モイゼ五書解説 (フランシスコ会訳)

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『聖書創世記 原文校訂による口語訳』
フランシスコ会聖書研究所、
1958年12月発行
『フランシスコ会訳聖書

目次

[編集] 聖書とキリスト

 聖書は他のいかなる本とも趣を異にする。すなわち聖書は「聖霊の神感によってしるされたもので、神をその著者とする。そして神を著者とする神感の書として公教会に託されている」(ヴァチカン公会議)。この理由から、聖書は人に「真理」を教え、人に永遠の「生命」にいたる「道」を示し、かつ人をそこへ導くという点において、他の本の追随を許さない。

 さて、キリストは、「わたしは道であり、真理であり、生命である」(ヨハネ14:6)と言われている。したがって、聖書の第一目的は、当然、人をキリストへ導くことである。それゆえに、聖ヒエロニムスは、「聖書を知らないことは、キリストを知らないことである」と言っている。

 聖書がキリストと密接な関係にあるもう一つの例をあげよう。すなわち聖書は、神感によって人間のことばで表わされた神の「ことば」であり、キリストは、肉となってわれわれのうちに住んでおられる「みことば」(ヨハネ1:14)である。「神の実体としてのみことばが、罪以外のすべての点で人となられたように(ヘブライ4:15参照)、神のことばは、誤りを除くすべての点で人のことばとなったのである」(ピオ十二世)。

 聖書には、神がご自身の民をどのように扱ったかをしるした記録がある。このことはその民のことばと考えで表わされている。神が彼らの不完全なことばと考えを用いた理由は、彼らにこの記録をよりよく理解させ、かつ徐々にではあるが、着実にキリストへ、そしてキリストを通じてご自身へ、彼らを導くためである。神はご自身の考えをその民に理解させるために、彼らのことばや考えだけでなく、彼らが使うさまざまの文体や筆法、ならびに構成法も用いている。金口の聖ヨハネはこのことを、「神のへりくだり」と言っている。これらの特殊問題については、創世記解説で詳述し、ここでは一般問題を述べるにとどめる。

[編集] モイゼ五書は旧約聖書の基

 聖書は歴史書、教訓書、預言書の三つに大別される。この三大別は旧新両約聖書にあてはまる。旧約聖書のはじめの五書であるモイゼ五書は、歴史書に属し、旧約全書の基をなしている。新約聖書では、歴史書に属するはじめの四福音書がその基をなしている。

 福音書がキリストの教えを含んでいるように、モイゼ五書はモイゼの教えを含んだもの、ということができる。モイゼの全事業は、選民をまとめ、彼のあとに来る彼のような大預言者キリスト (申18:15、使3:22 7:37参照)への道を示すことであった。キリストは、「モイゼはわたしについて書いたのである」(ヨハネ5:46-47)と言われている。

 しかしながら、福音書もモイゼ五書も、全部が歴史だとはいえない。福音書の大部分はキリストの教えから成り、よく説教や教諭の形でしるされている。これらは、使徒とともに過ごされたキリストの生涯の骨組となっている。同様に、モイゼ五書の大部分はモイゼの律法から成り、よく説教や教諭の形でしるされている。これらは、選民とともに過ごしたモイゼの生涯の骨組となっている。

 モイゼ五書の第一書、創世記はほとんど大部分が歴史である。第二書の出エジプト記と第四書の民数記とは、それぞれ歴史と律法から成っている。第三書、レビ記はほとんど大部分が律法で、第五書、申命記の大部分は、内容が律法、形式は遺言である。

 五書の中では律法が優位を占めているので、五書全体はイスラエル人、キリス卜、使徒たちによって「律法書」と呼ばれ、「預言書」や「その他の書」と区別されている(シラ書の序、マテオ5:17 11:13、使13:15参照)。

[編集] モイゼ五書とモイゼ

 「律法」がイスラエルの立法者モイゼから出たものであることは、はじめからイスラエル人の信ずるところである (ヨハネ1:45およびルカ24:44のキリストのことば参照)。しかしながら、おきてにモイゼの名がはいっているとはいえ、それらのあるものは、モイゼ以後に定められたものであることは、はっきりしている。レビ記のほとんど各章の書き出し文句「ヤーウェはモイゼに仰せられた」は、単に「神によって認可されたおきてを、イスラエルの立法者の精神に従い、次のとおり定める」を意味するものである。すなわち「このおきては神感によるものである」というイスラエル的な言い回しである。

