恐ろしく大きな巾着頭のところ〴〵に白雲の出来て居る、憂鬱な眼つきをした、づんぐりと肩の円い太つた少年で、名前を沼倉庄吉と云つた。何でも近頃M市の一廓に建てられた製糸工場へ、東京から流れ込んで来たらしい職工の忰で、裕福な家の子でない事は、卑しい顔だちや垢じみた服装に拠つても明かであつた。貝島は始めて其の子を引見した時に、此れはきつと成績のよくない、風儀の悪い子供だらうと、直覚的に感じたが、教場へつれて来て試して見ると、それ程学力も劣等ではないらしく、性質も思ひの外温順で、むしろ無口なむつゝりとした落ち着いた少年であつた。
すると、或る日のことである。昼の休みに運動場をぶらつきながら、生徒たちの余念もなく遊んで居る様子を眺めて居た貝島は、―――此れは貝島の癖であつて、子供の性能や品行などを観察するには、教場よりも運動場に於ける彼等の言動に注意すべきであると云ふのが、平素の彼の持論であつた。―――今しも彼の受持ちの生徒等が、二た組に分れて戦争ごつこをして居るのを発見した。其れだけならば別に不思議でも何でもないが、その二た組の分れ方がいかにも奇妙なのである。全級で五十人ばかりの子供があるのに、甲の組は四十人ほどの人数から成り立ち、乙の組には僅かに十人ばかりしか附いてゐない。さうして甲組の大将は例の生薬屋の忰の西村であつて、二人の子供を馬にさせて、其の上へ跨りながら、頻りに味方の軍勢を指揮して居る。乙の組の大将はと見ると、意外にも新入生の沼倉庄吉である。此れも同じく馬に跨つて、平生の無口に似合はず、眼を
「よし、さあもう一遍戦をしよう。今度は己の方は七人でいゝや。七人ありや沢山だ」
こんな事を云つて、沼倉は味方の内から三人の勇士を敵に与へて、再び合戦を試みたが、相変らず西村組は散々に敗北する。三度目には七人を五人にまで減らした。それでも沼倉組は盛んに悪戦苦闘して、結局勝を制してしまつた。
その日から貝島は、沼倉と云ふ少年に特別の注意を払ふやうになつた。けれども教場に居る時は別段普通の少年と変りがない。読本を読ませて見ても、算術をやらせて見ても、常に相当の出来栄えである。宿題なども怠けずに答案を拵へて来る。さうして始終黙々と机に
或る日の朝、修身の授業時間に、貝島が二宮尊徳の講話を聞かせたことがあつた。いつも教壇に立つ時の彼は、極く打ち解けた、慈愛に富んだ態度を示して、やさしい声で生徒に話しかけるのであるが、修身の時間に限つて特別に厳格にすると云ふ風であつた。おまけにその時は、午前の第一時間でもあり、うらゝかな朝の日光が教室の窓ガラスからさし込んで、部屋の空気がしーんと澄み渡つて居るせゐか、生徒の気分も爽やかに引き締まつて居るやうであつた。
「今日は二宮尊徳先生のお話をしますから、みんな静粛にして聞かなければいけません」
かう貝島が云ひ渡して、厳かな調子で語り始めた時、生徒たちは水を打つたやうに静かにして、じつと耳を
「―――そこで二宮先生は何と云はれたか、どうすれば一旦傾きかけた服部の家運を挽回することが出来ると云はれたか、先生が服部の一族に向つて申し渡された訓戒と云ふのは、つまり節倹の二字でありました。―――」
貝島も不断よりは力の籠つた弁舌で、流暢に語り続けて居ると、その時までひつそりとして居た教場の隅の方で、誰かゞひそ〳〵と無駄話をして居るのが、微かに貝島の耳に
「誰だ
と、とう〳〵彼は我慢がし切れなくなつて、かう云ひながら籐の鞭でびしツと机の板を叩いた。
「沼倉! お前だらう
「いゝえ、僕ではありません。………」
沼倉は臆する色もなく立ち上つて、かう答へながらずつと自分の周囲を見廻した後、
「先から話をして居たのは此の人です」
と、いきなり自分の左隣に腰かけて居る野田と云ふ少年を指さした。
「いゝや、先生はお前のしやべつて居る所をちやんと見て居たのです。お前は野田と話をして居たのではない。お前の右に居る鶴崎と二人でしやべつて居たのだ。なぜさう云ふ譃をつくのですか」
貝島は
「先生沼倉さんではありません。僕が話をして居たのです」
と、声をふるはせて云つた。多勢の生徒は嘲けるやうな眼つきをして一度に野田の方を振り返つた。
