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昭和26(れ)1452

提供:Wikisource

入場税法違反被告事件

主文

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本件上告を棄却する。

理由

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弁護人島田武夫、同島田徳郎の上告趣意第一点について。

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廃止前の入場税法一六条一項と、地方税法(昭和二三年法律第一一〇号旧地方税法)一三六条との法定刑を比較すると、前者が重く後者が軽いことは所論のとおりである。所論はこの場合、たとえ右地方税法一五一条三項に「入場税法の廃止前になした行為に関する罰則の適用については、なお、従前の例による」との規定があつても、この規定は単に「入場税法廃止前の行為はなお処罰する」というだけの法意であつて、したがつてこの場合適用すべき罰則は、刑罰を公平ならしめるための規定である刑法六条に従い、軽い地方税法の罰則によつて処断すべく、重い入場税法の罰則によるべきものではない。しかるに右重い入場税法の罰則を適用処断した原判決は憲法一四条に違反すると主張する。

しかし刑法六条は犯罪後の法律により刑の変更がなされた場合に適用のある規定であつて、本件の如く右地方税法一五一条三項の如き規定を設け、特に、従前の行為に関する罰則の適用については、なお、従前の例によるものとした場合には、従前の行為に関する限り刑罰規定については何等の変更を見ないのであるから刑法六条はその適用の余地がないものといわなければならない。また、同種の犯行についてその行為の時期によつて刑罰規定に差異を設けても、それは立法政策の問題であつて憲法一四条のいわゆる法の下における平等の規定に反するものでないことはいうまでもない。所論違憲の主張は理由がない。

同第二点について。

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所論は、廃止前の入場税法一七条の三(但し昭和二二年法律第一四二号による改正前の条文)のいわゆる両罰規定は、憲法三九条に違反すると主張する。

しかし、同条は事業主たる、人の「代理人、使用人其ノ他ノ従業者」が入場税を逋脱しまたは逋脱せんとした行為に対し、事業主として右行為者らの選任、監督その他違反行為を防止するために必要な注意を尽さなかつた過失の存在を推定した規定と解すべく、したがつて事業主において右に関する注意を尽したことの証明がなされない限り、事業主もまた刑責を免れ得ないとする法意と解するを相当とする。それ故、両罰規定は故意過失もなき事業主をして他人の行為に対し刑責を負わしめたものであるとの前提に立脚して、これを憲法三九条違反であるとする所論は、その前提を欠くものであつて理由がない。

記録を調査するに、事業主たる被告人において、判示行為者らの判示違反行為につきこれを防止するために必要な注意を尽したことの主張立証の認められない本件において、被告人に所論両罰規定を適用した原判決は正当であるといわなければならない。

同第三点について。

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所論は憲法三一条違反を主張する。しかしその所論の実質は前掲廃止前の入場税法一七条の三の解釈について独自の見解を主張するか、または事実誤認の主張であつて適法な上告理由と認められない。のみらなず本件逋脱行為がたとえ判示行為者らにおいて所論横領の目的をもつて行われたものであつたとしても、その具体的目的の如何の如きは、本件両罰規定にいわゆる「業務ニ関シ……違反行為ヲ為シタルトキ」とある要件に少しの影響をも及ぼすものとは解せられない。

よつて刑訴施行法三条の二、刑訴四〇八条により主文のとおり判決する。

この判決は裁判官田中耕太郎、同斎藤悠輔、同下飯坂潤夫の次の補足意見を除き、裁判官全員一致の意見によるものである。

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上告趣意第二点についての裁判官田中耕太郎、同斉藤悠輔の補足意見は、次のとおりである。

