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フランクリン・ローズヴェルトの第3回大統領就任演説

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演説

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1789年以来、大統領就任式の日が来るたびに、国民は合衆国への献身の念を新たにしてきた。

ワシントンの時代には、国民の課題は統一国家を樹立することであった。

リンカンの時代には、国民の課題は国家を内部からの崩壊[1]から守ることであった。

今日では、国民の課題は国家及び関連諸機関を外部からの破壊[2]から守ることである。

有為転変の只中にあって、今こそ我々はしばし立ち止まり、考えるべきである――我が国が占めてきた歴史的地位を思い返し、己の今と未来を再発見すべきである。さもなくば、我々は怠慢という真の危険を冒すことになる。

国家の寿命は、歳月によってではなく、人間の精神の継続期間によって測られる。人の寿命は70年前後である。国家の寿命は、その生きる意志を充分発揮できるかによって決まる。

これを疑う者もいる。統治形態としての、生き方としての民主主義は、ある種の神秘的・人為的な運命によって制限または限定されると信じ込む者もいる。何らかの不可解な理由から、専制と奴隷制が大波となって未来を飲み込み――、自由は引き潮の如く衰亡するというのである。

だが我々米国民は、これが真実でないということを知っている。

8年前、この共和国の命運が宿命的な恐怖によって凍結したかに見えた時、我々はこれが真実でないことを証明した。我々は衝撃の只中にいた――だが、我々は行動した。迅速に、大胆に、決然と行動したのである。

その後の年月は、活気ある年月――この民主主義国の人民にとって実り多き年月――であった。我々の安全はより確かなものとなった[3]。そして私は、人生の理想は物的な物事以外で測られるべきだという理解が深まるよう願っている。

民主主義のこの経験は、我々の現在と将来にとって不可欠である。国内の危機を見事乗り切り、多くの悪弊を捨て、新たな永続的構造を築き、それら全てを通じて、民主主義を守り抜いてきた[4]

それは、合衆国憲法が定める三権分立の枠組みの中で行動が取られたからである。政府の諸機関は自由に機能し続けている。権利章典は神聖さを保っている。選挙の自由は完全に守られている。米国民主主義の失墜を予言した者たちは、不吉な予言が無に帰するさまを見てきた。

民主主義は滅びつつある訳ではない。

そのことを我々は知っている。それは我々が、民主主義が復活するさま――そして成長するさま――を見てきたからである。

民主主義は決して滅びない――何故なら、協力して共同事業を行う、個々の男女の妨げられない意欲に基づいているからである。この事業は、自由な多数派の自由な表現によって開始され、継続される。

あらゆる統治形態の中でも民主主義だけが、人々の進んだ意志の総力を得るのである。

民主主義だけが、人間生活の改善における無限の進歩が可能な、無限の文明を造ったのである。

表面下を見れば、全ての大陸で民主主義が拡大しつつあることが感じられる――何故ならそれは、人間社会のあらゆる形態のうちで最も人道的かつ先進的で、つまりは最も打倒され難いからである。

国家には、人間と同じように、身体――現代の目的に見合った衣食住や活力や休息を与えられねばならない身体――がある。

国家には、人間と同じように、知性――知識と注意と自己認識を与えねばならない知性――がある。隣人――狭まりつつある世界の輪の中で生きる諸外国全て――が希望し、必要とするものについて理解する知性がある。

そして国家には、人間と同じように、全ての部分を合わせたよりもより深く、より恒久的で、より大きい何かがある。それは、国家の将来にとって最も重要なもの――国家の現在のため、最も神聖な保護を求めるもの――である。

それを簡潔な言葉で言い表すことは困難である――不可能とさえ言える。

しかし我々は皆、それが何なのかを理解している――それは精神である――米国の信条である。それは、幾世紀も掛かって産み出されてきたものである。多くの国から来た多くの人々――上流階級の人々もいたが大半は庶民であり、日夜この地で自由をより自由に追い求めた――の間に生まれた。