それが貝島にはいよ〳〵腹立たしかつた。野田はめつたに教場の中で無駄口をきくやうな子供ではない。彼は大方、此の頃級中の餓鬼大将として威張つて居る沼倉から、不意に無実の罪を着せられて、拠ん所なく身代りに立つたのだらう。若しも罪を背負はなかつたら、後で必ず沼倉にいぢめられるのだらう。さうだとすれば沼倉は尚更憎むべき少年である。十分に彼を詰問して、懲らしめた上でなければ、此のまゝ赦す訳には行かない。
「先生は今、沼倉に尋ねて居るのです。外の者はみんな黙つておいでなさい」
貝島はもう一遍びしりツと鞭をはたいた。
「沼倉、お前はなぜさう云ふ譃をつくのです。先生はたしかにお前のしやべつて居る所を見たから云ふのです。自分が悪いと思つたら、正直に白状して、自分の罪をあやまりさへすれば、先生は決して深く叱言を云ふのではありません。それだのにお前は、譃をつくばかりか、却つて自分の罪を他人になすり付けようとする。さう云ふ行ひは何よりも一番悪い。さう云ふ性質を改めないと、お前は大きくなつてからロクな人間にはならないぞ」
さう云はれても、沼倉はビクともせずに、例の沈鬱な瞳を据ゑて、上眼づかひに貝島の顔をじろ〳〵と睨み返して居る。その表情には、多くの不良少年に見るやうな、意地の悪い、胆の太い、獰猛な相が浮かんで居た。
「なぜお前は黙つて居るのか。先生の今云つたことが分らないのか」
貝島は、机の上に開いて置いた修身の読本を伏せて、つか〳〵と沼倉の机の前にやつて来た。さうして、飽く迄も彼を糺明するらしい気勢を示しながら、場合に依つては体罰をも加へかねないかのやうに、両手で籐の鞭をグツと
「どうしたのだ沼倉、なぜ黙つて居る? 先生が此れほど云ふのに、なぜ強情を張つて居る?」
貝島の手に満を引いて居る鞭が、あはや沼倉の頰ツぺたへ飛ばうとする途端に、
「僕は強情を張るのではありません」
と、彼は濃い眉毛を一層曇らせて、低くかすれた、同時にいかにも度胸の据わつたしぶとい声で云つた。
「話をしたのはほんたうに野田さんなのです。僕は譃を云ふのではありません」
「よし! 此方へ来い!」
貝島は彼の肩先をムヅと鷲摑みにして荒々しく引き立てながら、容易ならぬ気色で云つた。
「此方へ来て、先生がいゝと云ふまで其の教壇の下で立つて居なさい。お前が自分の罪を後悔しさへすれば、先生はいつでも赦して上げる。しかし強情を張つて居れば日が暮れても赦しはしないぞ」
「先生、………」
と、その時野田が又立ち上つて云つた。沼倉は横目を使つて、素早く野田に一瞥をくれたやうであつた。
「ほんたうに沼倉さんではありません。沼倉さんの代りに僕を立たせて下さい」
「いや、お前を立たせる必要はない。お前には後でゆつくり云つて聞かせます」
かう云つて貝島は、遮二無二沼倉を引立てようとすると、今度はまた別の生徒が、
「先生」
と云つて立ち上つた。見るといたづら小僧の西村であつた。その少年の顔には、平生の腕白らしい、鼻つたらしのやんちやんらしい表情が跡かたもなく消えて、十一二の子供とは思はれないほど真面目くさつた、主君の為めに身命を投げ出した家来のやうな、犯し難い勇気と覚悟とが閃めいて居るのであつた。
「いや、先生は罪のない者を罰する訳には行きません。沼倉が悪いから沼倉を罰するのです。叱られもしない者が余計なことを云はぬがいゝ!」
貝島はかあツとなつた。どうして皆が沼倉の罪を庇ふのだか分らなかつた。それほど沼倉は、常に彼等を迫害したり威嚇したりして居るのだとすれば、ます〳〵以て怪しからん事だと思つた。
「さあ! 早く立たんか早く! 此方へ来いと云ふのになぜ貴様は動かんのだ!」
「先生」
と、又一人立ち上つたものがあつた。
「先生、沼倉さんを立たせるなら僕も一緒に立たして下さい」
かう云つたのは、驚いた事には級長を勤めて居る秀才の中村であつた。
「何ですと?」
貝島は覚えず呆然として、摑んで居る沼倉の肩を放した。
「先生、僕も一緒に立たせて下さい」
つゞいて五六人の生徒がどや〳〵と席を離れた。その尾について、次から次へと殆ど全級残らずの生徒が、異口同音に「僕も〳〵」と云ひながら貝島の左右へ集つて来た。彼等の態度には、少しも教師を困らせようとする悪意があるのではないらしく、悉く西村と同じやうに、自分が犠牲となつて沼倉を救はうとする決心が溢れて見えた。
「よし、それなら皆立たせてやる!」