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われわれは、大体において、下飯坂裁判官の補足意見に同調する。元来わが刑法は、その三八条一項本文において、刑事責任は原則として故意を要することを宣明し、各則において例外として過失犯を認め罰金を科し、業務上過失又は重過失の場合には禁錮刑をも科しうる建前を採つている。しかし、同条一項但書は法律に特別の規定ある場合は、故意を要しないものとし、同法八条但書は、刑法以外の他の刑罰法令においては、刑法総則と異なる特別の規定を設けることを許している。そして、本件廃止前の入場税法一七条の三は、この刑法三八条一項但書および同法八条但書の規定に基く法律であつて、刑事責任を負うのに故意も過失も必要としない規定である。すなわち、学者のいわゆる従業者の違反行為を構成要件として生ずる業務主自身の刑事責任を規定したものである。その立法理由とするところは、税法のような徴税を目的とする法律においては、業務主の業務に関し税法違反をした場合に、その違反行為をした資力の乏しい従業者だけを罰して見たところで、その取締の目的が達せられないから、その業務の主体であり、業務上の利益を受ける、資力のある業務主からその業務に関し生じた税金に代る罰金を取立てようとするにある。されば、かかる規定が憲法三九条に違反しないことは、いうまでもない。多数説は、先ず明らかに明文に反する。何よりもいけないのは、その根底において刑法三八条一項但書および同法八条但書の存在を忘却し、他の刑罰法令においても常に故意又は過失を要するものと誤解していることである。

上告趣意第二点についての裁判官下飯坂潤夫の補足意見は、次のとおりである。

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いわゆる両罰規定の立法上の合理的根拠が奈辺にあるかという問題に関しては、従来諸種の見解が存しているが、これを大別すれば、過失責任説と無過失責任説との二つに分けることができる。前者は事業主(法人を含む)の従業員に対する選任監督上の過失の中に責任の根拠を見出そうとするか、あるいは、事業主の間接的な一種の過失犯そのものとする説であり、後者は国家ないしは社会的要請から一種の無過失的な結果責任とするか、あるいは直截簡明に無過失責任そのものであるとする説である。しかし両罰規定といつてもわが成法の下では各種の形態を具えているのであるから、この問題は一概に抽象的に論断することはできない、そこで、わが法制下における両罰規定の形態であるが、これは大体次の三つに大別できるものと考える。

その第一は、原則的に両罰であるが、事業主に従業員の違反行為防止の為め当該業務に関し相当の注意及び監督の為されたことの証明があつたときは事業主を罰しない、すなわち事業主に無過失の証明のあつたことを免責事由としつつその反面両罰の根拠を過失に求めようとするところの規定である。消防法四五条、保険業法一四九条、鉱業法一九四条、農地法九四条の如きは、これに属するものであり、これに準ずる規定として港湾法六二条、生活保護法八六条二項等を挙げることができよう。

その第二は、事業主の事実上の行為者に対する監督取締上の過失責任ないしは違法の結果発生に対する防止義務の懈怠又は違法行為の惹起に対する共犯責任を処罰の根拠としている場合であつて、職業安定法六七条、船員法一三五条はこの部類に属する。

第三は、最も厳格な意味における両罰規定であり、いわば、両罰規定の典型的なものであつて前示第一のように免責事由の場合を除外することもなく、また、第二のように、義務懈怠や悪意や教唆を予定している場合でもなく、従業員が違法行為をしたときは、これに何らの条件を附加することなく、事業主を処罰する場合であり、本事案の廃止前の入場税法一七条の三の如きはまさにそれであつて、この部類に属するものとしては労働者災害補償保険法五四条、農業協同組合法一〇〇条二項、農業災害補償法一四六条二項、自作農創設特別措置法五一条、災害救助法四八条、消費生活協同組合法九九条三項、放送法五七条一項、鉱山保安法五八条、法人税法五一条、火薬類取締法六二条、医療法七五条、麻薬取締法七四条、薬事法五九条、道路交通取締法三一条、温泉法二五条、食品衛生法三三条、失業保険法五五条、健康保険法九一条等々、枚挙にいとまがない。

