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能保といふ人のむすめなり。その母北の方は故大將のはらからなれば、一方ならずあづまを重くおぼしてさしいらへもせず、院の御心の輕き事とあぶながり給ふ。七條院の御ゆかりの殿ばら、坊門大納言忠信、尾張中將淸經、中御門大納言宗家、また修明門院の御はらからの甲斐の宰相中將範茂などつぎつぎあまた聞ゆれど、さのみはしるしがたし。いくさにまじりたつ人々、この外の上達部にも殿上人にもあまたありき。みず法ども數知らずおこなはる。やんごとなき顯密の高僧もかゝる時こそたのもしきわざならめ。おのおの心をいたして仕うまつる。御自らもいみじう念ぜさせ給ふ。日吉の社に忍びて詣でさせ給へり。大宮の御まへに夜もすがら御念誦したまひて、御心の中にいかめしき願どもを立てさせたまふ。夜すこし更けしづまりて御社すごく、燈ろの光かすかなる程に、をさなきわらはの臥したりけるが、俄におびえあがりて院の御まへにたゞまゐりに走り參りて詫宣しけり。「忝くもかく渡りおはしましてうれへ給へば聞きすごし難く侍れど、一とせのみこしふりの時、なさけなく防がせ給ひしかば、衆徒おのれをうらみて陣のほとりにふりすて侍りしかば、空しく馬牛の蹄にかゝりし事は今にうらめしく思ひ給ふるにより、この度のみかたうどはえつかうまつり侍るまじ。七社の神殿をこがねしろがねにみがきなさむと承るも、もはらうけ侍らぬなり」とのゝしりて、息も絕えぬるさまにて臥しぬ。聞し召す御心ち物に似ずあさましうおぼさるゝに、唯御淚のみぞいでくる。すぎにし方悔しうとりかへさまほし。さまざまをこたりかしこまり申させ給ふ。山の御輿防ぎ奉りけむこと必ずしも自らおぼしよるにもあらざりけめど、