貝島は癇癪と狼狽の余り、もう少しで前後の分別もなく斯う怒号するところであつた。若しも彼が年の若い、教師としての経験の浅い男だつたら、きつとさうしたに違ひないほど、彼は神経を苛立たせた。が、そこはさすがに老練を以て聞えて居るだけに、まさか尋常五年生の子供を相手にムキにならうとはしなかつた。それよりも彼は、沼倉と云ふ一少年が持つて居る不思議な威力に就いて、内心に深い驚愕の情を禁じ得なかつたのである。
「沼倉が悪いことをしたから、先生はそれを罰しようとして居るのに、どうしてそんなことを云ふのですか。一体お前たちはみんな考が間違つて居るのです」
貝島はさも〳〵当惑したやうに斯う云つて、仕方なく沼倉を懲罰するのを止めてしまつた。
その日は一同へ叱言を云つて済ませたやうなものゝ、以来貝島の頭には、沼倉の事が一つの研究材料として始終想ひ出されて居た。小学校の尋常五年生と云へば、十一二歳の
全級の生徒を
「沼倉ツて云ふ子は悪い子供ぢやないんだよ、お父さん」
啓太郎は父に尋ねられると、暫くモヂモヂして、それを云つていゝか悪いかと迷ひながら、ポツリポツリと答へるのであつた。
「さうかね、ほんたうにさうかね、お前の
すると啓太郎は下のやうな弁解をした。―――あれは成る程悪い行ひには違ひない。けれども沼倉は格別人を陥れようなどゝ云ふ深い企みがあつたのではなく、実は自分の部下の者(即ち全体の生徒)が、どれほど自分に心服して居るか、どれ程自分に忠実であるかを試験する為めに、わざとあんな真似をやつたのである。あの日のあの事件の結果として、沼倉は、級中の総べての少年が一人残らず彼の為めに甘んじて犠牲にならうとしたこと、さうしてさすがの先生も手の出しやうがなかつた事を、十分にたしかめ得たのである。当時彼の指名に応じて、第一に潔く罪を引き受けようとした野田や、野田の次に名乗つて出た西村や中村や、此の三人は中でも忠義第一の者として、後に沼倉から其の殊勲を表彰された。―――啓太郎の話す意味を補つて見ると、大体かう云ふ事情であるらしかつた。で、沼倉が如何にして、いつ頃から其れ程の権力を振ふやうになつたかと云ふと、―――啓太郎の頭では其の原因をハツキリと説明する事は出来なかつたけれども、―――要するに彼は勇気と、寛大と、義俠心とに富んだ少年であつて、それが次第に彼をして級中の覇者たる位置に就かしめたものらしい。単に腕力から云へば、彼は必ずしも級中第一の強者ではない。相撲を取らせれば却つて西村の方が勝つくらゐである。ところが沼倉は西村のやうに弱い者いぢめをしないから、二人が喧嘩をするとなれば、大概の者は沼倉に味方をする。それに相撲では弱いにも拘はらず、喧嘩となると沼倉は馬鹿に強くなる。腕力以外の、凛然とした意気と威厳とが、全身に充ちて来て、相手の胆力を一と吞みに吞んでしまふ。彼が入学した当座は、暫く西村との間に争覇戦が行はれたが、直きに西村は降参しなければならなくなつた。「ならなくなつた」どころではない、今では西村は喜んで彼の部下となつて居る。実際沼倉は、「己は太閤秀吉になるんだ」と云つて居るだけに、何となく度量の弘い、人なつかしい所があつて、最初に彼を敵視した者でも、しまひには
以上の話を、忰の啓太郎から委しく聞き取つた貝島は、一層沼倉に対して興味を抱かずには居られなかつた。啓太郎の言葉が偽りでないとすれば、たしかに沼倉は不良少年ではない。餓鬼大将としても頗る殊勝な
「先生がお前を呼んだのは、お前を叱る為めではない。先生は大いにお前に感心して居る。お前にはなか〳〵大人も及ばないえらい所がある。全級の生徒に自分の云ひ付けをよく守らせると云ふ事は、先生でさへ容易に出来ない仕業だのに、お前は其れをちやんとやつて見せて居る。お前に比べると、先生などは却つて耻かしい次第だ」
人の好い貝島は、実際腹の底から斯う感じたのであつた。自分は二十年も学校の教師を勤めて居ながら、一級の生徒を自由に治めて行くだけの徳望と技倆とに於て、此の幼い一少年に及ばないのである。自分ばかりか、総べての小学校の教員のうちで、よく餓鬼大将の沼倉以上に、生徒を感化し心服させ得る者があるだらうか。われ〳〵「学校の先生」たちは大きななりをして居ながら、沼倉の事を考へると