さて、責任なければ刑罰なしとは、刑罰法における伝統的な根本観念である、また、他人の行為による刑事責任については、その人が他人の行為に対し意識して原因を与えた場合でなければならないとするのが英米法における原則(原因供与の原則)である。しかしそうした考え方は現代の高度に発達した文明社会においてもはや、しかく安易に受け入れられない段階にまできているのではないかと私は考えるのである。

民事において、過失なければ責任なしとはローマ法以来の大原則である。従つて自己のかかわりない他人の行為については責任を負わないというのが、右原則の当然の適用であつた。しかし社会情勢の推移発展から、また損害賠償制度の本質に鑑みて、右原則が徐々に崩れゆく方向にあることは、ここに多く弁ずるまでもあるまい。すなわち自己の意思又は命令に出たものでない代理人の行為に対し、本人に責任を負わしめる、いわゆる上級者責任の原則が是認されるようになり、また、更に全く過失のない場合にさえ責任を負わしめる方法が採用されるに至つたのである。(民法七一七条参照)。勿論損害賠償制度と刑罰とはその根本観念を別異にするものであるが、近代の複雑な社会構造においては刑事においても、民事におけるような、いわゆる代替責任ないしは無過失責任を認めることなしでは、到底法秩序の安定を期し得ないのであり、それが近代法の当然の要請でもあると考える。尤もそれは、行政取締法規のわく内でのことで、金刑に限局さるべきであろう。この点に関し、ある米国の刑法学者は次の如く述べている。「民事において上級者責任の原則を是認せしめたように、刑事裁判が商業的分野にまで及び、食糧品、建築、交通等に関する取締法規違反のような、本来犯罪とは云えないものにまで及ぶ今日においては、刑事責任についても民事と同様な代替責任を是認しようとする傾向の生じてきたことは、けだし免れない数である。(中略)本来の犯罪は道徳的非行から始つたものであつて、これに対する刑事裁判の目的は専ら処罰にある。ところが、現代では、その本質は民事的であり、個人の道徳的責任とは関係のない社会的立法である取締法規を実効あらしめるために、刑事裁判手続という機械を利用しようとしている。すなわち刑法が本質的には刑事的でない分野にまで強く侵入されているのである。かかる例は、非常に多く、建築規則、スピード規制、食品取締規則、児童に関する労働規則、酒類取締規則の如きがそれで、いずれもこれに対する違反行為に対しては軽い刑を科することによつて右規則の励行を期している。しかも、これらの規則違反は犯罪のレツテルを貼られることにおいては何の変りもない」云々。

私は、両罰規定の根本理念を「事業それ自体」の中に見出したいと考える。思うに現代の国家ないしは社会において、経済活動がその大部分の分野を占めていることはここに多弁を要しないが、その経済活動の多くは事業主(法人を含む)があつて、その傘下に、多数従業者を包抱結合し、これを一定の有機的な組織機構の下において、あたかも、一個人の事業であるかのように運営されているのである。そして、それら従業員の個々の行動は事業主の業務に関する限り、善は善なりに、また悪は悪なりに、利益も損失も、約言すればその業務実施の結果は挙げて、悉く事業主に帰属せしめられているのである。従つて従業員の当該業務に関して為した事実上の行為は同時に事業主自身の行為と看做して一向に妨げない。近代における事業というものはそうした性格のものと理解してのみ、現代の社会構造を把握できるものと私は考える。してみれば、両罰規定において、従業者の違反行為に対しては従業者個人の刑責を問うと同時に、事業主に対しても事業主としての刑責を問い得る筋合であつてここに両罰規定の合理的根拠を見出し得るものと私は信ずるのである。かように考えてくると、本件改正前の入場税法一七条の三の事業主の責任なるものは当該事業の性格自体から、当然に事業主に帰責せしめられなければならないという上叙のような趣旨の下に明定された刑責であつて、従業員の違法行為の存在だけを構成要件とし、その他の要件の附加されることを予定していない事業主独自の責任であり、いわゆる転嫁責任でもなければ、また多数意見の立論の根拠となつている監督上の過怠責任でもないのである。

