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  • 興福寺衆徒牒延暦寺衙来牒一紙牒、夫観行五品之居勝位也。学頓於河淮之流。等覚無垢之円上果也。敷了義於印度之境。是以隋高祖之崇玄文、玉泉水清。唐文皇奮神藻、瑶花風芳。遂使一夏敷揚之奥■遥伝于叡山。三国相承之真宗、独留于吾寺以降、及于千祀、軌垂百。寔是弘仏法之宏規、護皇基之洪緒者也。彼尊氏・直義等、遠…
    87キロバイト (21,167 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
  • 南北は金剛山につゞきて而も峯絶たり。されども高さ二町許にて、廻り一里に足ぬ小城なれば、何程の事か有べき〔と〕、寄手是を見侮て、初一両日の程は向ひ陣をも取ず、責支度をも用意せず、我先にと城の木戸口の辺までかづきつれてぞたりける。城中の者共少しもさはがず、静まり帰て、高櫓の
    42キロバイト (10,318 語) - 2022年12月1日 (木) 07:58
  • 然ニ西洋万国日新ノ今日ニ至テハ、昨年ノ良法モ今日ニハ迂澗ニ属スル程ノコトナルヲ矢張リ旧習ニ泥(なづ)ミ、一新ノ出来ヌト云ハ如何ナル心底ゾヤ。外国近時南北米利堅(めりけん)ノ戦ノ様子、又当年普魯西(ぷろしや)ノ勝利、烈戦新器ノ事、又我ニテハ長ノ兵制変革シテ幕軍ヲ破リシコトナド、的然明拠ナリ。横浜新聞紙…
    19キロバイト (2,970 語) - 2018年12月16日 (日) 01:00
  • し、川野が勢三百余騎、陶山が勢百五十余騎は引分て、蓮華院の東へぞ廻りける。合図の程にも成ければ、八条川原の勢、鬨声を揚たるに、敵是に立合せんと馬を西頭に立て相待処に、陶山・川野四百余騎、思も寄らぬ後より、時を咄と作て、大勢の中へ懸入、東西南北に懸破て、敵を一所に不打寄、追立々々責戦。川野と陶山と…
    53キロバイト (12,774 語) - 2024年4月7日 (日) 20:28
  • よ。」と仰せ下されければ、英憲畏て右方権禰宜行親を以て是を納め奉る。暫くあて宗院法印定宗、同宿五百余人召具して参りたり。君大に叡感有て、大床へ召る。定宗御前に跪て申けるは、「桓武皇帝の御宇に、高祖大師当山を開基して、百鎮護の伽藍を立られ候しより以来、朝家に悦び有る時は、九院挙て掌を合せ、山門に…
    74キロバイト (17,423 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
  • 南北に充満たれば、今は叶じとや思けん、三井寺の衆徒共、或は金堂に走入て猛火の中に腹を切て臥、或は聖教を抱て幽谷に倒れ転ぶ。多年止住の案内者だにも、時に取ては行方を失ふ。況乎四国・西国の兵共、方角もしらぬ烟の中に、目をも不見
    56キロバイト (13,578 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
  • に又南北神訴に及び、衆徒鬱憤して忿らば、以外の珍事なるべしとて、枉諸事先院宣を被成下、「勅願の義を被停止、為御結縁翌日に御幸可成。」被仰ければ、山門是に静りて、神輿忽に御帰座有しかば、陣頭警固の武士も皆馬の腹帯を解て、末寺末社の門戸も参詣の道をぞ開きける。 209 天竜寺供養事付大仏供養事 此
    55キロバイト (12,804 語) - 2022年12月1日 (木) 08:01
  • 千種頭中将忠顕朝臣は、五百余騎にて大渡の橋を打渡り、赤井河原に被扣。結城九郎左衛門尉親光は、三百余騎にて狐河の辺に向ふ。赤松入道心は、三千余騎にて淀・古河・久我畷の南北三箇所に陣を張。是皆強敵を拉気、天を廻し地を傾と云共、機を解き勢を被呑とも、今上の東国勢一万余騎に対して可戦とはみへざりけり。足…
    56キロバイト (13,597 語) - 2022年12月1日 (木) 08:00
  • 南北に分れて此に戦ひ彼に寇せしかば、呉越の会稽に謀しが如く、漢楚の覇に軍せしにも過たりしに、今は散聖の道人と成せ給て、玉体を麻衣草鞋にやつし、鸞輿を跣行の徒渉に易て、迢々と此山中迄分入せ給たれば、伝奏未事の由を不奏先直衣の袖をぬらし、主
    60キロバイト (14,840 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • 南北の際も、何れとも堺もなく、唯田舎の在郷の如し。熟(つく〴〵)と御目に止められて、其後幽斎を召して御尋ありけるは、花洛とは、昔より言伝へぬれども、京都の今の有様は、言語道断、衰落至極して覚ゆる。洛中洛外とは、何れより何方といふ堺なし。其内野の
    3キロバイト (60,610 語) - 2024年2月3日 (土) 11:07