 五書のある箇所は、モイゼの手によって書きしるされたことになっている (出17:14 24:47 34:27、申31:9 24-26参照)。またモイゼは、律法を簡明に系統立てて述べ、選民を神に結びつけておく手腕に、驚くほどひいでていた。これは、彼がファラオの宮廷で得た「エジプト人の知恵」(使7:21-22)と、神から直接受けた教え(出 24:3 34:27-28 32-34参照)とによるものである。とはいえ、社会状態の変化のはげしかったモイゼ以後の数世紀を通じて、生きている人間のための社会上、宗教上の律法に、全然変更もしくはつけ加えがなかったということは、考えられない。モイゼの教えは、大部分が読み書きのできなかった荒野の遊牧民の間で、口から口へと伝えられたものと思われる。また約束の地を征服するまでの安定しなかった約二百年の間も、同じく口で伝えられたものと思われる。

 福音が、最初、口で伝えられ、約二十年後に書きしるされたことは、以上のことにいくらか類似したものである。これはアラム語でしるされた聖マテオの福音書のことであるが、原著は失われ、後にギリシャ語に訳されたものが現存しているだけである。原語でしるされた現存するいちばん古いものは、聖マルコの福音書である。これは、五旬祭の日に福音をはじめて説教してから約三十年後に、ローマにおいてギリシャ語でしるされたものである。

[編集] 五書の構成に関する諸説

 前述の考察に照らして、今日、割合一般に認められている五書の構成に関する説は、次のとおりである。モイゼからの言伝えをまとめて書きしるしたいちばん古い記事(あるいは語句の固定した口伝)は、最初の五旬祭の日にシナイ山上で律法が発布されてから三百年以上たって、構成されたものとしている。神を表わすのに「ヤーウェ」という固有名詞を用いているので、ヤーウェ伝承(J伝)として知られているこの記事は、紀元前九世紀ごろ、すなわち王国の分裂後、南のユダ国においてしるされた(あるいは語句が固定した)ものと思われる。このヤーウェ伝承は、ユダ族に照明をあてたものである。

 第二に古い記事(あるいは語句の固定した口伝)は、紀元前八世紀ごろ、北のイスラエル国において構成されたものと思われる。これは、神を表わすのに「エロヒム」という普通名詞を用いているので、エロヒム伝承(E伝)として知られている。結局、ユダ国における言伝えがヤーウェ伝承となり、イスラエル国における言伝えがエロヒム伝承となったのであろう。両伝承とも、多少の律法を含んではいるが、大部分が歴史である点で似かよっている。

 モイゼから伝わった社会上、宗教上の律法の主要部分も同様に、イスラエル国とユダ国において、それぞれの歴史を骨組として、別々の固定した伝承となっていったものと思われる。すなわち北のイスラエル国における律法に関する言伝えが、申命伝承(D伝)と呼ぼれる第三伝承となったのであろう。この伝承は申命記だけにあらわれる。第四伝承は司祭伝承(P伝)と呼ばれ、南のユダ国のエルサレムに住む司祭たちによって伝えられたものであろう。これも律法から成る。(J、E、D、Pは、それぞれのドイツ語名のかしら文字である。)

 以上四つの型にはめられたモイゼからの言伝えは、キリストの生涯と教えを含む四福音書と同じように、それぞれ独特の特徴、見解、目的を持っている。(このことは創世記にはっきりあらわれるので、創世記解説で述べる。)しかしこれら四つの伝承は、それぞれ別々のものとして保たれず、組み合わされて一つのものにされたという点で、四福音書と異なる。ちょうど四福音書が紀元二世紀に、タチアヌスによって巧みに組み合わされ、ほとんど一言一句も失うことなく、一つにまとめられたようなものである。この「合併福音書」のシリヤ語訳は、近東では一般に受けられ、ある教会では一時、典礼に用いられたほどである。このような文章の組立てが受けいれられたことは、それ以前のセム人の間でも、類似した別々の伝承を一つに組み合わす才能をもった者がいて、それらが受けいれられた、ということを意味する。しかしながら、これら四伝承は、同時に組み合わされたタチアヌスの合併福音書とは異なり、順次に組合わされていった。最初の組み合わせは、七百二十一年のイスラエル国滅亡のあとに行われたものと思われる。すなわち南のユダ国のヤーウェ伝承に、北のイスラエル国から持ちこまれたエロヒム伝承がぴったりはめられたわけである。

 次の組合わせは、このヤーウェ・エロヒム合併伝承の終りのほうに、イスラエル国の申命伝承をさしこんだもので、ユダ国王ヨシヤ時代の六百二十二年に、エルサレムの神殿に「律法書」が発見されてから後に、行われたものと思われる(列下22を参照)。どうしてこの「律法書」が神殿に置かれたかは不明であるが、「申命伝承」と密接な関係をもつものであることは、一般に認められている。