ところで、右規定の無過失処罰の点が憲法違反だという本上告論旨についてであるが、その立論の根拠となつている憲法三九条にいう「何人も実行の時に適法であつた行為について刑事上の責任を問はれない」という条章は、いわゆる事後法の禁止をうたつただけのものであつて、所論の場合などには何ら関係のない規定である。従つて所論違憲の論議は筋違のものであるが、それはともあれ、いつたい、憲法は無過失(狭義)処罰(他人の行為に対して無過失責任を負う場合を含む)を禁じているであろうか、私の見るところではそんな規定は憲法のどこにもないのである。尤も、いわゆる適式手続を規定している憲法三一条が、こうした場合、取上げられるであろうが、これとて、無過失のものを処罰することがいけないなどとは一言半句もいつていないのである。ただ、その定め方が同条章から問題とされる場合もあり得るであろうが、前示入場税法の規定が同条章に照してみても、違憲とされる余地のないことは上来説示したところによつて、すでに明瞭であろう。それ故私は本論旨は理由のないものと考え多数意見の結論に同ずるものであるが、しかし多数意見は憲法が無過失処罰を違憲としていることを立論の前提としているものであつて、到底首肯し難い。また、私はわが成法の下における両罰規定には冒頭説示のとおり各種の場合があるに拘らず、多数意見はたやすくこれを一括同視したことを遺憾とすると共に、多数意見の結論が税務一般ならびに裁判の実務の上に至大の悪影響を及ぼすであろうことを思い、これに反省の機会の到らんことを望んでやまない。

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 高橋潔)

弁護人島田武夫、同島田徳郎の上告趣意

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第一点 原判決は、憲法第一四条に違反した違法がある。

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原判決は適用法令の部において、稲垣三郎の所為は昭和二三年法律第一一〇号第一五一条、廃止前の入場税法第一六条第一項、刑法第六〇条に該当するが、同人は被告人の使用人であつて、被告人の業務に関し不正の行為によつて入場税を逋脱せんとしたものであるから、昭和二三年法律第一一〇号第一五一条、廃止前の入場税法第一七条の三(但し昭和二二年一一月三〇日法律第一四二号による改正前の条文)第一六条第一項により被告人を罰金四百万二千九百七十五円に処する旨判示した。右に判示する廃止前の入場税法第一六条第一項は、昭和一八年二月法律第三号により制定せられたもので、昭和一九年二月法律第七号によつて改正され、同条項には「詐欺其ノ他不正ノ行為ニ依り入場税ヲ逋脱シ又ハ逋脱セントシタル者ハ其ノ逋脱シ又ハ逋脱セントシタル税金ノ五倍ニ相当スル罰金ニ処ス。前項ノ罪ヲ犯シタル者ハ情状ニ因リ五年以下ノ懲役若クハ其ノ逋脱シ又ハ逋脱セントシタル税金ノ五倍ヲ超エ十倍以下ニ相当スル罰金ニ処シ又ハ懲役及罰金ヲ併科スルコトヲ得」とある。然るに昭和二三年法律第一一〇号第一三六条には「詐欺その他不正の行為により地方税額の全部又は一部につき地方税を免れた者は、これを三年以下の懲役又はその免れた税金の五倍以下に相当する罰金若くは科料に処する」とある。両者の法定刑を比較するのに、前者においては五年以下の懲役と脱税額の五倍以上十倍以下の罰金であり、後者においては三年以下の懲役と脱税額五倍以下の罰金である。前者の長期及び多額は後者の約倍数に及んでいる。殊に前者の罰金の寡額は脱税額の五倍に確定されているのに、後者の罰金の寡額は二十円に下り得るのである。又前者には科料の刑罰が認められていないのに後者には、これが認められている。かように同種の脱税犯に対して昭和二三年法律第一一〇号の施行された同年八月一日(同法第一四一条)を界として、七月三一日前の違反行為に対する法定刑は八月一日以後の違反行為に対する法定刑に比して著しく苛烈峻酷である。昭和二三年七月三一日以前においては、すべての違反脱税者は一様に右の重刑をもつて処罰されたのであるから、法律上平等の扱いを受けたのである。ところが翌八月一日以後においては、昭和二三年法律第一一〇号第一五一条第三項によつて、「入場税法の廃止前になした行為に関する罰則の適用についてはなお従前の例による」為めに、同日以後においては、七月三一日以前の違反行為は廃止前の入場税法第一六条により重き刑を科せられ、八月一日以後の違反行為は、同年法律第一一〇号第一三六条により軽き刑を科せられることになる。これは同種の違反行為をなした者を差別待遇するものである。「すべて国民は法の下に平等で」あるべきに拘らず、かように或る者は重く処罰され、或る者は軽く処罰されるときには社会的に不平等の扱いをなすことになり、明らかに憲法第一四条に違反する。吾々は法律を生かすために憲法を曲げてはならないのであつて、却つて憲法を守るためには、法律の解釈を変更せねばならないことを覚悟せねばならない。昭和二三年法律第一一〇号第一五一条第三項に「入場税法の廃止前になした行為に関する罰則の適用については、なお従前の例による」とあるのは、本法が廃止されても、廃止前の違反行為を罰するというに過ぎないのであつて、従前通りの刑罰で処罰する意味ではない。どの程度の刑罰を科するかは、刑法第六条の支配を受けるものと解すべきであると思う。刑法第六条は本来刑罰を公平ならしめるための規定である。従つて同条の規定を適用しないことは、不公平の刑罰を認めることになり、国民平等の原則に反することになる。原判決は、被告人の使用人稲垣三郎等が昭和二二年二月頃から同年一二月一〇日頃までの間、数回に亘り不正の方法で入場税を逋脱し又は逋脱せんとした事実を判示し、被告人に対し昭和二三年法律第一一〇号第一五一条、廃止前の入場税法第一七条の三、第一六条第一項を適用し、昭和二三年法律第一一〇号第一三九条、第一三六条を適用しなかつたのは法規の末節に拘泥し、国民平等を宣言するの憲法の規定を看過したものであつて、到底破毀を免れないものと信ずる。