  • が勢を弊に乗て討んとて、武田伊豆守七百余騎にて進だり。楠が二陣の勢千余騎にて蒐合ひ二手に颯と分て、一人も余さじと取篭る。汗馬東西に馳違、追つ返つ旌旗南北に開分れて、巻つ巻られつ互に命を惜まで、七八度まで揉合たるに、武田が七百余騎残少なに討るれば、楠が二陣の勢も大半疵を被て、朱に成てぞ控たる。小旗一揆…
    65キロバイト (15,999 語) - 2022年12月1日 (木) 08:01
  • NDLJP:207】奉加。大工大坂藤原頼朝。塩村彦右衛門尉。已。此御主殿ハ。大坂ニテ組合テ。船ニテハコヒ来テ建ルト云云。今ノ御堂。東西八間半。南北七間ナリ。四方ニ一間宛ノ椽アリ。前ニ一間ノ落椽アリ。対面所ハ。六間四方。四面ニ一間ノ椽アリ。御主殿南北六間半。東西四間半。三方ニ半間ノ落椽アリ。東ノ方ニ車ヤト…
    147キロバイト (24,775 語) - 2024年4月5日 (金) 18:19
  • 陣鯨波ヲ発シ互ニ乱入テ戦タリ土気勢ヒ義ニ進ミ今度ノ合戦ニ後ロヲ見セテハ後日ノ嘲リ一期浮沉是時ニ有荒手ノ兵ヲ入替東西ニ靡南北ニ分レテ万卒面進メ一挙ニ死ヲソ争ヒケル房州勢長途ニ労レ其可㆓入替㆒荒手ノ勢ハナシ終日戦ニ草臥終ニハ備ヲ乱シ馬ノ足ヲ立兼吾先ニ逃ケル爰ニ竹内太郎左衛門ト云者有敵ノ色メキ立テ逃支…
    44バイト (10,267 語) - 2024年4月19日 (金) 07:07
  • 神皇正統記 (カテゴリ 南北朝時代 (日本))
    い)をまぼることたえにけるを、南都(なんと)の思(しゑん)人等章疏(しやうしよ)を見あきらめて戒師(かいし)となる。北京(ほくきやう)には我禅人(がぜんしやうにん)入宋(にふそう)して彼土(かのど)の律法(りつほふ)をうけ伝てこれをひろむ。南北の律再興(さいこう)して彼宗に入(いる)輩(とも…
    373キロバイト (76,412 語) - 2023年8月17日 (木) 14:28
  • 、有㆓御成敗㆒不㆑可㆑然、得㆑恩不㆑顧㆑恩、不㆑異㆓野鹿踏㆑草巣鳥枯_㆑枝、抛㆓捨万事之先兆㆒、和下睦申事、可㆑速㆑返㆓於掌㆒如㆑此、国蓋相応、可㆑為㆘積善余慶満㆓家門㆒、栄花永伝㆓子孫㆒基㆖、若又方不㆑合、可【 NDLJP:44】㆑為㆘貪㆓善利㆒不㆑顧㆓後害㆒類㆖、朱雲折檻、辛毘引㆑裾、種々雖…
    44バイト (8,096 語) - 2024年4月19日 (金) 06:22
  • て聞く時は、心なき啼鳥も哀を催す歟と覚へ、岩漏水の流までも、悲を呑音なれば、通夜丘の前に畏て、「つく/゛\と憂世の中の成行く様を案じつゞくるに、抑今の世何なる世なれば、有威無道者は必亡ぶと云置し先賢の言にも背き、又百を守らんと誓ひ給し神約も皆誠ならず。又いかなる賎き者までも、死ては霊となり鬼と成…
    48キロバイト (11,581 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • 堂大般若経在之 御造替材木木津迄着間奈良中南北郷民能出自木津大持曳之○十日 今日赤沢【 NDLJP:215】新兵衛内堀以下宇治立木津狛祝薗以下着陣云々依之常国衆戌亥脇郡山辺被陣取訖南方衆次第ニ北勝手被陣取云々 南堂経今日迄也○十二日 今日於南
    47バイト (16,712 語) - 2024年4月5日 (金) 23:03
  • に、六角の小堂、道の中心に当れり。是れ聖徳太子作り給へる、六角の小堂なり。宣旨に云く、他所へ渡すべし。玆に勅使祈請して云く、此所に住まんと思召さば、南北の間に、少し入り給へと申すに、空俄に暮れふたがりて、五丈計り北へ引入りにけり。さて六角の小路を通しつ。其後五百余歳を経て、天治二年十二月五日、京中大…
    174バイト (5,346 語) - 2024年2月10日 (土) 09:45
  • 七巻冊子 (カテゴリ 南北朝時代 (日本))
    七巻冊子 編者:近藤瓶城 明治35年 1902年 『七巻冊子』(しちかんさっし)“此書は南都僧侶の記せるものにして、其載する事項は南北朝の時事なり、建武元年(1334年)正月に始り、永和三年(1377年)十月に終る、此書固と無名の冊子なりしを、後人の仮りに七巻冊子と題名せしものならんか、原書には、七…
    47バイト (20,390 語) - 2024年4月5日 (金) 23:05
  • 申は、秦の始皇帝の都、咸陽宮の一殿を摸して被作たれば、南北三十六町、東西二十町の外、竜尾の置石を居へて、四方に十二の門を被立たり。東には陽明・待賢・郁芳門、南には美福・朱雀・皇嘉門、西には談天・藻壁・殷富門、北には安嘉・偉鑒・達智門、此外東・西、二門に至迄、守交戟衛伍長時に誡非常たり。三十六の後…
    57キロバイト (13,747 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
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