札幌高等裁判所平成15年 (う) 第163号

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主文

 本件控訴を棄却する。
 当審における未決勾留日数中730日を原判決の刑に算入する。

 理由

 本件控訴の趣意は,主任弁護人房川樹芳,弁護人伊東秀子,同新川生馬及び同八十島保連名作成の控訴趣意書,主任弁護人房川樹芳,弁護人奥田保,同秋山賢三,同伊東秀子,同今村核,同新川生馬及び同八十島保連名作成の控訴趣意補充書並びに主任弁護人伊東秀子作成の控訴趣意補充書(二),同(三),同(四),同(五)及び同(六)に,これに対する答弁は,検察官安田博延作成の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから,これらを引用する。
 論旨は,要するに,被告人は被害者を殺害し,その死体を焼損した犯人ではなく無罪であるのに,被告人が犯人であるとした原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある,というのである。
 そこで検討するに,本件では,何者かが,平成12年3月16日の夜,被害者Aを殺害し,その死体を焼損したことは争いがなく,証拠上明らかであり,本件の争点はその犯人が被告人であるかどうかである。そして,被告人の自白や被告人が被害者を殺害し,あるいは,焼損した場面の目撃供述など,被告人の犯行であることを直接証明する証拠はなく,被害者の殺害方法,殺害場所も不明であるが,原審で取り調べられた関係証拠によれば,原判決が「事実認定の補足説明」の項で説示するとおり,被告人が犯人であることを示す幾多の間接事実が存在し,犯人性を一応疑える者の中で,動機があり,かつ,犯行とかかわりを持つ可能性がある者は被告人以外に存在せず,他方,被告人が本件犯行自体や犯人がとった行動に及ぶことが不可能である,ないしはそれが可能であると判断することに不合理,不自然な事実が存在するなどの事情は全く認められないから,被告人が犯人であると優に認めることができる。当審において,法医学の専門家である上野正彦及び被告人の元交際相手で本件当時被害者と交際していたBの証人尋問,豚を用いた燃焼実験結果等の証拠調べ,詳細な被告人質問,その他,弁護人が検察官に求めていた証拠の開示について,当裁判所は,その相当部分につき検察官に開示を促し,検察官がそれに応じて事実取調請求をした証拠のうち弁護人が同意等した証拠の証拠調べなどを行ったが,そのような当審における事実取調べの結果を併せて検討しても,被告人が犯人であることに合理的な疑いを入れる余地はなく,原判決に事実の誤認は認められない。以下,補足して説明する。(なお,以下,特に断らない限り,原判決の略語を用いることにし,年度は平成12年である。)

第1 被害者の携帯電話の発見状況等から推認できる犯人像

 関係証拠によれば,被害者の携帯電話から,[1]3月17日午前零時5分31秒から49秒までの間,C千歳工場代表電話に,[2]5分56秒から6分00秒までの間,Bの携帯電話に,[3]6分04秒から05秒までの間,前記代表電話に,[4]6分29秒から49秒までの間,C千歳工場施設管理室に,[5]同日午前3時2分09秒から15秒までの間,Bの携帯電話に,[6]2分19秒から25秒までの間,前記施設管理室に,[7]2分38秒から55秒までの間,同所にそれぞれ電話が掛けられたこと,被害者の携帯電話は,最長で同日午前10時6分38秒から午前10時20分18秒までの間を除き,同日午前9時7分ころから同日午後零時36分ころまでの間電源が入っていたこと,同日午後3時5分ころ,配車センター2階女子作業員詰所内更衣室の被害者使用のロッカーの中にあった作業服上着左胸外ポケットから電源が切られた状態で被害者の携帯電話が発見されたことが認められる。この事実によれば,犯人は,被害者を殺害し,その死体を焼損した後,前述のとおり,被害者の携帯電話から電話を掛け,最後に電源が入っていたことが確認されている3月17日午後零時36分から電源断の状態の携帯電話が発見された同日午後3時5分ころまでの間に,配車センターの2階女子作業員詰所内の更衣室に入り,被害者のロッカー内に電源を切って携帯電話を戻したか,既にロッカー内に戻しておいた被害者の携帯電話の電源を切ったことが認められる。そして,昼休みの間は女子作業員詰所では女性従業員が昼食をとるなどしているから,昼休みに部外者や男性従業員が同詰所内更衣室に入って上記の行為をすることは不可能であり,それ以外の時間において,C事業所部外者が同詰所に侵入することは物理的に不可能とまではいえないが,あくまでそれは抽象的な可能性があるに止まるというべきである。このように,犯人は,事件後被害者の携帯電話を配車センター2階女子作業員詰所内更衣室の被害者のロッカーに戻しているが,犯人が,被害者と全く関係のない行きずりの者であるとしたら,わざわざそのような行為に及ぶ理由も必要もなく,また,その実現可能性も全く考えられないから,この事実は,犯人が,行きずりの者ではないことを示しているといえる。同様に,配車センター内部の構造を知らない部外者が,不審者として誰かに見咎められる危険を冒してまで2階の更衣室に入り被害者の携帯電話をそのロッカーに戻すなどというのは余りにも現実的可能性のないことである。しかも,同詰所は,本件犯行の約20日前である2月25日に1階から2階に移転したばかりで,部外者がそれを知り得る状況ではなかった上,同詰所内更衣室は,同詰所出入口東側ロッカーを隔てた裏側(東側)にあり,被害者のロッカーはそこにあった三連ロッカーの一番奥まった位置にあって,名札等はなく外部からはその使用者を容易に判別できない状況にあったものである。以上によれば,結局,犯人は,配車センターの2階に行ってもさほど不信感を抱かれない人間,すなわち,被告人を含め当時のC事業所従業員であると合理的に推認できる。

第2 被告人の犯人性を示す間接事実の存在
 1 被告人車両から被害者のロッカーキーが発見された事実
 4月14日午前9時20分から,千歳警察署において,被告人車両の検証が行われたが,その検証中,助手席前グローブボックス内から被害者のロッカーキーが発見された。
 所論は,警察官は,被告人の同意もなく,かつ令状もないまま,このロッカーキーを千歳警察署から持ち出して,配車センター内の被害者使用ロッカーと照合しており,これは検証の範囲を超えた違法なものであるから,その後のロッカーキーの差押え手続も違法であり,ロッカーキーには証拠能力が認められないという。確かに,五感の作用により対象の性質又は状態等を認識するという検証の性質からして,ロッカーキーを発見した際,その写真撮影や採寸等で検証の目的は達せられるのであるから,ロッカーキーを千歳警察署から配車センターまで持って行き,これを被害者使用ロッカーと照合することはもはや刑訴法129条所定の「必要な処分」の範囲を超えており,その持ち出し等につき被告人の承諾や令状はなかったのであるから違法と言わざるを得ない。しかし,証拠能力が否定されるのは,令状主義の精神を没却するような重大な違法がある場合であるところ,原判決が説示するとおり,捜査官に令状主義を潜脱する意図があったことを窺わせる事情はないこと,ロッカーキーは既に適法な検証の対象範囲に含まれて捜査側の事実上の管理下に置かれ,照合の際には配車センターの責任者の承諾を得ている上,ロッカーキーを破損するような行為は伴っておらず,権利侵害の程度としては軽微であること,事後とはいえその差押令状が発付されていることに照らすと,上記の違法の程度が証拠能力を排除しなければならないほどの重大なものとはいえない。
 所論は,被害者を始め配車センターの女性従業員はロッカーを施錠しておらず,被害者が施錠していないロッカーキーを持ち歩くことは考えられない,ロッカーキーはロッカーの受け皿に放置されていた可能性が高く,また,検証以前から被告人車両のグローブボックス内に存在していたとすれば,被告人は,3月18日付と同月26日付の給油納品書をグローブボックスに入れた際ロッカーキーがあることに気付いたはずであるのにそのまま保管していたことになり,被告人車両内から被害者のロッカーキーが発見されたこと自体不自然であり,その他,ロッカーキー発見までの経緯が明確でないことなどを考えると,被告人の嫌疑を深めるために捜査官がねつ造した可能性があるという。しかし,まず,原審甲127号証の検証調書によれば,グローブボックス内は車検証入れ,給油納品書やビニール袋などが乱雑に収められている状態であり,しかも給油納品書をグローブボックスに入れる際,その中にあるものを詳細に確認するはずもないから,その中にあった鈴付きとはいえ小さなロッカーキーに気付かなかったとしても何ら不自然ではなく,被告人が気付いたはずだという推論自体採り得ない。所論によれば,捜査官が配車センターの従業員の目を盗んで被害者のロッカーキーを盗み出し,被告人車両のグローブボックスに入れたということになるが,実況見分等の際には常に立会人がいるのであるから,捜査官がロッカーキーを盗むことができたということ自体疑問であるし,捜査官が犯罪行為を犯してまで被告人を犯人に仕立てようとしたというのは通常考えられない。被害者が施錠していないロッカーキーを持ち歩くことは考えられないということから直ちに捜査官のねつ造の可能性があるというのは余りにも論理の飛躍があり,合理的な推論といえず,採用することはできない。
 被害者が保管していたはずのロッカーキーがどのようにして被告人車両のグローブボックス内に存在するようになったか,その経緯は明らかでないが,それが被告人車両のグローブボックス内に存在したことは動かし難い事実であり,そして,ロッカーキーが被告人以外の者によって被告人車両に入れられた可能性も考え難いことからすると,この事実は被告人の犯人性を示す有力な間接事実である。

