続古事談/第六

 
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続古事談 第六
 
 
漢朝
 
唐朝に斉威王といふ帝おはしけり。其の時淳于髠といふ賢人あり。王を諫むる詞に曰く、古君好馬王亦好之、古君好色王亦好之、古君好味王亦好之、古君好賢王不之といひければ、威王の云く、古の君の好みもてなし給ひし程の賢人なければこそ、好まねと宣ひければ、髠難じて曰く、馬を好み給ふも、昔の駿逸には及ばず。たゞ随分に当世の逸物を選ばる。色を好み味を好む亦斯くの如し。いかなれば賢人に至りて、昔の跡を願ひ、世の事におきては、当時の宜しきを用ひ給ふぞといひければ、威王口を閉ぢて、述ぶる事なかりけり。

唐の玄宗皇帝は、近世の明王なり。其しるしには、ある臣下の、皇帝はなどいたく痩せ給ひたるぞと申しければ、答へて仰せられけり。姚崇・宋環が位にありしより此方、余りに諫められて、片時も心の延びたる事のなければ、痩せたるなりと宣ひければ、其の臣又申して云く、あぢきなき事にこそ侍るなれ。何事も御身の為なり。などか痩せ給ふ迄は、諫め奉ると申しければ、世だにも肥えなばと宣ひける。誠にやんごとなき事なり。斯くの如く賢王にておはしけるが、楊貴妃といふ者出でて後、朝まつりごともせず、天下の事を捨て給ひにけるなり。姚崇・宋環とは二人なり、異なる賢人なり。

されば大国の習は、如何なる君にもあれ、臣の諫を聞入れて、用ふる心あるを、国王の器量とはするなり。世の始りの三皇無為の化、次の五帝は以徳収、其五帝のさしつぎにて、漢高祖といふ帝の世を取り給ふ事は、悉く不実不思議の人にておはしけれど、人の申す事を聞入れて、我御心を先とし給はざりけるなり。世の末の王の有様を、あらはしけるなり。楚の項羽は、武威も、思ふ謀も、高祖には勝りたりけれども、其事一つは、又劣りてぞおはしける。

オープンアクセス NDLJP:159楊貴妃は、尸解仙といふ者にてありけるなり。仙女の化して、人となれりけるなり。尸解仙といふは、生ける程は、人にも変らずして、死後に屍を止めざるなり。或唐書の中に、貴妃を改葬したる事をいふに、肥膚已壊香嚢猶在といへり。此文に合へり。膚姿などはなくて、香嚢計りありけり。貴妃はもと親王の妻なり。夫を玄宗召したるなり。長恨歌伝に、寿邸に得たりとあるは、彼王の居所をいへるなり。安禄山は、又其外の密夫なり。禄山は、ゆゝしき玄宗の寵臣なり。

或人に問ひて云く、漢家に男色の事ありや。中にも国王の、此事を之給へる事や見えたる。其人答へて云く、故入道長方〔高イ〕卿示されしは、漢成帝といふ帝の御時、董賢といふ者、さやらむと見えたり。書に云く、与帝臥起しけりと。後には余りに寵して位を譲らむとするに及ぶと見えたり。

張喩といふ者ありけり。殊の外のすきもの、又好色にてありける。心に深く風月を弄びて、身常に名所に遊びけり。此人伝へて、貴妃の有様を聞きて、遥に愛念の心を起し、見ず知らぬ世の人を恋ひて、心を砕き身を苦しむ。離宮の深き跡に望みては、昔を思ひて涙を流し、馬嵬の堤の辺に行きては、古を悲しみて膓を断つ。斯くの如く思ひ悲しめども、同じ世にある人ならねば、いひ知らすべき方なし。徒に歎き徒に恋ひて、年月を過す程に、或時夢に、みづら結ひたる童子来りて云く、玉妃の召すなり、速に参るべしと。夢の中の心、悦をなす事限りなし。童子を先に立てて、やう行く程に、程なく玉妃の宮殿に渡りぬ。玉の簾を入りて、錦の帳に望みぬ。玉妃は床の上にあり、張喩は下に居たり。年来の志を述べて、其詞尽くる事なし。玉妃懇に憐れみ語らふ事、人間の女の如し。睦び近付きて後、其思愈深し。玉妃の手を執りて、床の上に登らむとするに、身重くて、容易く上る事を得ず。妃の云く、汝は人間の身なり。穢はしく卑しくして、我床に上り難し。張喩懇に近付かん事を望む。其時玉妃人を呼びて、得もいはぬ香湯を儲けて、其身を洗浴せしめて後、手を取りて、床の上に登るに、身軽くして、思の如くに上りぬ。交り臥す事世の常の如し。懐しく睦しき事、凡て詞も及ばず。別れの思、未だ述べつくさゞるに、暁の風漸くに驚かす。人間に返らずして、玆に止まらむ事を望めども、王妃更に許オープンアクセス NDLJP:160す事なし。許さずといへども、其思浅からざる気色なり。後会を契りて云く、今十五日ありて、其所に行きて、再び相見る事を得んと。此契を聞きて後、夢早く覚めぬ。別れの涙、枕の上に乾くことなし。空しき床に起き居て、泣き悲しめども甲斐なし。其後十五日を過ぎて、契りし所へ行きぬ。彼所は広き野なりけり。野烟眇茫として、行けども人なし。たま牧童の一人会へりけるに、試みに是を問ひければ、彼童の云く、今朝未だ暗きより此野にあり、朝霧の絶間に、えもいひ知らぬ天女一人見えて、我を呼びて云く、是に若し人を尋ぬる者あらば、必ず是を与へよとて、一通の書を残して、霧の内に消え、雲の中に入りぬ。彼人の示せる人かとて、其の書を与へたり。是を聞きて、一度は会はざる事を悲しみ、一度は書を残せる事を悦ぶ。心を静め眼を拭ひて、是を開き見るに、一紙詞少なくして、四韻の詩を書けり。その中の一句に云く、

