フランクリン・ローズヴェルトの第2回大統領就任演説

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演説[編集]

4 年前、我々が大統領就任式に集ったとき、国民は不安を抱きつつも心を1つにして、ここに立った。我々は、幸福追求に不可欠な安全と平和を全国民が享受できるような時代の到来を促すという展望を遂行すると誓った。我が国古来の信条という殿堂を冒瀆した者たちを放逐すること、そして倦まず恐れず行動することによって、停滞と絶望の日々を終わらせると誓ったのである。我々は、これらの優先課題に最初に取り組んだ。

我々が己に対して為した誓いは、それだけに留まっていた訳ではない。文明の複合化に伴い増大しつつある諸問題を、国民1人ひとりのために皆で解決すべきであるが、そのための手段は政治を通じて探る必要があるということを、我々は本能的に認識していた[1]。政府の助けを借りずにこれらを解決しようとする試みが繰り返されたが、国民は惑うばかりであった。そうした助けなしでは、我々は科学を人類にとって無慈悲な主人でなく有益な下僕にする上で不可欠な、科学の利用法に関する道義的規制を創れなかった。それをするためには、闇雲な経済力や闇雲に利益を求める者たちに対する、実効力ある規制を見出さねばならなかった。

国民は悟った。かつては回避不能と思われた災厄から国民を守り、かつては解決不能と思われた問題を解決する生来の能力が、民主政体にはあるという真理を。我々は、幾世紀にも及ぶ宿命的苦難の果てに、疫病の拡大を防ぐ方法を見出してきた。その我々が、経済的病弊の拡大を防ぐ方法を見出し得ないはずがない。我々は国民福祉という問題を、偶然という風や災難という嵐に曝されたままにすることを拒絶した。

我々米国民は、全く新たな真理をそこに見出したという訳ではない。我々は、自治という書物に新たな章を書き綴っていたのである。

本年は、我が国を創った憲法制定会議から数えて150周年の節目である。この会議において我々の父祖は、独立戦争後の混乱からの出口を見出した。彼らは、個々人や地域では手に余るような問題を解決するのに充分な統一行動の権限を有する、強い政府を築いたのである。彼らは1世紀半前、社会福祉を増進し、米国民に自由の恩恵を確保するために、連邦政府を設立した。

本日我々は、同じ目的を達成するために、同じ統治勢力に訴えたい。

4年間の新たな経験は、我々の歴史的本能を裏切らなかった。自治体の政府、各州の政府、合衆国の政府が、民主主義を犠牲にすることなく時代の要求に応え得るという明確な希望を、我々は抱いた。我々はこの4年間、民主主義を停滞させることなく政策を遂行してきた[2]

人間関係が複雑さを増すにつれて、それらを管理する力――悪を止める力や、善を行う力――も増さねばならないことは、国民のほぼ全員が認めている。国家の根本的民主主義と国民の安全とは、権力の欠如に懸かっているのではない。政治家に権力を委ねることに懸かっているのである。そして国民は、公正かつ自由な選挙制度を通じて、一定期間ごとに彼らを交代ないしは留任させ得る。1787年憲法は、我が国の民主主義を無力にしなかった。

実際この4年間に、我々は全ての権力の行使をより民主的なものにした。我々は、民間の独裁的権力者ら[3]を国民政府に正しく従属させることに乗り出した。彼らは無敵だ――民主的手続きを超越した存在である――という伝説は粉砕された。彼らは挑戦を受け、そして敗北したのである。

我々が恐慌から脱してきたのは明らかである。だが、諸君や私が考える「新たな万物の秩序」とは、それだけではない。我々の誓約は、単に使い古しの材料で継ぎ接ぎの仕事をすることではなかった。後世がより良く利用できるよう、社会的正義という新たな材料を用いて、古き基盤の上により持続的な構造を築く取り組みを進めてきたのである。