 2 被害者殺害後の犯人の動きと被告人の動きが一致する事実
 (1)第1で判示したとおり,犯人は被害者を殺害した後,被害者の携帯電話で7回電話をしているが,第1の[1]ないし[4]の電話は,千歳市新富(中略)所在の千歳BSセクター3(真北から右回り120度を中心とする左右30度の範囲内)で,[5]ないし[7]の電話は,勇払郡早来町字北進(中略)所在の早来BSセクター1(真北を中心とする左右60度の範囲内)でそれぞれ捕捉され,また,3月17日午前9時29分18秒から同日午前11時52分25秒までの間に被害者の携帯電話に掛けられた合計15回の電話のうち14回の電話は,いずれも千歳市上長都(中略)所在の長都BSセクター1及び2(真北から右回り100度を中心とする左右105度の範囲内)と千歳BSセクター6及び1(真北から左回り30度を中心に左右60度の範囲内)で捕捉されている。
 所論は,捕捉した基地局が記載され,また被告人が被害者に電話をした回数の根拠となった被害者の携帯電話発着信記録は,セルラーの従業員が警察の求めに応じて作成したものであるから刑訴法323条2号にいう「業務の通常の過程で作成された書面」ではないし,複数の機械操作に加え,作成者の人為的処理が加えられて作成されたものであり,その作成の過程で過誤が生じている上,その作成の基になった料金センター等のデータは既に廃棄され記載内容が正確なものかどうか検証することが全く不可能であるから,発着信記録には証拠能力,信用性を認めることができないという。発着信記録の作成経緯は,原判決が「事実認定の補足説明」第4の1及び2で詳細に説示しているとおりであって,作成者であるセルラーの従業員は,機械的かつ科学的な方法で自動的に作成された正確なデータを基に,コンピューターソフトを使って並べ替え等の操作をしたり,使用基地局やセクターを手書きするなど,いわば虚偽の介入するおそれが少ない機械的な方法で作成したものといえる上,作成の過程で全く過誤がなかったわけではないが,最終的には,作成者自らの過誤発見又は警察からの過誤指摘による入念な再処理及び確認作業を経て訂正が行われており,原判決が指摘する部分を除いてその正確性を肯定することができる。結局,セルラー従業員が作成した被害者の携帯電話発着信記録は,刑訴法323条3号にいう「特に信用すべき状況の下に作成された書面」に該当し,証拠能力を肯定することができ,また,その信用性に疑問を入れる余地はない。
 また,所論は,BSセクターが捕捉するエリアが記載されている原審甲192号証は別紙1の記載と別紙2の記載が異なっているなど信用性に欠ける,基地局の所在が記載されている原審甲195号証と196号証は不正確な192号証に基づき作成されたものである上,195号証と196号証の記載は,実際の距離にして約150メートルの誤差があるなど信用性に欠けるという。しかし,192号証の別紙1と別紙2の記載は異なっておらず,これを作成したセルラー従業員Dの供述によれば,192号証は施設部にあるデータベースから検索して出てきたものに番号などをふって作成したものというのであり,正確なものといえる。150メートルの誤差があるとの主張は,195号証及び196号証を作成したEの「ほぼ間違いないと思うが,二,三ミリ程度ずれているものはあるかもしれません」という供述によるものでしかなく,そもそも150メートルの差異は,犯人の移動経路を論じるのにその結論を左右するようなものではない。
 (2)捕捉された基地局とそのセクターから被害者の携帯電話の正確な位置を決定することはできないものの,大まかな動きだけは把握できるところ,上記の被害者の携帯電話からの発信又は着信を捕捉した基地局とセクターに照らすと,犯人は,被害者の死体を焼損した後,3月17日午前零時5分ころから6分ころまでの間に千歳市新富(中略)の東南東に位置するように移動し,同日午前3時2分ころに勇払郡早来町字北進の西北西から東北東に位置するように移動し,その後同日午前9時29分までの間に配車センターを含む方角に移動するとともに,前述のとおり,同日午後零時36分から同日午後3時5分ころまでの間に,配車センターの2階女子作業員詰所内更衣室に入ったと認められる。他方,被告人は,3月16日午後11時30分43秒に,恵庭市住吉町(中略)所在のガソリンキング恵庭店に立ち寄って給油し,千歳BSセクター3の捕捉範囲内を通過し,翌17日午前1時43分ころ,被告人の自宅付近の勇払郡早来町栄町(中略)所在のローソン早来栄町店で買い物をして早来BSセクター1の捕捉範囲にある自宅に戻り,同日午前8時20分ころ,長都BSセクター1及び2と千歳BSセクター6及び1の捕捉範囲内にある配車センターに出勤し,被害者の携帯電話が発見されるまでC事業所内で働いており,犯人ないし被害者の携帯電話の動きと同様の動きをしていることが認められ,この事実も被告人の犯人性を示す有力な間接事実である。また,第1で判示したとおり,犯人は,被害者殺害後7回被害者の携帯電話から電話をしているが,このうち5回のC千歳工場の代表電話や施設管理室への電話は,被害者の携帯電話の着信履歴を利用した可能性があり,したがって,その代表電話番号や施設管理室の電話番号が関係者以外に知られていないということから,部外者が電話したことは考えられないと断じることはできない。しかし,犯人は,Bの携帯電話にも電話しているところ,Bの携帯電話番号は当時被害者の携帯電話の着信履歴には残っておらず,犯人がBの携帯電話番号を知らなかったとしたら,弁護人らも認めるとおりメモリダイヤルを利用するしかないが,被害者の携帯電話のメモリダイヤルにはBの携帯電話及びBの自宅の電話番号を含め合計45件の登録がなされていた上,被害者の携帯電話のメモリダイヤルは初期設定値の「名前検索」であり,名前を入力することで電話番号が表示されるのである。すなわち,犯人は,Bの携帯電話の番号を知っていたか,わざわざ「B」の名前を入力して番号を呼び出したか,その他の方法でメモリダイヤルを検索して45件登録されている中からBの電話番号を選んだということになり,犯人のBへの電話が偶然であったとはおよそ考えられず,犯人は,意識してBの携帯電話に電話をしたということができる。このことは,犯人がBと特別なかかわりや思いのある人物であることを示しており,被告人はこの犯人像に当てはまる。
 所論は,被告人がガソリンキング恵庭店を出た後,時速50キロメートル程度で真っ直ぐ被告人宅に向かうとすれば,3月16日午後11時55分以降は千歳セクター3の捕捉範囲を超えることになり,翌17日午前零時5分ころから6分ころには千歳空港セクターの捕捉範囲内に入ってしまい,千歳セクター3では捕捉されるはずもなく,被告人の自宅は早来セクターの1と3の捕捉範囲であるから,同日午前3時ころの電話を被告人が自宅から掛けたとすれば,早来セクター1のみではなく,早来セクター3でも捕捉されなければならず,犯人の移動経路と被告人の移動経路は一致しないと主張する。しかし,所論は,被告人が停止もせずに移動していたことを前提として初めて成り立つものであって,被告人は,自己の携帯電話と違う機種の被害者の携帯電話を使用し,しかも,零時5分31秒から6分49秒までに,勤務先やBに合計4回電話を掛けていることに鑑みると,ガソリンキング恵庭店で給油した後,早来町に向かう途中で車を停止して電話をしたとも考えられるし,セルラー従業員Fは,被告人の自宅は早来セクター1と3の境目辺りで,早来セクター1だけで捕捉されたとしても矛盾はない旨供述しており,所論は採用できない。
 所論は,被害者携帯電話の着信記録によれば,3月17日午前10時13分51秒から15分15秒までの1分24秒の間「電源断又はエリア外」となっているが,犯人はこの1分24秒の間,電波の届かない場所を一時的に通過したとみるのが合理的であり,原判決がこの「電源断又はエリア外」につき,一時的に通話不能に陥ることは十分ありうるとしたのは証拠に基づかない独断で合理性を欠いた判断だという。確かに,被害者の携帯電話については,最長で3月17日午前10時6分38秒から20分18秒までの13分40秒間にわたり,最短で13分51秒から15分15秒までの1分24秒間にわたり,電源が入っていないか,電波が届かない状態であったと認められる。それだけをみれば,所論のような推測も成り立ち得ないではないが,上記のように,犯人は,当時のC事業所従業員であることを考え併せると,その原因のひとつとして,電波状態次第で一時的に通話不能に陥ることも十分ありうるというのも常識的な判断であって,所論のように一義的に解し得るものではなく,被害者の携帯電話が一時的に「電波断又はエリア外」の状態になったことをもって,被害者の携帯電話の動きと被告人の動きとが一致しないということはできない。
 また,所論は,被害者の友人は,3月16日午後9時28分18秒に被害者の携帯電話に電話をしているが,このとき被害者は配車センター内に所在しており,その際受信した基地局は「長都1」となっている,しかるに,3月17日午前9時29分から午前11時51分までの間の被害者の携帯電話の受信基地局はすべて「長都1,2千歳6,1」となっており,このことはこの間被害者の携帯電話は配車センター内に存在していなかったことを示すもので,その間配車センターにいた被告人の犯人性は否定されるという。しかし,セルラー従業員Gは,「長都1」と「長都1,2千歳6,1」は同じ場所で着信したとしても矛盾はないと証言しており,基地局の違いから被害者の携帯電話が配車センター内になかったとはいえない。

