Page:Kokubun taikan 07.pdf/638

提供:Wikisource
このページは校正済みです

なずらへゆるさせ給ひてむや」と御けしきとり給へば、女院の御かはらけを齋宮まゐる。その後院きこしめす。御几帳ばかりをへだてゝ長押のしもへ西園寺大納言〈實兼〉、善勝寺大納言〈隆顯〉召さる。簀子にながすけ、爲方、兼行、すけゆきなどさぶらふ。あまた度ながれくだりて人々そぼれがちなり。「故院の御事の後はかやうの事もかき絕えて侍りつるに今宵はめづらしくなむ、心とけてあそばせ給へ」などうちみだれ聞え給へば、女房召して御箏ども搔き合せらる。院の御まへに御琵琶西園寺もひき給ふ。兼行篳篥、神樂うたひなどしてことごとしからぬしもおもしろし。こたみはまづ齋宮の御まへに院みづから御銚子をとりて聞え給ふに、宮いと苦しうおぼされてとみにもえうごき給はねば、女院「この御かはらけのいと心もとなく見え侍るめるに、こゆるぎのいそならぬ御さかなやあるべからむ」とのたまへば、「ばいたんの翁はあはれなり、おのが衣は薄けれど」といふ今樣をうたはせ給ふ御聲いとおもしろし。宮きこしめしてのち女院御盃をとり給ふとて「天子には父母なしと申すなれど十善の床をふみ給ふも賤しき身の宮づかへなりき。一こと報い給ふべうや」とのたまへば、さうなる御事なりやと人々めをくはせつゝ忍びてつきしろふ。「御まへの池なる龜岡に鶴こそむれゐてあそぶなれ」とうたひ給ふ。その後院きこしめす。善勝寺せれうの里をいだす。人々こゑ加へなどしてらうがはしき程になりぬ。かくていたう更けぬれば女院も我か御方に入らせ給ひぬ。かくてそのまゝのおましながら、かりそめなるやうにてよりふし給へば、人々もすこし退きて苦しかりつるなごりにほどなくねいりぬ。あすは宮も御かへりと聞ゆれば、今宵ばか