 エルサレムにおけるユダ国の司祭たちが伝えた律法、すなわち司祭伝承は、エルサレム滅亡後、おそらくバビロン幽囚中に、最後の形をとったものと思われる。そして、本国帰還後、神感をうけた編者によって、本伝承の骨組である歴史が、モイゼ五書の最後の構成にあたっての骨組として、用いられたのであろう。モイゼ五書のおもな資料である四つの伝承が、三回にわたって順次に組み合わされたわけであるが、この第三回目の編者は、紀元前四百年ごろ宗教改革を断行したエズラである、と見るほうがよかろう。多くの教父たちが支持しているユダヤ伝説(聖書外典、エズラ第四書-ヴルガタ訳の多くの版では附録となっている-14章参照)は、文筆の素養を必要とするこのような一大事業は、司祭エズラの手に成るものであるとしている(時に同書14:21 22参照-律法書が焼けてなくなっているので、エズラは、その中にしるされた世の初めからのことを、すべて書きしるすことができるようにと、聖霊を求めて祈っている)。とにかく現在われわれが手にするモイゼ五書は、紀元四世紀にサマリア人とユダヤ人がはっきり分れてしまう以前に、最後の形をとったものであることは、あきらかである。というのは、それ以後、ユダヤ人とサマリア人は交わらなかったのに(ヨハネ4:9参照)、彼らのモイゼ五書は同じだからである。

 モイゼ五書の四伝承に関するこの一般的な説が発展していくうちに、さらに細かな層に再分しようとする多くの試みがなされた。そして、ヤーウェ伝承の中には、ある記事に並行した箇所または追加されたものがあるという説が、最近ある程度認められるようになった。ヤーウェ伝承からほどかれたこのような別個の言伝えを俗間伝承(L伝)と呼んでいる。これは基本ヤーウェ伝承(単にJ伝)よりも古く祭儀のことにあまり触れていない、と見られている。また、別の基準によれば、これと少し異なる形が見られる。それはエドムから来たものと考えられるので、セイル伝承(S伝)と呼ばれている。これも基本ヤーウェ伝承よりも古く、紀元前十世紀に構成されたものと見られている。

 モイゼ五書の出所研究が進むにつれ、五書に続くヨシュア記、あるいは士師記やルト記まで含めて、それぞれ「六書」「七書」「八書」と呼び、一まとめに考察すべきだという説が生れた。他方、申命記は他の四書と符合しないと考え、「四書」だけとする説も生れた。しかし、ユダヤ人は「モイゼ五書」を一括して扱っている。これは使徒および教会によって支持されている。

 以上は簡単な概括的説明で、モイゼ五書の構成に関する全問題は、もつと複雑である。各伝承の性格やそれぞれの関係については、以上のほかにまだなお多くの説がある。そのうちの一つだけを、ここに紹介しょう。

 創世記中のエロヒム伝承は、モイゼが、エジプトからシナイの荒野を横切ってミドヤンにのがれる(出2:15)前に、まとめたものであるという説である。本説はまた、このエロヒム伝承と、これに並行するもっと通俗的なヤーウェ伝承(燃えるやぶの中から神の固有名称「ヤーウェ」(出3)がモイゼに知らされてから後の構成)とを組み合わせたのも、モイゼであろうと見ている。そうだとすれば、少くとも創世記中の基本エロヒム伝承は、ヤーウェ伝承よりも古いことになる。編者が組み合わせ記事の中で、神の名称「ヤーウェ」と「エロヒム」を並べ用いたのは、イスラエル人に、彼らの先祖の神「エロヒム」と「ヤーウェ」は同一であることを、教えるためであったと思われる。モイゼ五書がユダヤ民族の叙事詩であるように、創世記の主題-太祖物語、特にカナアンとエジプトにおける英雄的行為、カナアンの地に関する約束-は、モイゼに導かれてエジプトを脱出し、カナアンに向かったイスラエル人の叙事詩である。これらは他民族の叙事詩の場合と同様、口で伝えられ、数世紀後に書きしるされている。

