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しらとして雲霞のつはものをたなびかせて都にのぼす。泰時を前にすゑていふやう、「おのれをこの度都にまゐらする事は思ふ所おほし。本意の如く淸きしにをすべし。人にうしろ見えなむには親の顏また見るべからず。今をかぎりとおもへ。賤しけれども義時君の御ために後めたき心やはある。されば橫ざまの死をせむ事はあるべからず。心を猛くおもへ。おのれうちかつものならば、二度この足柄箱根山は越ゆべし」などなくなくいひきかす。まことにしかなり。又親の顏をがまむ事もいとあやふしと思ひて、泰時も鎧の袖しぼる。かたみに今やかぎりとあはれに心ぼそげなり。かくてうちいでぬるまたの日、思ひかけぬほどに泰時唯一人鞭を上げてはせきたり。父むねうちさわぎて「いかに」と問ふに、「軍のあるべきやう大方のおきてなどをば仰の如くその心をえ侍りぬ。若し道のほとりにも、計らざるに忝く鳳輦をさきだてゝ御旗をあげられ、臨幸のげんぢうなる事も侍らむに參りあへらば、その時のしんたいいかゞ侍るべからむ。この一ことをたづね申さむとて一人馳せ侍りき」といふ。義時とばかりうち案じて、「かしこくも問へるをのこかな。その事なり。まさに君の御輿に向ひて弓を引くことはいかゞあらむ。さばかりの時は兜をぬぎ弓のつるをきりて偏にかしこまりを申して身をまかせ奉るべし。さはあらで君は都におはしましながら、軍兵をたまはせば命をすてゝ千人が一人になるまでも戰ふべし」といひもはてぬに急ぎたちにけり。都にもおぼしまうけつる事なればものゝふども召し集へ、宇治勢田の橋もひかせてかたきを防ぐべき用意心ことなり。公經の大將一人のみなむ御うまごのこともさる事にて、北の方一條中納言