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四日。陰、午前六時四十五分大隊と共にネルハウを發し、カンネヰツツ Cannewitz にて他隊と會同し、ザルカ Sarka 村の近傍にて敵と相接す。十二時ガステヰツツ Gastewitz に達し、行李を安頓す。午後四時三十分ムツチエン Mutzen に赴く。盖し第百七聯隊の將校と同じく晚餐する約あればなり。九時三十分ガステヰツツに歸る。此日ニコライと邂逅す。脚疾は已に全く癒えたり。

五日。陰、西風、大隊と共にガステヰツツを發し、ラアゲヰツツの近傍に南面して陣す。亦假設敵なり。南軍はチヨツパハ Zschoppach より攻擊し來る。演習畢る。道をブリヨオゼングレシユヰツツ Broesen, Greschwitz に取りてドヨオベン Doeben に至る。途に雨に逢ふ。ドヨオベンの旅舘は古城なり。城の結構略ゞマツヘルン Machern 城に似たり。其位置は東ムルデ Mulde 河に臨み、右に煉瓦造の水車廠を觀る。對岸は淺茅生の原にて、岸邊に數百株の柏あり。城の直下は鐵道なり。城主をフオン、ビユロウ von Bülow と稱す。耳順の老人なり。余等をして其來賓簿に署名せしむ。老人其六女を出して客を拜せしむ。マリア Maria (Mimi) は頗る美なり。一女あり。美目盼たり。イイダ Ida と稱す。一女あり、眉頭常に愁を帶ぶ。其名を失す。トオニイ Toni は瘦軀にして巨眼、アンナ Anna は鼻低く額出づ。ヘレエネ Helene は罷癃なり。晚餐後撞球 Billard の遊を爲す。同じく宿る者を少佐ワグネル Wagner, 少尉フオン、ビイデルマン von Biedermann, 大尉ヘルジヒ Helsig 及ウユルツレルとす。此日伯林公使舘の書至る。曰く德停府の冬季軍醫學講習會に陪列すること、既に薩索尼國王の許可を得たりと。是れ余が曾て公使舘に赴き請求したる第二事なり。

六日。日曜日に丁る。碧落洗ふが如く。旭光林を照し、微風はムルデ河上に細紋を描き、對岸の郊原には牧者の群羊を牽ゐ行くを見る。此日右方に水車廠を隔てゝ一部落を見る。是れが余等が曾て淹滯せる所のネルハウなり。午後二時少佐ワグネル Wagner と馬車に上り、グリムマ Grimma の獵堂 Schuetzenhaus に至る。國王の招筵に赴くなり。是より先きガステヰツツ Gastewitz に着する日招狀に接す。獵堂は頗る宏壯なり。器具は王宮より搬し來る。陶器はマイセン Meissen の製にして、支那に摸したり。白地に紅綠の花卉を畫く。又銀皿もて食を供す。會する者百三十餘人。皆將官及佐官なり。余外國の將校