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もおはしけるとかや。大方は事に明らかに、はかばかしくおはして、御さかしらなども、したまへばなるべし、易きことなれども、幼くおはします帝など、常には、五節の帳臺の試みなどに、いでさせ給ふことまれなるに、讃岐のみかど、おとなにならせ給ひて、はじめて出でさせ給ひしに、御指貫は何の紋といふことも納殿の藏人おぼつかなく思へるに「霰地にくわんの紋ぞかし」など、藏人の頭におはせし時のたまひなどして、さやうのこと明らかにおはしき。みかどの御指貫たてまつることは、ひとゝせに唯ひと度ぞおはしませばおぼつかなく思へるも、ことわりなるべし。このおとども催馬樂の上手におはして、御聲めでたくおはすとぞ。その御子は、贈左大臣長實の御むすめのはらに、中納言とておはすとぞ。右のおとゞの御子は宗成の左大辨の宰相とておはしき。又刑部少輔宗重とて、琵琶ひき給ふ人ぞおはしける。何事の侍りけるにか。夜、河原にて、はかなくなり給ひにけり。いかなるかたきをもち給へりけるにか。また山科寺に覺靜僧都と申しゝも、皆同じ御はらなるべし。その僧都こそ、すぐれたる智者におはすとうけ給はりしか。法も能く說き給ふとて、鳥羽の院などにても、御講つとめ給ひき。宗輔のおほきおとゞの御子は、前の大納言兵部卿と申すとかや。笛もおやの殿ばかりはおはせずやあらむ。吹きたまふとぞ申すめる。大宮の右のおとゞの公達あまたおはしき。宰相中將師兼と申しゝ、その御子に、少將おはしき。宰相の弟に、基俊の前の左衞門の佐と申しゝは、下野守順業ときこえしむすめの腹にやおはしけむ。その左衞門の佐は、歌よみ詩つくりにておはすと聞こえ侍りしが、さばかりの人の、五位にてやみ給ひにしこそくちを