   天上歓栄雖楽  人間聚散忽堪

となむありける。人の思の空しからざる事、古今も隔つる事なく、天上人間も、自ら通ふ。誠に哀れなる事なり。

玄宗の御子粛宗は、自ら威を施して、禄山を平らげて、其後霊武郡に至りて、位に即き給へるなり。凡そ漢家の習は、敵となりて位を奪ふといへども、必ず其譲を得て、位に即く事なり。状には、必尭の舜に譲りしが如しと書くことなり。粛宗皇帝は、世の乱を直して、玄宗を都へ迎へ返し奉り給ひける迄は、いみじかりけれども、其後は少し不孝にぞおはしけるとぞ。

尭は、舜の器量を試みむが為めに、娥皇・女英といふ二人の女をもて、妻とせしむ。二人共に、相嫉む事なくして、語らひてありけるに、舜の心の巧なる事を知りて、位を譲りてけり。二人の妻を列べて、而も其心を宥むる、極めて難き事なるべし。此二人、舜に後れて歎きける涙染みたる竹なり。是にも伝はりて、変軸の束の筆をば入れずとなむいひ習はせる此故なり。竹斑湘浦と書けるは、此事なり。

白楽天の遺文の文集にいらざるあり。其の中に、任子行といふものあり。彼の文には、狐の女人となりて、男に会ひたりけるを、彼の男深く愛念して、暫くも離れじオープンアクセス NDLJP:161としける程に、かりばへ出づるとて、馬の前に乗せてけり。能き犬を具したりけるが、此女の狐なる事を知りて、飛上りて喰落してけり。其事を作りたる文なり。行といふは、謡歌などていのものなり。文筆の一つの姿なり。

 宜秋門院の御名(〈任子〉)事有定、王道の帖に有之、

唐国の習は、女には十六にて、必ず嫁娶の儀あり。国王親王などにも合はするなり。或国王の女、父の王に申されけり。若し夫をまうくべくば、宋弘といふ者を合はせ給へと。王此の事を聞きて、彼の人を召して、其由仰せられければ、叶ふまじき由を申しけり。王驚きて、其故を問ひ給ふに、宋弘申して云く、貧賤之知音不忘、糟糠之妻不堂といふ本文の侍るに、我昔貧しかりし時より、相具したる妻あり。彼を去りて、王女を相具し奉る事、えなむあるまじきと申しける。いと有難き事なり。此国には、惟成弁貧しかりける世に、恩深かりける妻を去りて、花山院の御時、世にあふ折、満仲といふ武者が壻になりたりける、宋弘には劣りたる心なりかし。宋弘はゆゝしきみめよしなり。さて王女も、思を懸け給ひけるにや。

漢文帝と申しける君は、あまり国を安くし、民を憐みて、倹約を好み給ふとて、上書の袋を縫ひ集めて、帳に垂れてぞおはしましける。上書の袋といふは、賢臣の君を諫め奉る文をば、うるはしく白き絹に縫ひくゝみて、縫目に封を書きて奉る事なり。文一つ縫ひくゝみたる袋なれば、いかに広しといふとも、一一三寸には過ぎず。夫を縫ひつゞけて、帳に垂れ給ひけん、いとやむごとなき事なり。されば保胤は、漢文帝を異代の聖主とす。倹約を好みて、人民を安くするが故にと書きたるなり。凡そ漢家の習は、臣の諫め事を聞くなり。賢愚をいはず、位に即きぬる始めには、能直言極諫の士を奉れといふ、遍き宣旨を下すなり。此の宣旨によりて、官職を負ひたるもの、さもある人に限らず、山の奥谷のはざまに身を隠し、跡を絶ちたる者共まで、劣らじ負けじと、世の悪く政の悪き事を書記して、憚なく君に奉るなり。いかなる暗主といふとと、一返り之を見ぬことはなきなり。賢王は之を用ふ。さらぬは、見る甲斐はなけれども、凡て見ぬ事はなき習なり。賢臣の君を諫めたる物語は、余りに多かれば、記し尽すべからず。