 3 被告人が事件の直前に灯油を購入し,事件後灯油を再購入している事実及びこれについての被告人の供述の不合理性
 犯人は,鑑定上灯油か灯油型航空機燃料のいずれであるか判別できないが,油類を用いて被害者の死体を焼損させている。他方,被告人は,3月16日午前零時ころ灯油を購入し,4月1日ころ更に灯油を購入したこと,3月16日購入した灯油は発見されていないこと,被告人車両助手席床マットから灯油の成分が検出された事実が認められる。
 このように,被告人は,被害者が灯油類によって焼損された当日,その直前に灯油を購入し,その灯油が発見されていないことから,それが被害者の焼損に用いられたのではないかと疑われているところ,これに対して,被告人は,以前から母親から道路拡張工事の対象となっている社宅を明け渡さなければならないと言われていたので,その片付けをする際の暖房用に灯油を購入したが,その灯油を車の助手席に置いて運んだ際に,ポリタンクの蓋がゆるんでいて助手席床にこぼれてしまった,このとき購入した灯油は蓋を締め直し,後部トランクに積み替えてそのまま車内に積んでいたが,被害者が殺害された後,職場の運転手から「警察がお前の写真を持ってガソリンスタンドの聞き込みをしている。お前が犯人だったんだな」と言われ,灯油を持っているのが怖くなり,千歳市から早来町に向かう途中の市営牧場の手前道路脇にポリタンクごと投棄したが,その翌日ころには,これが存在しないとかえって怪しまれると思い,4月1日ころポリタンク入りの灯油10リットルを購入し,社宅に運び入れたなどと供述する。しかし,購入したばかりで通常は密閉されているポリタンクの蓋がゆるんでおり,運転中の振動により床にこぼれるということ自体にわかに信じ難い上,そのようなポリタンクを社宅に搬入することなくそのままその後10日以上にわたり通勤等のため毎日使用していた自動車内に積んでいたというのも不自然さを否めない。また,真実自分が事件に無関係であれば,いかに運転手に上記のように言われたとしても,また,当時,犯人として疑われていたのであればなおさら,その灯油を持っていることこそが疑いを晴らす一番の方法であったのに,そのことに思い至らず,なぜそれをわざわざ捨てなければならなかったのか甚だ不可解である。そして,被告人は,その翌日には灯油がないとかえって怪しまれると思ったと言いながら,翌日であれば見つけることも可能で,当時探すことに支障があったとも思われないのに,捨てたポリタンクを探そうともせずに灯油を買い直したというのも不自然不合理である。しかも,被告人は,その後これら一連の行動について誰にも話さなかったばかりか,4月26日,弁護人に対して,3月16日に購入した灯油は購入時のまま全く使用しないで警察に押収された旨虚偽の供述をし,その後8月か9月ころになってようやく,3月16日に買った灯油を捨てて買い直した旨供述したものである。この点について,被告人は,本当のことを話すと弁護人がいなくなってしまう不安があって話せなかったなどと述べるが,それが虚偽であればかえって自分が疑われることは容易に分かることであり,真実捨てたとすれば,上記のとおり,自ら探すなり,弁護人にその旨言うのが通常と考えられることからすると甚だ不自然である。真実は灯油を買い直しながら,弁護人に対しても3月16日の灯油をそのまま持っていた旨ことさら虚偽の言動に出ていることは,3月16日に購入した灯油を捨てた旨の供述が虚偽であること,そして,真実はその灯油を被害者の焼損に用いたのではないかとの疑いを強く抱かせるものである。
 このように,被告人が,事件の当日で,その直前である3月16日午前零時ころ灯油を購入し,4月1日ころ更に灯油を購入したこと,3月16日購入した灯油は発見されていないこと,被告人車両助手席床マットから灯油の成分が検出されていること,そして,これに関する被告人の弁解は不自然不合理である上,弁護人に対しても3月16日購入した灯油をそのまま持っていたと虚偽の供述をしていたことは,被告人が3月16日購入した灯油を用いて被害者を焼損したことを強く窺わせており,これも被告人の犯人性を示す間接事実である。

 4 被告人車両のタイヤに高熱によってできたと推定される損傷があった事実
 事件発生後間もない3月20日,被告人車両に装着されていた左前輪タイヤの接地面に損傷があったことが確認されているが,原審甲202号証によれば,この損傷は,物理的な損傷,灯油,硝酸,硫酸等による化学変化や急ブレーキによるものではなく,摂氏250度から290度の高熱を帯びた物体に数分以上触れて出来たものと推定されている。この損傷は,自動車の通常の使用の中で到底できるものではなく,被告人自身,そのような損傷の生じるような出来事があったことを一切供述していないし,他人がいたずらをして生成されるような損傷でもなく,このような損傷ができた原因としては,被害者を焼損した際,被告人車両がその近くにあったことのほかには考えにくく,これもまた被告人の犯人性を示すひとつの間接事実である。

