初等科國語 七/燕岳に登る
燕岳 に登る
[編集]「出發。」
山田先生の聲が、
ルックサック・
道はすぐ登りになる。かちりかちりと、杖が岩に鳴つた。前の人の足あとをふみしめるやうに、一歩一歩登つて行く。せまい道の兩側には、大きなささが、ぼくらの頭をおほふくらゐ高く茂つてゐた。
岩角が出、木の根が横たはつてゐる。
「氣をつけろよ。」
と、前の方で聲がする。額も、せなかも、汗ばんで來た。はずむ呼吸が、前にも後にもはつきり聞かれる。
かうして、つづら折りの明かるい山道を、あへぎあへぎ登つた。時々みおろす谷底に、さつき出發した温泉宿が、だんだん小さくなつて行く。谷川が、下で遠く鳴つてゐる。つい向かふに、ぐつと見あげるほどそびえ立つてゐるのが、
「今日は、あの山よりもつと高く登るのだぞ。」
と、石川先生がいはれた。
まばらな
が苦しいほどはずむ。
「先生、休んでください。」
と、後の方でいつしか悲鳴をあげる。
「もう少しがんばれ。」
と、前の方でまぜかへす。
まもなく、ぴりぴりとうれしい笛が鳴つた。みんなは待つてゐたやうに、そこらへ腰をおろして汗をふく。水筒の水を飲むと、のどがごくりと鳴つた。木の間では、うぐひすが鳴いてゐる。谷底から吹きあげる風が、はだに快く感じる。
そろそろ、針葉樹が現れて來た。
やがて、針葉樹の密林へはいると、急に快い涼しさを覺える。時に「さうしかんば」のはだが、梢からもれる太陽の光に映じて、薄暗い中に銀色に光る。道はいくぶんなだらかになつたり、またぐつと急になつたりする。きのふの雨でじめじめしてうつかりすると足がすべる。木の根、岩角を數へるやうに、ふみしめふみしめ登つた。
「あと四キロだ。」
と先頭で叫ぶ。道標の數字がしだいにへつて行くのが、力と頼まれる。時々休んでは、また勇氣を振るひ起す。
植物に、變つたものがあるやうになつた。葉がふぢに似た「ななかまど」や、大木から長くひげのやうにぶらさがる「さるをがせ」などを、石川先生に敎へてもらつた。かはいい桃色の「いはかがみ」の花を、道端に見つけるのが樂しみであつた。
あたりにだんだん霧がわいて來て、大木の幹を、かなたへかなたへと薄く見せた。耳を澄ますと、遠く近く、さまざまの小鳥のさへづりが聞かれる。
かうして、とうとう合戰小屋にたどり着いたのが午前十一時、みんなはずゐぶんつかれてゐた。ここで辨當をたべる、そのおいしいこと。
空がしだいに曇つて來た。霧もだんだん深くなる。しかし、小屋の人は、
「天氣は大丈夫です。」
と、先生たちにいつてゐた。
それからも、しばらく道が急だつた。
霧の間に、「さうしかんば」の林が續く。道端には、ささがめづらしく花をつけてゐた。
いつのまにか大木が少くなつて、せいの低い細い木が目につくやうになつた。つひにはそれもなくなつたと思ふと、眼界が急に開けて、山腹の斜面に、低い緑の「はひまつ」が波のやうに續いて見えた。みんなが、わいわい歡聲をあげた。
道は、ややなだらかになつた。
「三角點。」
といふ聲がする。ぼくらは、胸がをどつた。
やや廣く平なところに、三角點を示す石があつた。そばに腰掛が何臺かある。中房温泉から四・六キロと記した道標が立つてゐる。頂上まであと二キロだ。
晴れてゐれば、ここから、今登らうとする燕の絶頂も、槍岳(やりがたけ)その他の山々も見えるさうだが、今日は何も見えない。行手の道も「はひまつ」も、すべて夢のやうに霧の中に薄れてゐる。ただ、天地がいかにも明かるかつた。
それからは尾根傳ひに、なだらかな道が續いた。薄日がぽかぽかとせなかを温める。道端は、「いはかがみ」の花盛りであつた。小さなすみれや、
ふと「はひまつ」の間に、高さ一メートルにも足らない「たかねざくら」が、今を盛りと咲いてゐるのを見た。眞夏に櫻の滿開である。
「山は、今春なのだ。」
と、石川先生がいはれた。みつばちが、盛んに花から花へ飛んでゐた。
行くにしたがつて、花は美しかつた。右手に見おろす斜面に咲き續く黄色な花は、大きなのが「しなのきんばい」、小さなのが「みやまきんぽうげ」であつた。その間々に、白い「はくさんいちげ」や、深紅の「べにばないちご」などが、點々と入り亂れてゐた。お花畠は、まるで滿天の星のやうに美しかつた。
その邊から、ところどころに殘雪があつた。みんなが、うれしがつて雪をすくつた。
つひに、霧の中に近く山小屋を見あげるところへ來た。下から風が強く吹きあげる。足もとには、かなり大きな雪溪(せつけい)が見おろされた。
先頭は、もう山小屋の右下の
「早く來い。向かふは晴れて、山がすてきだぞ。」
と、だれかが帽子を振りながら、ぼくらに叫んでゐる。
やがてそこへ登り着いたぼくらは、何といふすばらしい景色を、西の方に見渡したことであらう。
左端の穗高に續いて、槍岳が、それこそ天を突く槍の穗先のやうに突き立つてゐる。更に右へ右へとのびる
そこから右へ縱走して、燕の絶頂をめざした。
馬の背のやうに、峯傳ひの道が續いてゐた。ややもするとくづれようとする砂と岩との間を、「はひまつ」にすがりながら進んだ。右下から吹きあげる風は、もうもうと雲を巻きあげて、それがこの尾根を界に消散する。それは、ふしぎに思へるほどはつきりとしてゐた。左は、急な斜面が神祕な谷底へ深く落ち込んでゐる。
とうとう、燕の絶頂が來た。それは、大空の一角にそそり立つ御影石の岩塊である。そこは、十人とは乘れないほどせまかつた。今こそ、二千七百六十三メートルの最高點に立つたのである。さつきの槍岳が、「ここまでお出で。」といふやうに、しかしいかにも嚴然とそびえてゐる。あの絶頂へ登る傾斜は、少くとも四十五度以上はあらう。
「あんな山へ登れる人があるのかなあ。」
といふと、元氣な山田先生は、
「もう二三年たつたら、きみたちも槍へ登れるよ。」
といはれた。
東も北も一帶に雲がとざして、ぼくらの村はもとより、富士・淺間
午後二時、下山の途についた。
「山は廣い。」と、ぼくはつくづく思つた。さうして何年かののちに、きつとあの槍に登らうといふ希望をいだきながら、山をくだつた。