「そこで先生は、お前が此の後もます〳〵今のやうな心がけで、生徒のうちに悪い行ひをする者があれば懲らしめてやり、善い行ひをする者には加勢をして励ましてやり、全級が一致してみんな立派な人間になるやうに、みんなお行儀がよくなるやうに導いて貰ひたい。此れは先生がお前に頼むのだ。とかく餓鬼大将と云ふ者は乱暴を働いたり、悪い事を教へたりして困るものだが、お前がさうしてみんなの為めを計つてくれゝば先生もどんなに助かるか分らない。どうだね沼倉、先生の云つたことを承知したかね」
意外の言葉を聴かされた少年は、腑に落ちないやうな顔をして、優和な微笑をうかべて居る先生の口元を仰いで居たが、暫く立つてから、やう〳〵貝島の精神を汲み取る事が出来たと見えて、
「先生、分りました。きつと先生の仰つしやる通りにいたします」
と、いかにも嬉しさうに、得意の色を包みかねてニコニコしながら云つた。
貝島にしても満更得意でないことはなかつた。自分はさすがに、児童の心理を応用する道を知つて居る。一つ間違へば手に負へなくなる沼倉のやうな少年を、自分は巧みに善導した。やつぱり自分は小学校の教師として何処か老練なところがある。さう思ふと彼は愉快であつた。
明くる日の朝、学校へ出て行つた貝島は、自分の沼倉操縦策が予期以上に成功しつゝある確證を握つて、更に胸中の得意さを倍加させられた。なぜかと云ふのに、その日から彼が受持ちの教室の風規は、気味の悪いほど改まつて、先生の注意を待つ迄もなく、授業中に一人として騒々しい声を出す者がない。生徒はまるで死んだやうに静かになつて、
「いや、皆さんはどうして此の頃こんなにお行儀がよくなつたのでせう。あんまり皆さんが大人しいので、先生はすつかり感心してしまひました。感心どころか胆を潰してしまひました」
或る日貝島は、殊更に眼を円くして驚いて見せた。「今に先生から褒められるだらう」と、内々待ち構へて居た子供等は、貝島のおつたまげたやうな言葉を聞かされると、一度に嬉し紛れの声を挙げて笑つた。
「皆さんがそんなにお行儀がいゝと、先生も実に鼻が高い。尋常五年級の生徒は学校中で一番大人しいと云つて、此の頃は外の先生たちまでみんな感心しておいでになる。どうしてあんなに静粛なんだらう、あの級の生徒は、学校中のお手本だと云つて、校長先生までが頻りに褒めておいでになる。だから皆さんもその積りで、一時の事でなく、此れがいつ迄も続くやうに、さうして折角の名誉を落さないやうにしなければいけません。先生をビツクリさせて置いて、三日坊主にならないやうに頼みますよ」
子供たちは、再び嬉しさのあまりどつと笑つた。しかし沼倉は貝島と眼を見合はせてニヤリとしたゞけであつた。
七人目の子を生んでから、急に体が弱くなつて時々枕に就いて居た貝島の妻が、いよ〳〵肺結核と云ふ診断を受けたのは、ちやうどその年の夏であつた。M市へ引き移つてから生活が楽になつたと思つたのは、最初の一二年の間で、末の赤児は始終
「さう云へば東京を出る時に、あなた方がMへお引越しになるのは方角が悪い。家の中に病人が絶えないやうな事になりますツて、占ひ者がさう云つたぢやないか。だから私が何処か外にしようツて云つたのに、お前が迷信だとか何とか笑ふもんだから、御覧な、きつとかう云ふ事になるんぢやないか」
貝島が溜息をついて途方に暮れて居る傍で、何かと云ふと母親はこんな工合に愚痴をこぼした。細君はいつも聞えない振りをして、黙つて眼に一杯涙をためて居た。
六月の末の或る日であつた。学校の方に職員会議があつて、日の暮れ方に家へ戻つて来た貝島は、二三日前から熱を起して伏せつて居る細君の枕もとで、しく〳〵としやくり上げる子供の声を聞いた。
「あ、また誰かゞ叱られて泣いて居るな」
貝島は閾を跨ぐと同時に、直ぐさう気が付いて神経を痛めた。近頃は家庭の空気が何となくソワソワと落ち着かないで、老母や妻は始終子供に叱言を云つて居る。子供の方でも日に一銭の小遣ひすら貰へないのが、癇癪の種になつて、明け暮れ親を困らせてばかり居る。
「これ、おばあさんがあゝ云つていらつしやるのに、なぜお前はお答へをしないのです。お前はまさか、いくらお母さんがお