 5 被告人に土地勘のある場所から被害者の遺品残焼物が発見された事実
 関係証拠によれば,4月15日午後4時20分ころ,勇払郡早来町字北進(中略)の町道早来本郷線から東方約9.3メートルの作業道路の路肩で,被害者が携帯していたバッグに在中していた被害者遺品の残焼物が発見されたこと,残焼物には雨で流された形跡がないことから,犯人は,雨のやんだ4月11日午前11時ころから4月15日午後4時20分ころまでの間に,発見場所で被害者遺品を灯油を用いて燃やして投棄したことが認められる。なお,Iは,原審公判廷において,4月13日午後5時過ぎには発見場所付近に物の燃えたような跡はなかった旨供述しているが,原判決が述べるとおり,同人は発見された3日後の4月18日付警察官調書では,4月13日午後5時ころから午後5時30分までの間ドングリ山に出掛けたが,このとき十字路で車を降りていないので付近にたき火の跡があったかどうかは確認していない旨供述していることに照らすと,4月13日には残焼物があったとしてもそれに気付かなかった可能性があり,上記のとおりと判断される。被害者遺品残焼物が発見された場所は,被告人宅から約3.6キロメートルの地点である上,冬期間は十字路までは通行できるものの,それより先は雪山のため行き止まりとなっている山の中で,通りすがりに思い付いて投棄できるような場所ではなく,土地勘がなければ容易に行きつくことの出来ない場所であるが,被告人は,「H会」の会員で,その会の活動を通して,この付近の土地勘があったことが認められる。
 所論は,被告人が犯人であるとすれば,自宅近くで被害者の遺品を焼いて投棄するのは,かえって自分が犯人であると疑われるだけであるから,そのようなことをするはずはなく,犯人こそ被告人に疑いを向けるために,そのような場所で投棄する理由があるという。しかし,捜査が自分の身辺に及んでいることを察知すれば,その具体的な経緯や理由は明らかでないが,手元にある被害者の遺品を早急に処分しようとするのはむしろ自然であり,当時の状況に照らして決して不合理な行動ではない。しかも,犯人が被告人に疑いを向けようとすれば,本件場所よりも発見しやすい場所で,それが被害者の遺品と分かるように投棄すると思われるのに,実際には,人の立ち入りの少ない山の中で,「H会」の会員によって偶然発見されたものである上,それは灯油によって相当程度に焼損されていたものである。被告人は,「H会」の会員であるから,その場所は同会員が立ち入ることを知っていた可能性があり,そうであればそのような場所に被害者の遺品を投棄することは自分が犯人であると疑われるおそれがあるといえる一方,犯人が被告人に疑いを向けようとすれば,投棄した場所が上記会員が立ち入る場所で容易に発見されることを知っていたこと,そして,発見後それが本件とかかわりがあり,被害者の遺品と判明することを見込んでいたことになるが,そのような事情までを犯人が知った上で,しかもそれが被告人の仕業であると判明することを見込みつつ,わざわざ灯油で相当程度焼損したというのは手が込みすぎており,犯人が被告人に疑いを向けようとしてことさらにした行為とは想定し難いというべきである。加えて,前述したように,被告人は,4月1日ころ灯油を買い直しており,その灯油は社宅から押収されているが,押収されたときには9.5リットルしかなかったことが認められる。被告人は,買った灯油を車で運ぶ途中こぼれたと供述するが,車の運転中にポリタンクから500ミリリットルもの灯油がこぼれ出すことの不自然さに加え,被告人が,その際の灯油の臭いにも気付いた形跡がないこと,さらには,灯油が9.5リットルしか残っていなかったことを指摘されるまで,上記の供述をしていないことなどを考え併せると,その供述は信用し難いのであって,500ミリリットルについて他に使用され消費されたというような事実も窺われないことに照らすと,それが,被告人によって,被害者の遺品の焼損に使われた可能性が高い。
 このように,被告人宅近くで,しかも土地勘がないと投棄できないような場所で被害者の遺品が発見され,被告人はその場所付近について土地勘を有していたこと,加えて,被告人が買い直した灯油ポリタンクには9.5リットルの灯油しか残っておらず,不足分の500ミリリットルについての被告人の弁解は信用し難く,それが被害者の遺品の焼損に使われた可能性が高いことからすると,この事実も被告人の犯人性を示すひとつの間接事実である。

 6 被告人に被害者殺害の動機が存在する事実
 (1)原判決が説示するとおり,関係証拠によれば,以下の事実が認められる。被告人は,Bと結婚を意識して交際していたが,2月27日Bから結婚する気がないことを告げられた。その後,Bは被害者に交際を申し込み,被害者もこれを承諾し,2人の交際が始まった。被告人は,3月8日夜,Bの車が被害者の自宅の牧場に入り,Bらしき人影と被害者とが話しているのを目撃し,Jに電話をして泣きながら,「やっぱり駄目かもしれない,手がぶるぶる震えて涙が止まらない」などと訴えた。被告人は,更に同月11日夜,Bのものらしき車と被害者のものらしき車が並んで止まっているのを目撃し,翌12日,Kと会うなり泣き出して「もうだめかもしれない」などと訴えた。被告人は,同日夜Bと話をし,Bと別れることになり,同月14日Kに電話をして,Bと別れたことを告げた。そして,被告人は,同月12日午前4時51分から同月16日午前7時40分までの間,合計230回も被告人の携帯電話又はローソン早来栄町店の公衆電話から被害者の携帯電話又はその自宅に電話を掛けてはすぐに切るということを繰り返していた。このように,被告人は,結婚を意識していたBから結婚する気はないと告げられた上,その後Bと被害者が会っているらしき場面を目撃して衝撃を受け,その直後から被害者に前後5日間に230回もの無言電話を掛けており,この事実からすれば,被告人は,結婚を意識していたBと交際するようになった被害者に悪感情ないしは憎悪の気持ちを抱いていたことは明らかであって,被害者殺害に及ぶ動機がある。
 (2)所論は,被告人はBとの結婚を意識したことはなく,被害者に掛けた電話は,Bが携帯電話を紛失中であったためにBに向けられた感情を本人にぶつけることもできず,被害者に向けて自分でも説明のできないような行動をとってしまった結果であり,被害者への嫌がらせ電話ではないなどと主張し,被告人も,Bと結婚を意識したことはなく,別れることになるであろうと思っていた,結婚したいと思っていたのはBと交際する前に付き合っていた男性である,被害者に電話をしたのは,最初はBと被害者が会っているのではないかとの疑念がありそれを確かめるためであった,その後は精神的に不安定な状態となり,無意識のうちにリダイヤルボタンを押してしまったもので,被害者に対する嫌がらせの気持ちはなかったなどと供述する。
 しかし,被告人の夥しい数の被害者への電話は,Bとの関係のほかには理由が見当たらない上,結婚を意識してもいないBへの感情がなぜ被害者に向けられることになるのか,結婚を意識してもおらず,別れることになると思っていたBが被害者と会っているような場面を見ただけで,どうして被害者に電話したことを認識できないほど不安定な精神状態に陥ってしまうのか全く不可解である。のみならず,被告人は,運転中の車内や出社直前,またはKと会っている際にも被害者に電話をしており,このようなことが無意識に行われたというのはどうみても不自然である。このように,被告人の供述内容自体不自然である上,被告人の友人であり虚偽の供述をすることの全く考えられないKやLが,被告人から,彼氏に結婚したいと言ったら,それはちょっと考えられないと言われた,Bに結婚する気あるのと聞くともう1週間か10日待ってくれと言われた旨聞いたと供述し,Bも,捜査段階において,被告人と結婚を意識して交際していた,2月27日に被告人に結婚する妥協線が見えないんだよねと言うと,被告人は,泣き始め,もう少し考えてなどと言ったと供述している。なお,Bは,当審公判廷では,被告人とはお互いに結婚を意識した上での付き合いではなく,警察官や検察官に「結婚の意識を全く持たないで遊びで付き合っていたのか,全くゼロか」と聞かれ,「ゼロではない」と答えると,「結婚を意識した交際」と書かれてしまったなどと供述する。しかし,Bは,3月4日午後10時30分ころから翌日午前4時ころまで被害者とドライブをしたことにつき,それはNが会社を辞めるようなことを言っていたので立場上被害者にそのことを聞くためであったと被害者との交際状況についても不自然な供述をしている上,Bは,当時被告人は犯人ではないとして,配車センターの同僚を被告人の弁護人に会わせようとするなどしていたものであり,このようなBが,その一方で,自分が供述してもいない被告人に不利益な事実の記載されている調書に署名したというのは考えにくく,捜査段階の供述に反するBの当審公判供述は到底信用できない。
 被告人の友人,Bの捜査段階の供述によれば,被告人がBと結婚を意識して交際していたことは明らかである。しかも,被告人は,Bとの交際中に,Bに,このまま付き合いをしてBのお嫁さんになれる可能性は少しでもあるのかな,生理がこなかったらどうする旨問い掛けており,これはBとの結婚を意識していたからこその問い掛けとみるのが自然である上,被告人は,本件事件後,B宛に「解決したら,一晩,Bの時間を私に下さい。Bのとなりで眠らせてください」との内容の手紙を作成しており,この手紙からも被告人がBに抱いていた気持ちをうかがい知ることができる。被告人は,当審公判廷で,結婚したいと思っていたのはBと付き合う前に交際していた男性であった,その人に迷惑がかかると思い原審では言うことはできなかったと供述するが,原審段階でもBに対する結婚の意識の有無が大きな争点であったのであり,被告人が,Bと被害者が一緒にいるのを見て,泣きながら駄目かもしれないなどと訴えたJに対し,事件後誰にも話さないように頼んでいることに照らしても,被告人がこのことを認識していたことは明らかであるのに,迷惑をかけたくなかったとの理由で原審で述べなかったというのはやはり不自然である。加えて,上記B宛に作成した手紙の内容のほか,被告人が,4月16日,弁護人に対して,当審で真実結婚したいと思っていたという上記の男性について,平成10年5,6月ころ別れようと言われ別れた,今でも友達として付き合っていると供述していることに照らしても到底信用することができない。
 (3)以上のとおり,被告人はBとの結婚を意識していたが,Bにその気がないことを告げられ,Bと被害者が会っているらしき場面を見た直後から,被害者に230回もの電話を掛けていること,そのことについての被告人の弁解の不自然性ないし虚偽性,そして,被告人は,被害者に無言電話を掛けたことが自分が犯人と疑われる理由になるとは思っていなかったと言いながら,弁護人に対し,しばらくの間そのことを否定したり,打ち明けていないことなどの事実に照らせば,被告人が被害者に悪感情ないしは憎悪の気持ちを抱いていたことは明らかであって,これは十分殺害の動機となりうるものである。