[編集] はじめて書きしるされたのはいつか

 日本語の「むれ」を漢字で表記する場合、「群」に送りがな「れ」をつけ加えて、「群れ」とするのが、最近の傾向である。したがって、「群」は「群れ」の古い形ということになる。ヘブライ語でも同じように、文字に古い形と新しい形がある。それぞれの語について、古い形と新しい形の文字が何回ずつ用いられたか、という相対度数に関する研究は、各種伝承の相互関係に興味ある側光を投じている。もちろん、このような統計は、モイゼ五書のどの部分がさきに書きしるされたか、という相互関係を示すにすぎない。ある場合には、特に律法に関しては、その部分が書きとめられた時と、それが属する伝承の書きとめられた時とは一致しないであろう。他方、歴史の部分に関しては、よく符合するはずである。以上の問題や、またこのような統計上の研究に必ず付随しておこる諸問題があるとはいえ、最近の研究において、この基準の適用がもたらしたある結果に目を留めてみよう。(A. Murtonen, "The Fixation in Writing of Various Parts of the Pentateuch," Vetus Testamentum 3 (1953)46-53)それは、モイゼ五書の原文を、伝承、内容、背景、文章の独立性から見て、四十四に分類したものである。

 これにもとづいて、モイゼ五書中の最も古いものを七つ、古い順に列挙すれば、次のとおりである。

1、E伝……十戒(出 20:2-17)
2、E伝……トランス・ヨルダンにおけるイスラエル人の歴史を物語る独立文章(民20 21 23の部分)
3、P伝……民数記15のおきて
4、E伝……太祖の歴史(創12-50)を物語る創世記中の独立文章
5、J伝……出エジプト記および民数記10-12の部分中の歴史を物語る独立文章
6、E伝……契約のおきて(出20:22-23:19)
7、P伝……民数記28-30のおきて
これに続く表の中から、前記の4に続く創世記開係のもので、比較的重要なものをあげれば、次のとおりである。
12、P伝……太祖の席史を物語る独立文章
18、J伝……右に同じ
19、J伝……太祖の歴史を物語る非独立文章(他の伝承と合併)
21、E伝……右に同じ
29、J伝……世界と人間の起源(創 1-11)を物語る独立文章
31、P伝……太祖の歴史を物語る非独立文章
33、P伝……世界と人間の起源を物語る独立文章
この分類によるモイゼ五書中の一番新しい箇所は、
44、P伝……洪水以前の太祖の系図(創5、アダムからノエまで)である。

 前述のような諸問題があるとはいえ、この研究からひきだされる結論を見て、まず驚くことは、外見上、律法が歴史よりも、後の歴史が創世記の歴史よりも、太祖物語が世界と人間の起源よりも、一般にエロヒム伝承がヤーウェ伝承よりも、先に書きしるされたようになっていることである。しかし、これらのことは、よく考えれば、納得できないことはない。

[編集] 諸説の沿革

 各種伝承はそれぞれ特徴をもち、時を異にして構成され、組合わされ、そしてまた、部分ごとに時を異にして書きしるされたにもかかわらず、モイゼ五書は、非常に巧みに一つにまとめられているので、約二百年前の一七五三年になってはじめて、フランス王ルイ十五世の侍医J・アスツルック(J. Astruc)によって、創世記は並行する二つの主要伝承から成る、という説が発表された。彼は両伝承をそれぞれ、エロヒム伝承、ヤーウェ伝承と名づけた。他の学者たちはこの出所研究をモイゼ五書全体に及ぼし、それから五十年後に、エロヒム伝承から司祭伝承を見つけだし、百年後に、ヤーウェ伝承から申命伝承を見つけだした。

 十九世紀後半における最も有名な学者は、J・ウェルハウゼン(J. Wellhausen)であった。このころから、あやまった哲学原理が創世記の出所研究に適用され、必然的にその根本の前提と同様、あやまった結論が生れた。すなわち超自然の力とか聖書の神感性の否定を前提とする唯理主義が、この研究に適用され、モイゼ五書の史実性および五書とモイゼとの関係が否定されるようになった。これらのあやまった結論に関する質問に答えて、教会は、教皇庁聖書委員会を通じて、その非を通告し、モイゼ五書の史実性、出所、構成に関する研究において、結論を早急に求めないようにと警告した(一九〇五、一九〇六、一九〇九年の回答)。

 ところが、過去半世紀間における考古学上の発見、および、それに関連のある科学の長足の進歩、ならびに、古代近東の歴史に関する言伝えの重要性と確実性の発見にともなって、研究に適用されたこれらのあやまった原理、あやまった結論は、しだいに捨てられるようになった。したがって、教会が警告してきた危険性もしだいに少なくなってきたわけである。また他方では、考古学、古生物学が発達し、これらが聖書研究のための新開拓地となった。このような事情に直面して、教皇ピオ十二世は、一九四三年に聖書研究の奨励に関する回勅を出された。その中で、教皇は、聖書神学をおろそかにすることなく、むしろさらに、これを重視して、古代の文物、風習、制度をよく研究するようにと、特に力説されている。