オープンアクセス NDLJP:162漢朝の習、其司に随つて、其事を行ひて、互に猥がはしき事なし。丙吉といふ丞相ありけり。道を行くに、人を殺したる者、刀を抜きて走り合へり。少しも之を見入れず驚かず、多くの供人あれども、捕へ搦めよといふ事なし。其従へる者も、怪しと思ひて過ぎにけり。次に牛の一頭喘ぎて立てりけるを見て、甚だ怪しみ騒ぎて、其主を尋ねて、其故を問ひけること、事も愚ならず。人其故を問ひければ、丙吉云く、公に仕うまつる習、我が道ならぬ事を知るは非礼なり。先に殺害の者過ぐといへども、武官世にあれば、我れ是を知るべからず。今一牛の喘ぐに合へり。寒天に牛の喘ぐ、是れ陰陽の違へるなり。大臣の位に居るものは、最も陰陽を修むべき器なる故なりといひけり。

周勃といふ者あり、国王是を召して、一年中の米穀の用途を数へよと宣ひければ、え数へずして、其汗ころもを通りにけり。次に陳平といふ者を召して、又同様に問はれければ、少しも騒がずして、是は我が知るべき事にあらず。治粟内史といふ司あり、此事を知るべき者なりといひければ、即ち彼れを召して問はるゝに、明かに数を申してけり。此の二人が事を、宰相入道震撼振表に書きて云く、

 応対易忤汗通周勃之背、陰陽難理牛喘丙吉之前

漢土の隠者は、皆悉く一旦は君の召に従ひて、出で仕うまつるなり。巣父・許由なども、皆出でて又返り隠れたる者なり。まめやかに世を遁れんの心深き者は、召出でて使はるれども興もなく、物の要にも叶はねば、君の御心行きて、返しも使はじ。暫しありて引入るを、又も召さぬなり。少し世にある心ある者は、やがて仕うまつりつきて、官職をも帯するなり。浅く思ふには、何しに一旦も出づるやらむと覚ゆれども、よく思へば、いはれたる事なり。出でずば須く死ぬべきにあるなり。伯夷叔斉が首陽の蕨を食はずして、死にたるが如し。

南史隠逸伝といふ文を見しかば、隠者は賢なり、朝にあるものは愚なりといふことをいひて、又之を問ふに、何かは必ずさるべき。世にあるが賢く、隠れたるが愚なる事もありなむといへるを、又文これを答ふるに、世にあらむよりは、身安かるべき道を知らざる所が、一もいかにも隠者には劣りたるとぞいへる、まことにさる事オープンアクセス NDLJP:163なり。

徐孝克といひける者、文学を極めて、才学広かりけり。飢渇の世に会ひて、母を養ふに力なし。最愛の妻の容よきをぞ持ちたりける。其時猛将なりける者の、勢力いかめしかりける、此妻を懸想しければ、快く譲り与へて、彼が憐れみを蒙りて、うゑの世に、母を養ふこと懇なり。妻にも離れにければ、出家して仏道を勤むる程に、又内典を極めてけり。其後猛将事に会ひて亡び失せぬ。元の妻、道に遇ひて、懇に語らひて、昔の如く相具せんといひけり。既に仏弟子として、威儀を正しくすといへども、暫く物もいはで打案じて、猶此女や去り難かりけん、忽に僧形を改め、還俗してけり。おほやけ是を用ひ給ひて、とかくする程に、家貧しかりければ、出仕の力を給ひて、召使ひければ、容は俗に返り乍ら、心は未だ道を忘れず、君の恵あれども、人に与へて身に用ひず、怪しき姿にて、君の門に出入しければ、王よく恵みて、此外に賜物を増しけるにぞ、少し宜しくて見え奉りける。出家の時の学問も、人に勝れたりければ、内典の方にも召仕はれて、俗形乍ら、僧の座に交りて、講経論議しけるに、有智の禅侶にも稍勝りてぞありける。君の御前にて高座に上りて、仁王般若経など講じけり。抑返り住まむが為めに、還俗する程に覚えけん妻室を、我が母養はんが為に人に与へけん、孝養の心、類なき者なり。又還俗の咎を許して、内外の才智を用ひ給ひけむ、君の御心もいとやんごとなし。凡そ漢土には、在俗の法門をさとる僧に交はりて、論説する事常の事なり。日域には、聖徳太子、其類におはします。

陸法化といひける者は、たけきけだ物ありける山に向ひて、三帰戒を授けたりければ、其山の猛獣、永く人を害せずなりにけり。是も在俗の法の験ある類なり。又土の中より、亀多く出でたりければ、此亀は過去の七仏の時より、爰に在りとなんいひける。古き人の、さまの物語を、自ら廃忘に備へんが為めに、書き集めて侍りし。忘れて年を経て、箱の底に朽ち残れり。いほりを払ふ塵の中より求め出でて、暮し兼ねたる雨の中に之を記す。水茎の古き跡を改めて、やまと葦原の言草に書き流す。是れ猶要なき仕業なり。早く煙となすべし。建保十とせの卯月のしものオープンアクセス NDLJP:164三日これを記す。

 
続古事談第六大尾
 
 

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