 7 被告人以外のC事業所従業員に犯人の可能性のある者は存在しないこと
 犯人はC事業所従業員であると推認できることは第1で述べたとおりであるが,犯行当時,C事業所従業員は被告人と被害者を除き51名である。原審甲189号証及びPの原審公判供述等によれば,そのうち47名については本件犯行の犯行時間帯である3月16日午後9時30分から同日午後11時30分までの間について明確なアリバイが認められ,残りの4名については,アリバイについての裏付けがとれていないものの,被害者を殺害する動機はもとより,その住所などから本件犯行後の犯人及び被害者の携帯電話の移動と同様の移動をしたことを窺わせる事情がないなど犯行とかかわりを持つ可能性のある者は存在しない。所論は,アリバイ一覧表が二度にわたり修正されているなどとしてC事業所従業員のアリバイ捜査は信用できないというが,Pは,桜田巡査が作成したアリバイ一覧表を供述調書や捜査報告書を読んで修正を加え,それに記載された供述内容に若干の誤記があったので更に修正したというのであり,入念な確認作業がなされたといえる上,アリバイ一覧表に記載されているC事業所従業員の供述内容は,当審で取り調べた各人の供述調書の内容とも合致しており,それまでの過程に若干の過誤があったとしても十分信用できるというべきである。このように,犯人性を疑えるC事業所従業員の中に,被告人を除いては,犯行の動機があり,犯行とかかわりを持つ可能性のある者は存在しない。

 8 まとめ
 以上のとおり,被告人車両内から被害者のロッカーキーが発見されたこと,被害者殺害後の犯人ないし被害者の携帯電話の動きと被告人の動きが一致していること,被告人は本件犯行の前に灯油を購入し,その灯油は発見されず,他方で被告人は灯油を買い直していること,被告人車両のタイヤにあった損傷,被告人の自宅に近く,しかも被告人に土地勘のある場所で被害者遺品の残焼物が発見されていること,被告人には被害者殺害の動機があること,被害者に無言電話を掛けたことや灯油を再購入したことにつき弁護人に虚偽を述べたり,しばらく打ち明けなかったことを含め動機や灯油の再購入あるいは再購入した灯油のうち500ミリリットルが失われていることについての被告人の弁解は不自然不合理であること,犯人性を疑えるC事業所従業員のうち動機があり,かつ,犯行とかかわりを持つ可能性のある者は被告人以外に存在しないこと,そして,被告人は,3月16日午後9時30分過ぎころ,被害者と二人で職場を退社し,判明している限り被害者と最後に接触した者であり,被害者はその後2時間足らずの間に殺害され死体を焼損されていることを総合すると,被告人が犯人であると強く推認でき,アリバイが成立するなど被告人が本件犯行自体や犯人がとった行動に及ぶことが不可能である,ないしはそのように判断することに不合理,不自然な事実が存在するとの事情が認められない限り,被告人が犯人であると断定できる。

第3 被告人の犯人性を覆す事実の有無
 1 被告人のアリバイの存在の有無
 所論は,被害者の死体の焼損が開始されたのは3月16日午後11時15分ころであり,その焼損現場からガソリンキング恵庭店までは約25分かかるところ,被告人は午後11時30分43秒にガソリンキング恵庭店に到着していることから,被告人にはアリバイが成立する旨主張する。
 (1)被害者死体の焼損が開始された時刻について
 所論は,M及びOの捜査段階並びにQの原審での供述により,死体の焼損が開始された時刻は,3月16日午後11時15分ころであると主張しているが,原判決が説示するとおり,被害者死体の焼損開始時刻は遅くとも3月16日午後11時5分ころと認められる。
 すなわち,Mは,原審公判廷において,正確に合わせていた壁時計で午後11時から午後11時5分より前の時間であることを確認してすぐ2階に上ったが,2階廊下の窓ガラス越しに南8号線の道路上で炎が上がっているのが見えた旨供述しており,その供述に疑いを差し挟む余地はない。確かに,同人は,捜査段階では,午後11時か少し過ぎた午後11時15分ころまでの間に間違いない旨の供述もしているが,その理由について,取調検察官が少々時間に幅を持たせたほうがいいように言い,自らも重大事件であるため慎重に一寸幅を持たせた旨合理的な説明をしている上,同人の捜査段階の供述内容を子細にみると,同人は,4月6日付警察官調書において,「3月16日午後11時ころ,就寝する際に,南8号と呼ばれる道路上に小さな炎が上がっているのを自宅2階の窓から見た。1階から2階の寝室へ行こうとした際,1階の壁時計が午後11時ころだったのを確認した。分までは,今では少し記憶が薄れているが,自分の感覚や記憶では時計は,午後11時0分ころから午後11時15分ころまでの間を指していたことは間違いないと思う。炎を見る直前に1階の壁時計をみており,その時間が,午後11時になっていたことは間違いなく,そして私の記憶や感覚から,その時間は午後11時15分を過ぎてはおらず,炎を見たのは午後11時0分ころから午後11時15分ころの間で間違いないと思う」などと供述しているものであり,炎を見た時刻について,M自身,「午後11時ころ」であると認識していたが,Mは,原審公判廷で述べるとおり正確を期すため,警察官に対して,「午後11時0分ころから午後11時15分ころの間」と幅を持たせた供述をしたものと認められ,午後11時ころから午後11時5分までの間に炎を見たとのMの原審公判供述は十分信用できる。
 また,Oはその検察官調書で,午後11時10分ころから15分ころ炎を見たとの供述をしているものの,時計が若干進んでいたためはっきりした時刻が分からない旨の供述もしているのであって,必ずしも正確なものではなく,午後11時10分より前の可能性がある上,同人が死体の焼損が開始されてどの程度の時間が経過した炎を目撃したのかも不明であって,結局,このOの供述では死体焼損開始時刻を特定することはできない。しかし,Mは,炎の大きさについて約1メートルくらいと述べており,Oは,最初に見たときは横幅がビニールハウス一棟分,高さがそれを二つに重ねたくらいで,その5分ないし15分後に見たときは最初のときの三分の一くらいの大きさで消えかかっていくところだったと述べているところ,この両名の炎を見た時刻及びその際の炎の大きさについての供述を総合すると,Oは,Mが炎を見た後,さらに大きくなった状態の炎を見たと判断される。そうとすれば,Oの午後11時10分ころから15分ころ最初の炎を見た旨の供述は,M供述とも矛盾するものではないばかりか,Mの午後11時ころから午後11時5分までの間に炎を見た旨の供述を補強するものである。
 これに対して,Qは,原審において,3月16日午後11時5分ころ,自動車を運転して自宅を出発し,南8号線に出てすぐの同線と西8線の交差点のやや東側にブレーキランプを赤く点灯したボンゴ車とこれに相前後して小さな車の後部が見えたが,これらの車越しに赤い光のようなものは見えなかった,同日午後11時15分ころJR北広島駅を出発し自宅に向かったが,その途中,先ほどの交差点の南側地点で,行きに目撃した位置よりも東側に移動して停止していた2台の車のうちの小さな車に少しかぶさるような感じで赤い光のようなものが見えた旨供述している。しかし,このQ供述は,同人の3月17日付警察官調書の内容と主要な点で大きく変遷しており,信用性に欠ける。すなわち,同人は,原審では,往路の際には赤い光はみえず,復路の際それを目撃した旨供述するが,警察官調書では,自宅を出て交差点を右折する際,南8号線に2台の車が駐車していて,テールランプの灯りかどうかはっきりしないが,赤かったような感じであった,午後11時30分ころ,帰宅するときは最初目撃した2台の車が駐車していた場所方向を意識もしていなかったのでどんな状況だったのか見ていなく,2台の車がまだ停まっていたのかや何かの異常があったということは分からなかった旨供述しており,原審での供述と警察官調書では,赤い光らしきものを見た時期につき,往路と復路とで全く逆になっている。そして,その理由として同人は,警察官による事情聴取の際,無意識に見えた復路の赤い光を意識的に見たというのは嘘になるとの考えがあり,赤い光を見たこと自体が自分にとって重要であったので往路と復路を区別せずに供述したとにわかに理解し難い理由を述べている。また,目撃したという2台の車についても,車の色について,警察官調書では,「ワゴン車の色等は分かりませんが」と供述していたのに,原審では「大きい車の方はクリームがかった白っぽい車で,小さい方は黒か紺だったと思う」旨供述し,車のタイプについて,警察官調書では,「上記2台の車両のうち,もう1台の車は乗用車タイプとしか分からない」旨供述していたのに,原審では「小さい車は軽自動車と分かった」旨供述し,ライトの点灯の有無や車の動きについて,警察官調書では,「テールランプの灯りだったのかどうかもはっきりしないのですが,赤かったような感じという記憶であり,その2台の車がライトを点灯して駐車していたのかどうかもはっきりしません。西8線通りに入る直前,進行方向の前方に2台の車が駐車していたということが分かった」旨供述していたのに,原審では,「大きい方の車がブレーキを踏みました。ブレーキランプと思うんですけれども,長い赤いのが,窓の後ろのウインドウの下の方についているのが,ぱあっと点いて,消えましたから。だから多分動いてはいたんだろうと思います」と供述するなど,主要な点において大きく変遷している上,記憶が鮮明なはずの目撃した翌日の供述よりも,目撃から約2年4か月を経過した時点での供述の方が,より詳細になっており,しかも,最も重要な赤い光らしきものを見た時期につき,納得できる合理的な説明のないまま,午後11時5分ころ自宅を出た直後の往路から,午後11時15分ころJR北広島駅を出発し自宅に向かった復路に変わったという不自然な経過をたどっている。
 このようにQの原審での供述は信用性に欠けるものであって,Mの供述によって,被害者死体の焼損開始時刻は遅くとも3月16日午後11時5分ころと認めるのが相当である。
 (2)死体焼損現場からガソリンキング恵庭店までの所要時間について
 所論は,この所要時間を約25分と主張する。そして,当審で取り調べた捜査報告書(検16号証)によれば,被告人は,3月16日午後11時30分43秒にガソリンキング恵庭店に到着していることが認められるので,以下これを前提に検討する。
 原審甲198号証によれば,4月16日と17日の両日午後3時台の時間帯に,ガソリンキング恵庭店から死体焼損現場まで2回の走行実験が実施され,1回目の所要時間は19分20秒,2回目の所要時間は19分5秒であったこと,原審の平成14年9月9日付検証調書によれば,同年7月3日午後3時16分から午後4時9分までの間に,死体焼損現場からガソリンキング恵庭店までと同店から死体焼損現場までの2回走行実験が実施され,前者の所要時間は22分51秒,後者の所要時間は25分17秒であったこと,当審検17号証によれば,平成16年3月16日午後10時38分から午後11時45分までの間に,死体焼損現場からガソリンキング恵庭店まで2回の走行実験が実施され,1回目の所要時間は21分20秒,2回目の所要時間は21分25秒であったことが認められる。このように走行実験の結果では,最短で19分5秒,最長で25分17秒となるが,所論はこのうち最長のもの,すなわち被告人に最も有利な所要時間だけを採用しているにすぎないし,そもそもこれらの走行実験は,いずれも制限速度ないし法定速度や信号を遵守した上での走行であって,殺人及び死体損壊事件を起こした犯人が車両を運転して現場から逃走する場合の速度や走行方法として,実態を反映しているとは到底認め難く,実際にはもっと短時間,すなわち20分もあれば十分に死体焼損現場からガソリンキング恵庭店に着くことができると考えられる。
 (3)まとめ
 以上のとおり,死体の焼損が開始された時刻は遅くとも午後11時5分ころであること,また,死体焼損現場からガソリンキング恵庭店までは20分もあれば到着することができると考えられることに照らすと,被告人が3月16日午後11時30分43秒にガソリンキング恵庭店にいたことは,被告人のアリバイとはならず,かえって,被害者の死体が焼損された時刻と場所に近接した時刻,場所に被告人がいたことは,被告人の犯人性を示すひとつの間接事実といえる。なお,所論は,被告人は被害者の死体の焼損が開始された時刻ころにはビブロス恵庭店にいたというが,それを裏付けるものは何もなくこの点のアリバイも成立しない。