 最近の指示は、一九四八年に聖書委員会の書記からパリの大司教スアー枢機卿(Card. Suhard)にあてられた書簡の中に見られる。本書簡は、「モイゼ五書の出所と創世記のはじめの十一章の史実性」だけについて論じている。まず前記の三つの回答に言及した後、モイゼ五書の出所に関する第二の回答を取り上げ、次のように述べている。「モイゼ五書の構成に関し、聖書委員会は、一九〇六年六月二十七日の前述の布告の中で、モイゼが『書を著わすにあたり、口伝または文書を資料としたこと』、およびモイゼ以後の者がこれに筆を加えたり、書き改めたりしたことは、肯定してもさしつかえない、と言っている。今日、モイゼ五書には出所があるということを疑ったり、また後年の社会上、宗教上の事情によって、モイゼのおきてが次第にふえたということを疑う者はだれもいない。この社会上、宗教上の過程は、歴史物語の中にもあらわれている」。

 以上の声明と、これとほとんど同時になされた有名な考古学者による発表(W. F. Albright, The Archaeology of Palestine (1949), p. 224)とを、比べてみるとおもしろい。彼のことばは、この複雑きわまる問題に対する今日の結論の大略を、ほとんど言い表わしている。彼は次のようにしるしている。「概して、モイゼ五書が物語っている時代は、それが最終的に編集された時よりも非常に古い。その史実の確実性や文章の古さは、新しい発見によって、次々に確証されている。モイゼの言伝えの核心に、後年つけ加えがあったと仮定する必要がある場合でも、それらのつけ加えは、古代の風習、制度の正常な発達を反映している。また後年の筆記者が、モイゼに関する残存の言伝えを、できるだけ多く保存しようと努力したことをもあらわしている。したがって、五書の著者は本質上モイゼである、ということを否定するのは、全くの酷評である」。

 前述の聖書委員会の書記からスアー枢機卿にあてられた書簡は、ピオ十二世の回勅を次のように引用して終っている。「(本研究に)必要とされるものは忍耐である。忍耐は、日常生活に必要な賢明と知恵の部分である。教皇は言われた、『むずかしい問題がすべて解決されていないことに、驚くものはだれもいない。……しかし解決されていないことが、研究心を失わせる理由とはならない。地の実りを得るには、最初は種をまき、長期間のほねおりを必要とする。人間のする研究も、これと異なるものではないことを記憶しなければならない。……したがって、今日最も複雑で困難に見えるこれらの諸問題は、絶えざる努力によって、最後には全部解決されるであろう、と期侍してもさしつかえなかろう』」。

 しかし、モイゼ五書が、いつ、どこで、どういうふうに構成されたかについて、いかに多くの問題があろうと、また今日までに解決されていない問題がどれだけ残っていようと、われわれは、それ以上に重要な次の事実に確信をもっている。すなわち、聖書としての五書は神のことばであり、「キリスト・イエズスにおける信仰によって、救霊に至る」 (チモテオ後3:15)知恵をわれわれに与えるものであること、および「神の人は全き者となり、すべての善業にそなえられる」(同書3:17)ということである(コリント前10:11参照)。いかなる時代の人にとっても、聖書の価値が変らないのは、神のことばのゆえである。聖書は、第一に、神が人に「生命」を与えんがためになされたことを、神感をうけてしるしたもので、最終の目的は、その生命に至る「道」を教えることである。聖書はまさしく代々にわたって「真理」である。

 モイゼの言伝えが、彼以後の数世紀の間に、多くの人の手により、異なる社会状態のもとで、それぞれ時を異にして、しるされ、あるいは編集され、ついにモイゼ五書ができあがったわけである。以上の多様性にもかかわらず、その中にすばらしい根本的一致が見られるのは、神がその第一著者だからである。旧新両約全書に驚くべき一致が見られるのも、同じ理由からである。

 モイゼ五書のこの一致は、その綜合計画の中によく見られる。五書は、そもそも、イスラエル人が厳粛な契約によって神に結ばれ、選民となったことをしるした歴史であるが、この記録は、その史実にともなう義務を含んでいるので、同時に「律法」でもある。この歴史と律法は、次のとおり五段階に分れている。

1 創 世 記………イスラエル人を諸民族の中から選ぶ
2 出エジプト記……契約によってイスラエル人を聖別する
3 レ ビ 記………特別の律法によってイスラエル人を清める
4 民 数 記………約束の地への旅
5 申 命 記………約束の地における国家建設の準備

[編集] 奥書

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