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りの草枕なほむすばまほしき御心のしづめがたくて、いとさゝやかにおはする人の御ぞなどさる心して、なよらかなるをまぎらはしすぐしつゝ忍びやかにふるまひ給へばおどろく人もなし。何やかやとなつかしうかたらひ聞え給ふに、なびくとはなけれども、たゞいみじう大どかにやはらかなる御さましておぼしほれたる御けしきをよそなりつる程の御心まどひまではなけれど、らうたくいとほしと思ひ聞え給ひけり。ながき夜なれど更けにしかばにや、程なう明けぬる夢の名殘はいとあかぬ心ちしながら、きぬぎぬになり給ふほど女宮も心苦しげにぞ見え給ひける。その後も折々は聞えうごかし給へど、さしはへてあるべき御事ならねばいとまどほにのみなむ、まくるならひまではあらずやおはしましけむ。あさましとのみつきせずおぼし渡るに、西園寺大納言忍びて參り給ひけるを、人がらもまめまめしくいとねんごろに思ひ聞え給へれば、御母代の人などもいかゞはせむにてやうやうたのみかはし給へば、ある夕つ方「內よりまかでむついでに又必ず參りこむ」とたのめ聞え給へりければ、その心して誰もまち給ふ程に、二條の師忠のおとゞ、いとしのびてありき給ふ道にかの大納言こせうなどあまたしていときらきらしげにて行き逢ひ給ひけるに、女宮の御許なればことごとしかるべき事もなしとおぼして、しばしかの大納言の車やりすぐしてむにいでむよと思して門の下にやりよせて、おとゞゑばう子直衣のなよらかなるにており給ひぬ。內には大納言の參り給へるとおぼして、例は忍びたる事なれば門の內へ車を引き入れて對のつまよりおりて參り給ふに、門よりおり給ふにあやしうと思ひながら、たそがれ時のたどたどし