 2 被告人の被害者殺害等の不可能性の有無
 (1)被告人の握力及び体力,被害者との体格差等について
 所論は,被告人の握力は平均的な女性より弱いこと,被告人と被害者の体力及び体格の差等からして,被告人が被害者を殺害することは不可能であるという。犯人が被害者を殺害した方法は全く不明であるが,寺沢浩一医師作成の鑑定書によれば,死因は「頸部圧迫による窒息死」とされており,上野正彦証人もそれを否定するものではなく,むしろ,同証人は上肢の肘関節を使って首を絞めた可能性がある旨述べていることからすれば,死因は「頸部圧迫による窒息死」である可能性が高いことを肯定しているものである。ところで,被害者役を男性警察官,犯人役を女性警察官として,被告人車両と同種の自動車の助手席に乗っている男性警察官の首を後部座席に乗っている女性警察官がフェイスタオルで圧迫したときの実験結果が原審甲254号証及び255号証で報告されているが,それによれば,「ヘッドレストを挟んだ状態で縊頸した場合,甲状軟骨上を圧迫されることから呼吸は不可能である。しかし頸部よりヘッドレストの幅の方が広いため,両の頸動脈の圧迫が少なく,顔面のうっ血は軽度であり瞬時に気絶する感覚はない」,「(ヘッドレストを挟んだ状態の場合)後頸部付近に隙間が生じるためタオルを掴んで前方に引き出すことが可能であり,本職と青木婦警の力量の差では絞殺から回避できた」,ヘッドレストを挟まない状態で被害者の後方から頸部にタオルを巻き付けて縊頸した場合,「甲状軟骨及び両の頸動脈が一気に締め付けられ,いわゆる柔道の絞め技の如く顔面がうっ血し瞬時に気絶する状態となった」,「青木婦警が後方に体重をかけただけで瞬時に頸部が締め付けられ,この状態から回避することは困難であると判断した」,「青木婦警の体位が後傾から更に左側に移動しただけで,益々頸部が締め付けられ,力量の差が十分にあっても侵害回避は困難であった」と頸動脈,すなわち側頸部に力が加わったことから侵害の回避が不可能であったとしているのであり,上野証人も,U字型で後ろに引っ張るだけでは柔道でいう落ちるような状態にはなりにくいが,交差させれば落ちる可能性もあると証言しており,原判決が判断するとおり「殺害方法や被害者の抵抗方法の如何によっては,非力な犯人が体力差を克服して自分に無傷で被害者を殺害することは十分に可能である」といえ,被告人と被害者との体格差等から被告人が被害者を殺害することが不可能であるとはいえない。所論は,被告人が後部座席に移ることは困難であるとか,被告人が後部座席に移ろうとしたとき被害者が逃げることは可能であるというが,職場の同僚である被告人と被害者の関係からすれば,被告人が後部座席に移り,そのことに被害者が不信を抱かなかったとしても格別不自然ではない。また,所論は,上野証人が上肢の肘関節を使って首を絞めた可能性があるとしていることから,そのような方法により被告人が被害者を殺害することは不可能であるかのように主張しているが,上野証人は,タオルやマフラー様のもので被害者が首を絞められた可能性があることも肯定しているのであって,所論は前提自体を欠くものである。
 (2)灯油10リットルでは,被害者の死体が炭化状態になることはない旨の主張について  所論は,灯油10リットルを使用して豚の燃焼実験をしても,豚の焼損程度は被害者の死体のように炭化状態までにはならず,灯油10リットルでは本件死体のように焼損することは不可能である旨主張する。
 確かに,被害者の死体は相当部分が炭化状態になっているが,弁護人らが灯油10リットルを使用して豚の燃焼実験を行ったところ,炭化状態にまでは至らなかったことが認められる。しかし,弁護人の燃焼実験と本件犯行には次のような差異がある。[1]当審検25号証及び検26号証によれば,豚の皮膚は,ヒトの皮膚に比べると蛋白組成及びその量については類似しているが,「表皮は厚く硬化し,汗腺は退化し,皮脂腺は少なく,高温下における皮膚からの水分散率はヒトに比べて少ない」とされている上,体毛が密生しており,人間の皮膚とは異なる。[2]殺害された直後に被害者の死体が焼損されたとすれば,生前の体温が保持された状態で焼損が開始されたことになるが,弁護人らが実験に用いた豚は,実験の前日に死亡獣畜処理場に運び込まれ倉庫内に保管されていたもので生前の体温は保持されておらず,焼損が開始された際の対象の体温に差異があった可能性がある。[3]灯油の滞留状態に大きな差異がある。すなわち,実際の犯行では,被害者は衣服を着用して仰向けに寝かされていた上,右腕をくの字にして背後に回され,両足は広げられた状態であったから,地面と被害者の身体との間には隙間があった上,被害者の広げられた太股の間にも隙間があったものと考えられる。そして,このような状態の被害者に10リットルの灯油をかけた場合,被害者の着衣に大量の灯油が染みこんでいくのはもとより,被害者の身体と着衣との間にできた隙間,被害者の右腕が背部に回されていたことにより,被害者の身体と地面との間にできた隙間及び被害者の太股の間にできた隙間等に灯油が滞留し,適当な空気の流入により,被害者の着衣がいわば芯のようになって灯油がよく燃える状況となっている。これに対して,弁護人らによる燃焼実験では,被害者の被害当時と同種類の着衣を用いるという工夫がこらされているが,横向きに寝かせた豚の体に着衣を裂くなどして被せたものである上,豚の体は手足が短く胴体が丸みを帯びていて太いから,実際の犯行よりも灯油が滞留することなく周囲に流れ出す状況であったといえ,灯油の滞留状態に大きな差異がある。
 このように,人間の皮膚と豚の皮膚の差異,焼損を開始した時点での体温の差異,灯油の滞留状態の差異,そして自然条件自体にも自ずと差異があることに照らすと,豚の燃焼実験結果から,灯油10リットルでは本件死体のように焼損することが不可能であるとはいえない。
 (3)被害者車両がJR長都駅に放置されていたことは,被告人による犯行が不可能であることを示しているとの主張について
 被害者車両は長都駅南側路上に放置されていたが,所論は,被告人が犯人であるとすれば,殺害の実行前に人目の多い長都駅にわざわざ被害者を誘っていくことは考えられないし,被告人が被害者と一緒に配車センターを出た時刻である午後9時40分ころから被告人がガソリンキング恵庭店に入店した午後11時30分までの約1時間50分の間に,配車センターを出て,長都駅まで被告人車両と被害者車両で赴き,被害者を被告人車両に乗せて長都駅を出発し,どこかで被害者を殺害し,被害者を死体焼損現場まで運び,被害者を車内から引きずり出し,灯油を使って焼損し,そこから出発してガソリンキング恵庭店に入店するのは時間的に困難であって,被害者車両が長都駅に放置されていたことは,被告人による犯行が不可能であることを示しているという。
 しかしながら,殺害の実行前に人目の多い場所にわざわざ被害者を誘っていくことは考えられないとするのは,弁護人の憶測でしかない上,午後9時30分以降の長都駅駐車場周辺がそれ程人目があるとも思われない。被害者車両が放置されていた道路上には他にも数台の駐車車両があるような場所であって,同所に駐車すること自体,ごく自然なことである。被害者車両の助手席上には,空になった弁当箱の入った布織りバッグと汚れたブラウス2着が入ったビニール袋が置かれていたことや被害者車両は施錠されていたことなどからすると,退社した被害者は,一旦,弁当の空箱や洗濯用のブラウスを持って,自己の車両内に入ったと認められ,被害者は,被告人と何らかの約束をしていたか被告人に言われて,自分の車両を運転して長都駅へ向かい,同駅南側駐車場近くに自車を駐車した後,一緒に長都駅まで来た被告人車両に乗車したというのは十分想定できる事柄であって,少なくとも,Bと交際を始めたばかりの被害者が,夜間に自分の車両を放置して,男性の車に乗り込んだとか,帰宅途中に何らかの方法で停止させられて,車内から引きずり出されて,そのまま犯人の車に乗り込まされたなどということよりも,現実的可能性の高いことである。
 また,原審甲197号証の距離等の実査報告書によれば,配車センターから長都駅までの所要時間は約2分,配車センターから死体焼損現場までの所要時間は約25分であり,また前述したとおり死体焼損現場からガソリンキング恵庭店までの所要時間は20分程度であるから,被告人と被害者が午後9時40分ころ退社したとの前提に立っても,被告人がガソリンキング恵庭店に入店した午後11時30分までの約1時間50分の間に,被告人が長都駅で被害者を乗せ,その後被害者を殺害し,死体焼損現場まで運び,車内から被害者を引きずり出し,予め車内に積載していた灯油でその死体を焼損し,ガソリンキング恵庭店に入店することは十分可能であって,時間的にこれが困難であるとは全くいえない。