第二点 原判決は憲法第三九条に違反する違法がある。

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憲法第三九条は「何人も実行行為の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。又同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問われない」と規定している。右の「実行行為の時に適法であつた行為については刑事上の責任を問われない」というのは、違法行為についてのみ責任を問われるという意味に外ならない。然るに原判決は、一、何等違法行為をなしたことのない被告人を処罰している。原判決のいう所によると、被告人は昭和二十二年二月頃から同年一二月一〇日頃までの間、キヤバレー国際クラブを経営し、ダンサーや楽団を雇い、客から入場料を徴してダンスをさせることを業としていた者であるが、同クラブの支配人であつた稲垣三郎は、前支配人中川友次郎及び経理部長五明真等と共謀の上、同クラブの経営について本帳簿の外実際に徴収した毎月の入場料金の三分の一を記載した税務帳簿を作成し、これに基ずいて所轄税務署に対して入場税につき虚偽の申告をし、被告人の業務に関し不正の方法で入場税を逋脱し又は逋脱せんとした旨判示し、昭和二三年法律第一一〇号第一五一条、廃止前の入場税法第一七条の三、第一六条第一項により行為者でない被告人を処罰した。なるほど、右の判示には稲垣三郎等は被告人の業務に関して違法行為をなしたものと認められているが,この点については論旨第三点に述べるように稲垣等の違法行為は被告人の業務には、関係のなかつたものである。仮にその業務に関係ありとしても、被告人がその違法行為に関与していない限り被告人が違法行為をなしたものということはできない。自分の意思に基ずいて違法行為をなしたのでなければ刑事上の責任を問われないという前記憲法第三九条の規定から見れば、原判決では被告人が違法行為をなしたことは認めていないのであるから、被告人を処罰することはできない次第である。結局廃止前の入場税法第一七条の三は憲法第三九条に違反するから同法第九八条によつて、その効力を有しないものであるのに拘らず、原審がこれを適用したのは憲法に違反するものであつて、破毀を免れないものと信ずる。