かう云ひながら、ごほん、ごほんと力のない咳をして居る細君の声を聞くと、貝島は思はずぎよつとして急いで病室の襖を明けた。其処には総領の啓太郎が、祖母と母親とに左右から問ひ詰められて、固くなつて控へて居るのであつた。
「啓太郎、お前は何を叱られて居るのです。お母さんはあの通り加減が悪くつて寝て居るのに、余計な心配をさせるのではありませんて、此の間もお父様が云つて聞かせたぢやないか。お前は兄さんの癖にどうしてさう分らないのだらう」
父親にかう云はれても、啓太郎は相変らず黙つて
「いゝえね、もう半月も前から私は何だか啓太郎の素振りが変だと思つて居たんだが、ほんたうにお前、飛んでもない人間になつたもんぢやないか」
老母も同じやうに眼の縁を湿らせながら、貝島の顔を見ると喉を詰まらせて云つた。
だん〳〵問ひ
「盗んだのでない者が、どうしてお金なんぞ持つて居るのだ。さあ其れを云へ! 云はないかツたら!」
祖母は斯う云つて、激昂の余り病み疲れた身を忘れて、今しも啓太郎を折檻しようとして居るのであつた。
貝島は、話を聞いて居るうちに、体中がぞうツとして水を浴びたやうな心地になつた。
「啓太郎や、お前はなぜ正直にほんたうの事を云はない? 盗んだのなら盗んだのだと、真直ぐに白状しなさい………お父さんは、お前にも余所の子供と同じやうに好きな物を買つてやりたいのだが、此の通り内には多勢の病人があるのだから、なか〳〵お前の事までも面倒を見て居る暇がない。其処はお前も辛いだらうけれど我慢をしてくれなければ困る。お父さんはお前がよもや、人の物を盗むやうな悪い子だとは思ひたくないのだが、人間には出来心と云ふ事もあるから、もと〳〵そんな料簡ではないにしろ、何かの弾みでさもしい根性を起さないとも限らない。若しさうだつたら今度一遍だけは堪忍して上げるから、正直なことを云ひなさい。さうして此れから、二度と再びさう云ふ真似はいたしませんと、よくおばあさんにお詫びをしなさい。よう啓太郎! なぜ黙つて居る?」
「………だつてお父さん、………だつて僕は、………人のお金なんか盗んだんぢやないんだつてば、………」
すると啓太郎は、かう云つて又しく〳〵と泣き始めた。
「お前はしかし、此の間の色鉛筆だの、お菓子だの、その扇子だのをみんな買つたんだつて云ふぢやないか。其のお金は一体何処から出たのだ。それを云はなければ分らないぢやないか。さういつ迄もお父さんは優しくしては居られないよ。強情を張ると、しまひには痛い目を見なければならないよ。いゝかね啓太郎!」
その時俄かに、啓太郎は声を挙げてわあツと泣き出した。何だか頻りに口を動かしてしやべつて居るやうだけれど、あまり泣きやうが激しい為めに暫く貝島には聴き取れなかつたが、結局、
「………お金と云つたつてほんたうのお金ぢやアないんだよう。にせのお
と泣きながらも極まりの悪さうな口調で、幾度も〳〵繰り返しては、言ひ訳をして居るのであつた。見ると、少年は懐から皺くちやになつた一枚の贋札を出して、それを翳しつゝ手の甲で頰つぺたの涙を擦つて居た。
父親は札を受け取つて膝の上にひろげて見た。其れは西洋紙の小さな切れへ、「百円」と云ふ四号活字を印刷した、子供欺しのおもちやに過ぎないもので、啓太郎の懐にはまだ四五枚も隠されて居る事が明かになつた。五十円だの、壱千円だの、中には壱万円だのと云ふのもあつて、金額が殖えるほど活字の型や紙幣の版が大きく出来て居る。さうして、紙幣の裏の角のところには、孰れも「沼倉」と云ふ認印が捺してあつた。
「此処に沼倉と云ふ判が捺してあるぢやないか。此のお札は沼倉が拵へて居るのかい?」
貝島は大凡そ事件の性質を推察して、ほつと胸を撫でおろしたものゝ、それでも未だに不審が晴れなかつた。
「うん、うん」
と、啓太郎は頤で頷いてます〳〵激しく泣き続けて居た。
とう〳〵其の晩、一と晩中かゝつて、啓太郎を宥め
啓太郎の談話から想像すると、貝島が我ながら老練な処置だと思つて己惚れて居た餓鬼大将操縦策は、半ば成功したにも拘らず、いつの間にか其の弊害も多くなつて居るらしかつた。
罰則の種類がだん〳〵殖えて来るに従つて、制裁の方法も複雑になり、探偵の人数も増すやうになつた。しまひには探偵以外に、いろ〳〵の役人が任命された。先生から指名された級長は
