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北、小亞細亞の西岸に在り。昔フイレタイロス Philetairos の都を建つる處なり。オイメネス Eumenes 第二世 (195-159 a. Chr.) 羅馬の民と力を倂せて前小亞細亞を略するに至り、都城の規模漸く大に、其傳統者アツタロス Attalos 第二世の時、風俗文物より百般の工藝に至るまで、其盛を極めたりと云ふ。此府久く埋歿して世人の之を顧みる者なかりしに、千八百六十六年獨逸人フウマン Humann 彫石を發掘し、千八百七十八年發掘の大工事を起し、遂に全府の遺趾をして復た天日の光を被らしむることゝはなれり。畫工はフアブリチウスピイチユ Ernst Fabricius, Ludwig Pietsch の二人なり。

二十八日。大倭會に赴く。

二十九日。石氏訪はる。俱に衞生部に至る。

三十日。石氏將に維也納府に行かんとす。予に隨ひ行かんことを命ず。

三十一日。橫山又二郞民顯府より來る。之を停車塲に迎へ、トヨツプフエル客舘に伴ひ、晝餐の後誘ひて金石博物舘に至る。後動物園に入る。

九月一日。石氏と車を同うして獨乙帝の軍を閱するを觀る。

三日。夜小松宮殿下を送る。

四日。石氏を訪ふ。乃木少將に逢ふ。

七日。家書至る。

十三日。山邊丈夫訪はる。逢はず。石君とシヤイベの居を訪ふ。その妻兒と話す。妻はワイセンフエルス Weissenfels 富家の子なり。淳良人に可なり。兒トルウドヘン Trudchen 圓臉慢膚愛す可し。

十四日。民顯府より來れる中濱東一郞と獸苑を散步す。

十五日。旅行の準備を爲す。

十六日。午前八時汽車「アンハルト」停車塲 Anhalter