民主主義を欲する想いは、近年になって生じた訳ではない。歴史を通じて絶えず存在してきたのである[5]。それは古代の人々の生活に浸透していた。それは中世に至ると新たな光を放った。それはマグナ・カルタに記された。

米大陸では、それは抗し難い影響を及ぼしてきた。米国が全ての言語、全ての民族にとって新世界であり続けたのは、この大陸が新発見の土地だったからではない。ここに来た者全てが、この大陸で新たな人生――自由で新たな人生――を築けると信じていたからである。

その活力は、メイフラワー誓約に、独立宣言に、合衆国憲法に、ゲティズバーグ演説に記された。

己の精神の熱望を叶えるために最初にこの地へ来た人々、後に続いた何百万もの人々、そして彼らの子孫――は皆、理想に向かって絶えず一貫して前進してきた。その理想は、世代ごとに堅固で明快なものとなった。

共和国の希望は、不当な貧困も利己的な富も永久に許容できない。

我々は、もっと遠くへ行かねばならない。あらゆる市民のため、国家の資源と能力の許す限り、更なる安全や機会や知識を築かねばならない。

だが、これらの目的を達成するだけでは充分とは言えない。この国の身体に衣服と食料を与え、その知性に教養と情報を与えるだけでは充分とは言えない。何故なら、精神も存在するからである。そして、3つのうちで最も重要なものは精神なのである。

皆が知っているように、身体と知性なしでは国家は生きられない。

だが、米国の精神が死んでしまえば、たとえ国家の身体と知性が異質な世界で束縛されながら生き続けたとしても、我々の知る米国は滅びてしまうであろう。

その精神――その信条――は、我々の日々の生活に語り掛けているにも拘らず、余りに明らかに見えるがために、ほとんど意識されることはない。それは、ここ首都で、我々に語り掛けている。国内48の統治過程を通じて、我々に語り掛けている。郡で、市で、町で、村で我々に語り掛けている。半球の諸外国から、海外の諸外国から――自由な人々と同様、隷属する人々からも――我々に語り掛けている。時に我々は、こうした自由の声を聞き逃したり、意識しなかったりする。それは自由という特権が、我々にとって非常に古いものだからである。

米国の命運は、1789年に初代大統領の最初の就任演説にて語られた予言的言辞――この1941年に向けて語ったかのような言辞――において宣言された。「自由という聖なる火と共和制政府の命運とを守ることは、正当なものと看做されており、米国民の手に委ねられた実験に…深く、…究極的に懸かっている」。

もし我々がその聖なる火を失うとすれば――その火を疑念と恐怖で消してしまうとすれば――、我々はワシントンが果敢にも確立しようとしてきた命運を拒絶することになってしまう。国家の精神と信条を守ることこそが、国防という大義のために払うであろうあらゆる犠牲に対する最高の正当性をもたらすのである。

未曾有の大きな危機に直面している我々の強い目的は、民主主義の健全性を守り、永続させることである。

そのために我々は、米国の精神と米国の信条を奮い起こす。

我々は後退しない。我々は現状に安住しない。米国民として、神の意志によって、自国に尽くし、前進するのである。

訳註

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  1. 南北戦争を指す。
  2. ドイツイタリア日本による侵略行為を指す。欧州では1939年に第二次世界大戦が始まった。また、この就任演説の約1年後には、日米が戦火を交えることとなる。
  3. 原文は「they have brought to us greater security」。逐語訳をするならば、「それらは我々に、より大きな安全をもたらした」。
  4. 原文は「maintained the fact of its democracy」。逐語訳をするならば、「その(=米国の)民主主義という現実を維持した」。「fact」は「(空想でないものとしての)現実」の意。
  5. 原文は「The democratic aspiration is no mere recent phase in human history. It is human history」。逐語訳をするならば、「民主的熱望は、人類の歴史における単なる最近の段階ではない。それは、人類の歴史である」。

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