それから沼倉は勲章を制定した。玩具屋から買つて来た鉛の勲章へ、顧問官に命じてそれ〴〵尤もらしい称呼を附けさせて、功労のある部下に与へた。勲章係りと云ふ役が又一つ殖えた。すると或る日、副統領の西村が、誰かを大蔵大臣にさせて、お札を発行しようぢやないかと云ふ建議を出した。此の発案は、一も二もなく大統領の嘉納する所となつたのである。
洋酒屋の息子の内藤と云ふ少年が、早速大蔵大臣に任ぜられた。当分の間の彼の任務は、学校が引けると自分の家の二階に閉ぢ籠つて、二人の秘書官と一緒に、五十円以上十万円までの紙幣を印刷する事であつた。出来上つた紙幣は大統領の手許に送られて、「沼倉」の判を捺されてから、始めて効力を生ずるのである。総べての生徒は、役の高下に準じて大統領から俸給の配布を受けた。沼倉の月俸が五百万円、副統領が二百万円、大臣が百万円、―――従卒が一万円であつた。
かうしてめい〳〵に財産が出来ると、生徒たちは盛んに其の札を使用して、各自の所有品を売り買ひし始めた。沼倉の如きは財産の富有なのに任せて、自分の欲しいと思ふ物を、遠慮なく部下から買ひ取つた。そのうちでもいろ〳〵と贅沢な玩具を持つて居る子供たちは、度々大統領の徴発に会つて、いや〳〵ながら其れを手放さなければならなかつた。S水力電気会社の社長の息子の中村は、大正琴を二十万円で沼倉に売つた。有田のお坊ちやんは、此の間東京へ行つた時に父親から買つて貰つた空気銃を、五十万円で売れと云はれて、拠ん所なく譲つてしまつた。最初は其れが学校の運動場などでポツリポツリとはやつて居たのだが、果ては大袈裟になつて来て、毎日授業が済むと、公園の原つぱの上や、郊外の叢の中や、T町の有田の家などへ、多勢寄り集つて市を開くやうになつた。やがて沼倉は一つの法律を設けて、両親から小遣ひ銭を貰つた者は、総べて其の金を物品に換へて市場へ運ばなければいけないと云ふ命令を発した。さうして已むを得ない日用品を買ふ外には、大統領の発行にかゝる紙幣以外の金銭を、絶対に使用させない事に極めた。かうなると自然、家庭の豊かな子供たちはいつも売り方に廻つたが、買ひ取つた者は再びその物品を転売するので、次第に沼倉共和国の人民の富は、平均されて行つた。貧乏な家の子供でも、沼倉共和国の紙幣さへ持つて居れば、小遣ひには不自由しなかつた。始めは面白半分にやり出したやうなものゝ、さう云ふ結果になつて来たので、今ではみんなが大統領の善政(?)を謳歌して居る。
貝島が啓太郎から聞き取つた処を綜合すると、大略以上のやうな事柄が推量された。それで、子供たちが彼等の市場で売捌いて居る物品は非常に広い範囲に亙つて居るらしく、その晩啓太郎が列挙したゞけでも二十幾種に及んで居た。即ち左記の通りである。―――
此のやうに多種類の物品が網羅されて居て、彼等の欲しいと思ふものは、市場へ行けば殆ど用が足りるのであつた。
啓太郎は先生の息子だからと云ふので、沼倉から特別の庇護を受けて居る為めに、お札には常に不自由しなかつた。―――多分沼倉は、貝島の家庭の様子を知つて居て、啓太郎の窮乏を救つてやらうと云ふ義俠心もあつたらしい。―――彼はいつでも懐に百万円くらゐ、大臣と同じ程度の資産を有して居た。祖母に見咎められた色鉛筆だの餅菓子だの扇子だのゝ外にも、此れ迄にさま〴〵な物品を買ひ求めて居ると云ふ、しかし沼倉は、外の命令は兎に角として此の貨幣制度だけは、先生に見付かると叱られはせぬかと云ふ心配があつた。で、決して此のお札を先生の前で出してはならない、先生に知れないやうにお互に注意しようぢやないかと云ふ約束になつて居た。若しも
「何だ意気地なしが! そんなに泣く事はないぢやないか。沼倉がお前をいぢめたら今度はお父さんが沼倉を厳罰に処してやる。ほんたうにお前たちは飛んでもない事だ。たとひお前が何と云つてもお父様は明日みんなに叱言を云はずには置きません。お前が云付け口をしたんだと云はなけりやいゝぢやないか」
父親が叱り付けると、啓太郎は其の言葉を耳にも入れずに首を振りながら、
「さう云つたつて駄目なんだつてば、みんな僕を疑つて居て、今夜も探偵が
かう云つて、又してもわあツと泣き出してしまつた。
貝島は、暫くの間あつけに取られてぼんやりして居るばかりであつた。明日沼倉を呼び出して早速