 3 被告人が犯人のとった行動をすることの不可能性の有無
 (1)被告人が被害者の携帯電話を被害者のロッカーに戻すことが不可能であるとの主張について
 前述したとおり,犯人は,3月17日午後零時36分から同日午後3時5分ころまでの間に,配車センターの2階女子作業員詰所内更衣室に入っているが,所論は,被告人は,昼休みの間,被害者のロッカーに触っていないし,午後1時から2時の間に被告人が2階に上がった事実はなく,午後2時以降は警察官から事情を聞かれているから,被告人が上記の時間帯に更衣室に入るのは不可能であるという。しかし,昼休みの間,被害者のロッカーに触っていない,午後1時から2時の間に被告人が2階に上がった事実はないというのは,被告人の供述を前提にしているにすぎない。昼休みの間,被告人は他の女性従業員と一緒に昼食をとっており,同じ室内とはいえ,昼食をとった場所からは,被害者のロッカーは他のロッカーによって視界が遮られる場所にあるから,他の女性従業員に気付かれることなく,被告人が昼休みの間やその他の時間帯に被害者の携帯電話を被害者のロッカーに戻したり,被害者のロッカーにあった携帯電話の電源を切るのは十分可能であり,これが不可能であったとは到底いえない。
 (2)被告人が被害者の遺品を投棄するのは不可能であるとの主張について
 所論は,当時,被告人はマスコミや警察から尾行されており,被害者の遺品を投棄することは不可能であったという。確かに,警察官は,4月11日午後8時ころから翌12日午前7時54分ころまでの間,同日午後8時20分ころから翌13日午前8時20分ころまでの間及び同日午後8時35分ころから翌14日午前8時22分ころまでの間,被告人の行動確認をしているが,それは被告人に気付かれないことを第一条件に一,二時間間隔で被告人の自宅駐車場に被告人車両が駐車されているかを見たり,国道234号線,栄町新栄線,道道千歳・鵡川線を被告人車両が通過しないかを監視していたもので,常時監視していた訳ではなくとぎれとぎれに行われていたにすぎず,しかも4月14日午前8時22分以降は監視をしていないのであるから,警察の尾行により,被告人において,被害者の遺品を投棄することが全く不可能であったということはできない。また,犯人が被害者の遺品を投棄したと考えられる期間,マスコミが常時被告人を尾行していたとの事情も認められない。
 所論は,被告人が,車両でその投棄場所に赴いたとすれば,4月11日までの雨により,投棄場所までの路上はぬかるんだ状態であり,被告人車両に泥が付着するはずであるのに,被告人車両には汚れている点はないから,被告人がその場所で投棄するのは不可能であるという。しかし,4月14日に行われた検証の結果によれば,被告人車両のタイヤに泥が付着し,左右の前輪後方の車体側面に土砂が乾燥した状態で付着しており,被告人車両には汚れている点はないから犯行が不可能であるとの主張もその前提を欠いている。

 4 被告人の犯人性に疑いを生じさせる事実の有無
 (1)被告人車両に被害者の血痕や尿斑,指紋等の痕跡がないことについて
 所論は,被告人車両内が被害者殺害現場であれば,当然に被害者の血痕や尿斑,指紋等の痕跡がなければならないのに,被告人車両内にこのような痕跡は一切ないから,被告人が犯人でないことは明らかであるという。
 確かに,上野証人は,頸部を圧迫された場合,舌を噛んで出血したり鼻血を出し,尿を漏らし,髪の毛も落ちるなどするのに,何ら痕跡がない被告人車両は犯行現場と考えにくいなどと証言しているが,他方で,同人は,頸部を圧迫されると舌を傷つけて出血する場合もあるが出血しない場合もある,車両を犯行現場とした場合でも,毛髪や血痕が付着しない場合もある,被害者が被害当時生理中であったことは被害者の母親の供述により認められるところ,被害者が生理中であれば,生理用品の使用により,尿斑が出ない可能性がある,犯行から日数が経過すれば犯人がそれを取り除くような隠滅的な行為をする可能性が多々あることをも証言しているのであって,被告人車両に血痕や尿斑等の痕跡がないことから,直ちに被告人の犯人性が否定されるものではない。
 また,被告人車両内を検証し指紋等を採取したのは,本件犯行から約1か月近く経過した4月14日のことであって,その間,被告人が車両内を清掃することは極めて容易なことであるし,そもそも被告人車両内からは被告人自身の指紋さえも検出されておらず,被害者の指紋が検出されないことも何ら不自然ではない。
 (2)死体焼損現場付近から被告人車両のタイヤ痕が発見されていないことについて
 所論は,死体焼損現場付近から被告人車両のタイヤ痕が発見されていないから,被告人は犯人ではないという。しかし,タイヤ痕の印象可能性も現場の状況によりさまざまであって,常にタイヤ痕が印象されるとは限らない上,特に本件では,死体発見者,消防車,消防官等が死体焼損現場に駆け付けており,仮に犯人の車のタイヤ痕が現場に印象されたとしても,それがそのまま残っていた可能性は低いといえ,死体焼損現場付近から被告人車両のタイヤ痕が発見されていないことも犯人性を否定するような事情ではない。