第三点 原判決は憲法第三一条に違反する違法がある。

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原判決はその事実理由において、被告人は昭和二二年二月頃から同年一二月一〇日頃迄の間、キヤバレー国際クラブを経営し、ダンサーや楽団や雇い、客から入場料を徴収してダンスをさせることを業としていた者であるが、同クラブの支配人であつた稲垣三郎は前支配人中川友次郎及び経理部長五明真等と共謀の上、同クラブの経営について本帳簿の外実際に徴収した毎月の入場料金の三分の一を記載した税務帳簿を作成し、これに基ずいて所轄税務署に対し入場税額につき虚偽の申告をし、以て被告人の前記業務に関し不正の方法で入場税を逋脱しようと企て、犯意継続の上一乃至九に判示するように入場税合計八十万五百九十五円を逋脱し又は逋脱せんとした事実を判示し、擬律の部に於て、稲垣三郎は被告人の使用人であつて、被告人の業務に関し、不正の行為によつて入場税を逋脱し又は逋脱せんとしたものであるから、昭和二三年法律第一一〇号第一五一条、廃止前の入場税法第一七条の三、第一六条により被告人を罰金四百万二千九百七十五円に処する旨判示した。しかし原判決が、その証拠に引用している稲垣三郎に対する検事聴取書中(第一回乃至第四回)には、同人の供述として「昭和二二年二月中旬或は三月上旬頃国際クラブ事務所で五明が下谷税務署のスタンプを二、三個持つていたので、同人に理由を聞くと、この印も税務署に作つて持つて来いと言われたので、一部はこちらで使つてもよいと言う黙認を得ているのだ、只帳簿をきちんと合せておけと言われたと言うので、其の税務署のスタンプをチケツトに勝手に押してもよいが、実際に税務署で正当にチケツトにスタンプを押して貰つた分は、別に帳簿に記載して間違わない様にして脱税してもよいと言う打合せが出来ているのだと思つた。中川支配人も俺の責任でやつているのだ、五明に税務署のことは一切任せ運動費も使つてもよいと言つてある。帳簿上の事も一切任せてあるという返事であつた。中川死亡後は中川時代からの慣習で売上の三分の二程度の切符に勝手にスタンプを押していた。」旨の記載がある。又原判決がその証拠に引用している五明真に対する同年三月一五日付検事の聴取書中には、「昨年三月頃浅草国際クラブで土橋事務員に、二重帳簿を作るに当り税務帳簿は本帳簿の三分一位を標準として記帳する様指図した事は間違なく、昨年三月頃国際クラブ事務所で稲垣副支配人に下谷税務署の偽スタンプをどうして作つたかを聞かれた時、当時私は税務署嘱託であると嘘を言つてハツパをかけていたので、税務署から黙認を得ているから二重帳簿さへ確実につけて居ればよいというようなことをいつた。」旨の供述記載がある。原判決が証拠に引用している原審公廷における被告人の供述中(三九八丁裏)には「問、三分の一位しか申告しないで三分の二ごまかしていた事はうすうす知つていたのではないか、答、私は全然知りませんでした。問、或程度ごまかしているらしい事はうすうす知つていたのではないか、答、当時は全然判りませんでしたが、其の年の暮になつて判つて来たので、キヤバレーをよしました(三九九丁裏)。問、二重帳簿を作つていることを知らなかつたのか、答、其の年の八月頃、五明の使込みが表面に出て、其の時五明の反対派の者が帳簿を持つて来たので始めて知りました。」とある。原判決が、証拠に引用している原審公判調書中には、証人稲垣三郎の供述として(四一五丁表)「問、五明(味は明の誤)経理部長も店の金を使い込んだというがどうか、答、中川が死んだ頃、使い込んでおつたという事です。問、上林がそのため五明を叱責した事があるというがどうか、答、上林は其の時私の責任でもある様に言うので、私も立会いましたが、五明は上林に謝罪した時のことは知つております。問、其の時の上林の態度は、本件の如き不正行為を知らなかつた様であつたか又は知つていた様であつたか、答、勿論知らなかつたので五明を叱つたものと思います。」