その年の秋の末になつて、或る日多量の喀血をした貝島の妻は、それなり枕に就いて当分起きられさうもなかつた。老母の喘息も、時候が寒くなるにつれて悪くなる一方であつた。山国に近いせゐか、割合に乾燥して居るM市の空気は、二人の病気に殊更祟るやうであつた。六畳と八畳と四畳半との三間しかない家の一室に、二人は長々と床を並べて代る〴〵咳入つては痰を吐いて居た。
高等一年へ通つて居る長女の初子が、もう此の頃では一切台所の仕事をしなければならなかつた。暗いうちに起きて竈を焚きつけて、病人の枕許へ膳部を運んだり、兄弟たちの面倒を見てやつてから、彼女はひびとあかぎれだらけの手を拭つてやつと学校へ出かけて行く。さうして正午の休みには又帰つて来て、一としきり昼飯の支度をする。午後になれば洗濯もするし、赤ん坊のおしめの世話もしなければならない。それを見かねて、父親は勝手口へ来て水を汲んだり掃除を手伝つてやつたりした。
一家の不幸は今が絶頂と云ふのではなく、まだ〳〵此れからいくらでも悪くなりさうであつた。貝島は、ひよつとすると自分にも肺病が移つて居るのではないかと思つた。移るくらゐなら、自分ばかりか一家残らず肺病になつて、みんな一緒に死んでくれゝばいゝとも思つた。さう云へば近頃、啓太郎が時々寝汗を掻いて妙な咳をするらしいのも気になつて居た。
其れや此れやの苦労が溜つて居る為めか、貝島はよく教室で腹を立てゝは、生徒を叱り飛ばすやうになつた。ちよいとした事が気に触つて、変に神経がイライラして、体中の血がカツと頭へ逆上して来る。そんな時には、教授中でも何でも構はず表へ駈け出してしまひたくなる。つい此の間も、生徒の一人が例のお札を使つて居たのを見付け出して、
「先生がいつかもあれ程叱言を云つたのに、まだお前たちはこんな物を持つて居るのか!」
かう云つて怒鳴りつけた時、急に動悸がドキドキと鳴つて、眼が眩んで倒れさうであつた。生徒の方でも沼倉を始め一同が先生を馬鹿にし出して、わざと癇癪を起させるやうな、意地の悪い真似ばかりした。父親のお蔭で啓太郎までが、仲間外れにされたものか、近来は遊び友達もなくなつて、学校から帰ると終日狭苦しい家の中でごろ〳〵して居る。
十一月の末の或る日曜日の午後であつた。二三日前から熱が続いてゲツソリと衰弱して居る細君の床の中で、それでも側を放れずに抱かれて居る赤ん坊が、昼頃から頻りに鼻を鳴らして居たが、やがてだん〳〵ムヅカリ出して火のつくやうに泣き始めた。
「泣くんではないよ、ね、いゝ児だから泣くんではないよ。………ねんねんよう、ねんねんよう、………」
くたびれ切つた力のない調子で、折々思ひ出したやうに、かう繰り返して居る細君の言葉も、しまひには聞えなくなつて、たゞ凄じい泣き声ばかりがけたゝましく
次の間の八畳で机に向つて居た貝島は、その声がする度毎に障子や耳元がビリビリと鳴るのを感じた。さうして、腰の周りから背中の方へ物が被さつて来るやうな、ヂリヂリと足許から追ひ立てられるやうな、たまらない気持がするのを、じつと我慢して、机の傍を離れようともしなかつた。
「泣くなら泣くがいゝ、こんな時には泣き止むまで放つて置くより仕方がない」
父親も母親も祖母も、みんな申し合はせたやうにさうあきらめて居るらしかつた。
まだ二三日はある筈だと思つて居た
貝島は、この声に耳を傾けて居ると、悲しい気持を通り越して、苦も楽もないひろ〴〵とした所へ連れて行かれるやうな心地がした。泣くならウンと泣いてくれる方がいゝ。もつと泣けもつと泣けと、胸の奥で独語を云つた。かと思ふと次の瞬間には、ヂリヂリと神経が苛立つて、体が宙へ吊るし上るやうになつて、自分の存在が肩から上ばかりにしか感ぜられなかつた。そのうちに、彼はふいと机の傍を立ち上つて、もどかしさうに室内を往つたり来たりし始めた。
「さうだ、勘定が溜つて居るからと云つて、そんなに遠慮することはない。………
こんな考が浮かんだのをきつかけに、彼はいつ迄も頭の中で一つ事を繰り返しながら、同じ所をぐる〳〵と歩き廻つて居た。
日の暮れ方に、貝島はぶらりと表へ出て、K町の内藤洋酒店の方へ歩いて行く様子であつた。洋酒店の前へ来た時、店先に彳んで居た店員の一人が、叮嚀に頭を下げて挨拶をした。貝島はちよいと往来に立ち停つて、ニコリとして礼を返した。………帳場の後ろの、罐詰や西洋酒の壜がぎつしり列んで居る棚の隅に、ミルクの罐が二つ三つチラリと見えた。しかし貝島は、何気ない体で其処を通り過ぎてしまつた。