 5 本件が複数の男性による性犯罪である可能性が高いとの主張について
 所論は,[1]被害者の死体が開脚状態で発見され,下半身,特に陰部等の焼損程度が激しいこと,[2]被害者の着衣のうち,ブラジャーのワイヤーが大きくずれるなどしており,被害者が着衣を身に付けていなかった可能性があること,[3]被害者の左足先から約35センチメートルの地点にその左足短靴が焼損されずに放置され,被害者の左足下に右足短靴の残焼物が発見されており,犯人使用車両は土禁車であるため,被害者自ら靴を脱いで乗り込んだ可能性があること,[4]原審証人Qが犯行当時2台の車両を目撃した旨証言していることなどを根拠に,本件は複数の男性による性犯罪であって被告人は犯人ではない旨主張する。
 しかし,まず[1]については,確かに,上野証人は,本件被害者の死体は焼損される以前に両足を広げられており,強姦殺人事件の可能性がある上,陰部が開脚状態で炭化の状態が激しいので,性的暴行の事実を隠そうとした疑いがあるなどと証言しているが,他方で同証人は,本当に本件が強姦殺人事件とすれば,死体発見現場が強姦殺人の現場と思われるが,積雪のある中そのような場所で強姦等の性犯罪が行われるのは考えにくい,犯人が死体を十分に損傷するために両足を広げた状態で灯油をかけて火をつけたことも十分考えられる,開脚していることを除き強姦殺人事件が疑われる具体的な根拠は特にないなどとも証言しているのであって,被害者の死体が開脚状態で発見され,下半身,特に陰部等の焼損程度が激しいことは,性犯罪が行われたとの根拠としては甚だ乏しいものである。
 [2]の点であるが,被害者の右胸ブラジャーのワイヤーのみが右乳房の上方に移動し,左胸ブラジャーのワイヤーについては,被害者の左乳房の下にあり,左胸部と右胸部の焼損の程度を比較すると,左胸部には乳頭・乳輪が認められるのに対し,右胸部についてはそれが認められず,右胸ブラジャーのワイヤーは,右胸が左胸よりも激しく燃焼したため,それに伴って移動したものと考えるのが自然である。しかも,被害者の左肩から左肘にかけての背中側に着衣の残焼物が付着し,その背面の地面上に着衣等の残焼物があったこと,被害者臀部の皮膚が一部残存していたが,その部分に対応する着衣と思われるものが腰部付近から発見されており,その残焼物を見分すると,被害者の臀部に接するところから,パンティー様のもの,ガードル様のもの,ジーパン様のものが確認できることなどに鑑みると,被害者は,焼損されたときに着衣を身に付けていたことは明らかである。
 [3]の点であるが,被害者の左足先から約35センチメートルの地点に焼損されていない左足短靴が発見され,被害者の左足下に右足短靴の残焼物が発見されたことから,被害者が土禁車に乗り込んだというのは余りにも論理の飛躍があり,このような状態で発見された原因は不明というしかないが,例えば犯人が被害者の死体をうつ伏せの状態から仰向けの状態に回転させたり,引きずったりするなどの作業をし,その作業の途中で,被害者の両足から靴が脱落したため,本件のような靴の遺留状態になったものと推測する余地もあり,靴の遺留状態は,被害者が土禁車に乗り込んだ根拠としては,これもまた甚だ乏しいものと言わざるを得ない。
 最後に[4]の点であるが,Q証言が信用性に欠けることは前述したとおりである。仮に,同人が2台の車を目撃したとしても,灯油類を使用した死体の焼損,犯人は被害者殺害後被害者の携帯電話から電話をしていることやその携帯電話を被害者のロッカーに戻していることなどからして,前述したとおり,被害者と関係のない全くの行きずりの者の犯行とは考えられず,他方,犯人はC事業所従業員であるといえること,そのうち4名を除きアリバイが成立すること,犯人は被害者やBと特別のかかわりや思いのある人物と認められることは前述したとおりであるし,アリバイがない4名についても被害者殺害の動機や犯行とのかかわりを持つ可能性のある者はいないことからして,Qが2台の車を目撃したとしても,複数男性による性犯罪であるとは到底いえない。
 このように,本件が複数の男性による性犯罪であるという主張は,甚だ乏しい根拠に基づくものというしかなく,被告人の犯人性に疑いを生ぜしめるような合理的な推測ということはできないのである。

 6 まとめ
 以上のとおり,被告人にアリバイがないこと,所論が,被告人が被害者を殺害すること及び犯人がとった行動に及ぶことはいずれも不可能である,そして,被告人の犯人性を否定する事情があるとして主張する点は,いずれも不可能であるとも,また,その犯人性を否定する事情ともならず,さらに,本件が複数の男性による性犯罪との主張も根拠に乏しい。

第4 結論
 本件では,殺害の手段方法等多くの場合犯人の供述に頼らざるを得ない事実については不明であるが,これは被告人が事実を否認している上,目撃者等のいない本件においてはやむを得ないところである。そして,殺害の手段方法は犯人を推定し特定する上でも,また,被告人が防御を行なう上でも重要な事項であるが,それが不明であるからといって有罪認定ができないとすることは自白の偏重にも繋がり相当ではない。殺害の手段方法が不明であっても,被告人と犯行とを結びつける十分な事実が存在するときは有罪認定ができるというべきである。
 前述したとおり,[1]被告人車両内から被害者のロッカーキーが発見されたこと,[2]被害者殺害後の犯人ないし被害者の携帯電話の動きと被告人の動きが一致していること,[3]被告人は本件犯行の前に灯油を購入し,その灯油は発見されず,他方で被告人は灯油を買い直していること,[4]被告人車両のタイヤにあった損傷,[5]被告人の自宅に近く,しかも被告人に土地勘のある場所で被害者遺品残焼物が発見されていること,[6]被告人には被害者殺害の動機が存在すること,[7]被害者に無言電話を掛けたことや灯油を再購入したことにつき弁護人に虚偽を述べたり,しばらく打ち明けなかったことを含め動機や灯油の再購入あるいは再購入した灯油のうち約500ミリリットルが失われたことについての被告人の弁解には不自然不合理な点があること,[8]被告人は,判明している限り,被害者と最後に接触した者であり,被害者は被告人と二人で職場を退社して2時間足らずで殺害されている上,被告人は,被害者の死体が焼損された時刻と場所に近接した時刻,場所にいたこと,[9]犯人はC事業所従業員であるといえるが,C事業所従業員の中には,被告人以外に殺害の動機があり,かつ,犯行とかかわりを持つ可能性のある者が全くいないことを総合すると,被告人が被害者を殺害し,その死体を焼損した犯人であると強く推認できる。そして,[1]被告人にアリバイは成立せず,[2]殺害が不可能であるとか被告人が購入した灯油10リットルでは被害者が炭化するほどに燃焼することが不可能であるとはいえず,[3]被告人車両内に犯行の痕跡がないことなどは,常に痕跡が残るものではないから,その事実は被告人の犯人性を否定するような事情でなく,その他第3で述べたとおり,被告人が被害者の殺害や犯人がとった行動に及ぶことが不可能であるとか不合理であるとの事情もないこと,[4]本件が複数の男性による性犯罪であるという主張は,被告人の犯人性に疑いを生ぜしめるような合理的な推測ではなく,結局被告人の犯人性に疑問を生じさせるような事情はないのである。上記のような間接事実を総合すれば,被告人が被害者を殺害し,その死体を焼損した犯人であると優に認めることができ,その他所論がるる主張する点を考慮検討しても,原判決に事実の誤認はなく,論旨は理由がない。
 よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却することとし,当審における未決勾留日数の算入につき刑法21条を,当審における訴訟費用を被告人に負担させないことにつき刑訴法181条1項ただし書をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。

裁判長裁判官 長島孝太郎
裁判官 川本清巌
裁判官・市川太志

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