とある。以上の各証拠によつて見れば、支配人中川友次郎、副支配人稲垣三郎及び経理部長五明真等は共謀し被告人には関係なく、下谷税務署の印章を偽造し、之をダンスホール国際キヤバレーの入場券等に押用して販売し売上金を横領していたこと、被告人上林がこれら不正行為に関係のなかつたことが判る。そして不正入場券の売上金は中川友次郎や五明真等において横領費消し、被告人上林の収入になつていなかつたことは、原判決が証拠に引用している証人稲垣三郎の原審公廷における供述によつて明らかである。右供述によると(四一三丁表)「問、不正行為により脱税した金はどうしたか、答、中川が死んでから上林から今迄金が入らないと言うので、本郷という女事務員に命じて売上等計算させましたが、中川は病身の上女もおり殿様暮しをしていたし、生活も派手でしたのに全然生活費が計上されておりませんでした。従つて判然した使途は判りませんですが、勿論私の店のために使つていたものと思つていましたが、実際は個人の生活費に随分使用していたのです。(四一四丁表)問、証人の代になつてからの経営状態はどうであつたか、答、中村という経理責任者をおいて取扱わせましたが、七月中旬頃で収支一杯々々で、いくらか欠損になる時もありました位で、私が帳簿を見ても何等権限がありませんため、経営状態の判然した事は判りません。」とある。以上によつて見ると、不正入場券を販売して得た金は中川友次郎や五明真において横領費消していたことは証明されるが、その金がキヤバレー国際クラブの経営費に使用されたことは証明されない。実際国際クラブの経営費には使用されなかつたのである。所謂廃止前の入場税法第一七条の三は、法人又は人の代理人、使用人其の他の従業員、其の法人又は人の業務に関し第一六条乃至第一七条を犯したときは、行為者を罰するの外その法人又は人に対し各本条の罰金刑を科す旨が規定されておる。この両罰規定は使用人や従業員等が営業主の業務に関して違反行為をした場合に適用されるのであるから、使用人や従業員等が営業主の業務に関係なく違反行為をしたときには右の規定が適用されないことはいうまでもない。果して然りとすれば、使用人や従業員等の行為はどんな場合に営業主の「業務に関し」ているか。一、営業主が使用人や従業員等の違反防止に必要な措置を講じなかつた場合を指しているのであろうか(労働基準法第一二一条参照)。もしそうであるとすれば、原判決はこの点について何等判示するところがないから、擬律を誤つたものといわねばならない。

二、営業主のために、その営業の目的を遂行するためになされた行為は業務に関する行為であるという説がある(美濃部博士「行政刑法概論」参照)。しかし本件においては使用人や従業員が自己の利益のために売上金を横領する目的で偽造入場券を販売したのであるから、第一、使用人や従業員である中川や五明等に営業主である被告人の利益のためにする意思がなく、第二、売得金を横領するためになされた行為であるから、被告人のために営業の目的を遂行するためになされた行為でもない。従つて此の説によつても中川や五明や稲垣等の不正行為は被告人の営業に関してなされたものとは認められない。第三,原判決は使用人や従業員の不正行為が営業主の業務と同種同型の行為であれば、業務に関する行為であると見ているのかも知れない。しかしこの見解によつては、使用人や従業員の不正行為のために営業主が処罰される法律的根拠を説明することができない。以上の次第で、本件のように使用人や従業員等が自己の利益のために営業主の意思と営業の目的に反し不正の行為をなした場合には、前記両罰規定の適用はないものといわねばならない。然るに原判決が右両罰規定を適用して被告人を処罰したのは、憲法第三一条に違反するから到底破毀を免れないものと信ずる。

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