家の近所まで戻つて来ると、赤児はまだ泣いて居るらしく、ぎやあ〳〵と云ふ喉の破れたやうな声が、たそがれの町の上を五六間先まで響いて来た。貝島ははつとして又引き返して、今度は何処と云ふあてもなくふら〳〵と歩き出した。
M市の名物と云はれて居るA山の山颪が、もう直きに来る冬の知らせのやうに、ひゆう〳〵と寒い風を街道に吹き送つて居た。T河に沿うた公園の土手の蔭のところには、五六人の子供たちが夕闇の中にうづくまつて何をして遊んで居るのか頻りにこそ〳〵と囁き合つて居るらしかつた。
「いやだよ、いやだよ、内藤君。君やあズルイからいやだよ。もう三本きりツきやないんだから、一本百円なら売つてやらあ」
「高えなあ!」
「高えもんかい、ねえ沼倉さん」
「うん、内藤の方がよつぽどズルイや。売りたくないツて云つてるのに、無理に買はうとしやがつて、値切る奴があるもんか。買ふなら値切らずに買つてやれよ」
その声が聞えると、貝島は立ち停つて子供等の方を振り向いた。
「おい、お前たちは何をして居るんだね」
子供たちは一斉にばら〳〵と逃げようとしたが、貝島があまり側に立つて居るので、逃げる訳にも行かなかつた。「もう見付かつたら仕方がない。叱られたつて構ふもんか」―――さう云ふ覚悟が、沼倉の顔にはつきりと浮かんだ。
「どうだね、沼倉。一つ先生も仲間へ入れてくれないかね。お前たちの市場ではどんな物を売つて居るんだい。先生もお札を分けて貰つて一緒に遊ばうぢやないか」
かう云つた時の貝島の表情を覗き込むと、口もとではニヤニヤと笑つて居ながら、眼は気味悪く血走つて居た。子供たちは此れ迄に、こんな顔つきをした貝島先生を見た事がなかつた。
「さあ、一緒に遊ばうぢやないか。お前たちは何も遠慮するには及ばないよ。先生は今日から、此処に居る沼倉さんの家来になるんだ。みんなと同じやうに沼倉さんの手下になつたんだ。ね、だからもう遠慮しないだつていゝさ」
沼倉はぎよつとして二三歩後へタヂタヂと下つたけれど、直ぐに思ひ返して貝島の前へ進み出た。さうして、いかにも部下の少年に対するやうな、傲然たる餓鬼大将の威厳を保ちつゝ、
「先生、ほんたうですか。それぢや先生にも財産を分けて上げませう。 ―――さあ百万円」
かう云つて、財布からそれだけの札を出して貝島の手に渡した。
「やあ面白いな。先生も仲間へ這入るんだとさ」
一人が斯う云ふと、二三人の子供が手を叩いて愉快がつた。
「先生、先生は何がお入用ですか。欲しい物は何でもお売り申します」
「エエ煙草にマツチにビール、正宗、サイダア、………」
一人が停車場の売り子の真似をして斯う叫んだ。
「先生か、先生はミルクが一と罐欲しいんだが、お前たちの市場で売つて居るかな」
「ミルクですか、ミルクなら僕ん所の店にあるから、明日市場へ持つて来て上げませう。先生だから一と罐千円に負けて置かあ!」
かう云つたのは、洋酒店の忰の内藤であつた。
「うん、よし〳〵、千円なら安いもんだ。それぢや明日又此処へ遊びに来るから、きつとミルクを忘れずにな」
しめた、と、貝島は腹の中で云つた。子供を欺してミルクを買ふなんて、己はなか〳〵ウマイもんだ。己はやつぱり児童を扱ふのに老練なところがある。………
公園の帰り路に、K町の内藤洋酒店の前を通りかゝつた貝島は、いきなりつか〳〵店へ這入つて行つてミルクを買つた。
「えゝと、代価はたしか千円でしたな。それぢや此処へ置きますから」
と、袂から
「あツ、大変だ、己は気が違つたんだ。でもまあ早く気が付いて好かつたが、飛んでもないことを云つちまつた。気違ひだと思はれちや厄介だから、何とか一つ胡麻化してやらう」
さう考へたので、彼は大声にから〳〵と笑つて、店員の一人にこんなことを云つた。
「いや、此れを札と云つたのは冗談ですがね。でもまあ念の為めに受け取つて置いて下さい。いづれ三十日になれば、此の書附と引き換へに現金で千円支払ひますから。………」
(大正七年七月作)
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