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かさぬ。定昌の指南によりて。藤原顯定〈關東管領。〉の旅。哀のこゝろありて。旅宿を東陣にうつされし後は。嚴霜もをだやかなり。平顯忠〈長尾修理亮。〉陣所にて會。覉中雲。

 むさし野や何の草はにかゝれとてみはうき雲の行末の空

十一月五日には佐野舟橋にいたりぬ。藤原忠信をしるべとせり。彼所を見るに。西の方に一筋たいらなる岡あり。うへに白雲山ならびにあら舟御社のやま有。其北にあさまのたけ崔嵬たり。舟ばしはむかしの東西の岸とおぼしき間。田面はるかに平々たり。兩岸に二所の長者ありしとなり。此あたりの老人出てむかしの跡をおしふるに。水もなくほそき江のかたち有て。二三尺ばかりなる石をうちわたせり。かれたる原にみわたされて。そことおもへる所なし。

 跡もなくむかしをつなく舟橋はたゝことのはのさのの冬原

十二月のなかばにむさしの國へうつりぬ、曙をこめてちやうのはなといふ所をおき出。ゆくゑもしらぬかれ野を駒にまかせて過侍るに。幾千里ともなく霜にくもりて。空は朝日の雲もなく。さしあがりたる風景肝にめいじ侍しかば。

 朝日かけ空はくもらて冬くさの霜にかすめるむさしのの原

其夜は箕田といふ所にあかして。武藏野を分侍るに。野徑のほとり名に聞えし狹山有、朝の霜をふみ分て行に。わづかなる山のすそにかたち計なる池あり。

 氷ゐし汀の枯野ふみ分て行はさ山の池のあさかせ

其日の半より漸々富士はみえ侍りぬべきを。よるのしもなごり猶かきくもりて。かぎりもしらず侍り。からうじて鳩が井のさと滋野憲永がやどりにつきぬ。廿日のよの殘月ほがらかにかれたる草のすゑに落かゝりて。朝の日