その目的に関して言えば、我々は知力や精神力に助けられてきた。古き真理を学び直し、偽りの真理は忘れてきた。我々は、無分別な利己心が悪徳であることはかねてより知っていたが、今やそれが経済的にも悪であることを知っている。繁栄を築いた者らはその実際性を誇っていたものだが、その繁栄が崩壊するさまを見て、経済的道徳の方が長い目で見れば大事だと確信した。我々は、理想と現実とを隔てる線を消し始めている。そうする中で、より良い道徳的世界を築くため、斬新な権力のあり方を考えているのである。

こうした新たな理解によって、世俗的成功自体に対する古き賞賛は徐々に失われている。我々は、利益のためなら人の道にも背くような人々による権力濫用を、許容しなくなり始めている。

この過程においては、これまで容認されてきた悪事は、そう簡単には許されまい。強い意志は、無慈悲な行動をそう簡単には許さない[4]。我々は、好意の時代へと進んでいる。だが、好意の時代が善意の人々の間でしか存在し得ないことは判っている。

だから私は、こう考えている。我々が目撃した最大の変化とは、米国の道徳的気風の変化なのだと。

善意の人々の間では、科学と民主主義は共に、未曾有の豊かな生活と大きな満足感を国民各自に与えている。道徳的気風を変化させ、経済秩序を改善する能力を取り戻したことにより、我々は永続的進歩という道へと足を踏み出した。

今休んで、前途に背を向けるのか? ここを約束の地とするのか? それとも、歩みを続けるのか? 「それぞれの時代は、死につつある夢、または生まれつつある夢」なのである。

我々が大きな決断に直面する時、多くの声が聞こえる。現状に安住する者は言う、「この辺で休もう」と。日和見主義者は言う、「ここは良い場所だ」と。臆病者は問う、「前途はどれほど厳しいのか」と。

実際、我々は停滞と絶望の日々から脱出した。活力は蓄えられた。勇気と自信は回復した。精神や道徳の限界は拡大した。

だが、今日の我々があるのは、異常な状況を強いられた結果である[5]。恐怖や苦痛に苛まれた我々は、前進せざるを得なかった。時代が進歩に味方したのである。

しかし、現在の進歩を維持することは、より困難である。鈍った良心、無責任、冷酷な利己心が、既に復活している。こうした繁栄の兆候は、災厄の前兆になるかもしれない! 繁栄は、我々の進歩的目的が持続するか否かを既に試しているのである。

もう一度考えよう。我々は、1933年3月4日[6]に抱いた目標に達したであろうか? 幸福の谷を見付けたであろうか?

この大きな大陸の上に存在する大きな国家は、天然資源という大きな富に恵まれている。1億3000万の民が、国内平和を享受しつつ、諸外国と良好な関係を築いている。政府の民主的政策の下で、国富を活用して未曾有の快適さをもたらし得ること、単なる生存水準を遥かに上回るところにまで最低生活水準を引き上げ得ることを、合衆国は証明できる。

だがここには、我が国の民主主義への試練がある。この国では、何千万もの市民――全国民のうち、相当な割合の――が、今この瞬間も、まさに今日の最低水準における生活必需品の大部分を得ていない。

何百万もの家庭が、頭上を災厄の影に日々覆われながら、乏しい収入で暮らそうとしている。

何百万もの人々が、都市でも農村でも、半世紀前のいわゆる上流社会ならば劣悪の烙印を押したであろう状況の下で生活している。

何百万もの人々が、教育や余暇の機会、そして自分や子らの生活を改善する機会を得ていない。

何百万もの人々が農場や工場の産品を購入できず、貧困の故に他の何百万もの人々に仕事と生産性を提供できずにいる。

国民の3分の1が衣食住に事欠いている。

私が諸君にそのような絵を描いてみせるのは、絶望しているからではない。私は諸君のため、希望を持って描いている――何故なら、国民は絵の中に不正を見出し、塗り潰そうとしているからである。我々は、全国民を自国の関心と配慮の対象とする所存であり、国内の遵法精神に満ちた人々を余計な存在とは決して考えない。進歩の過程で問われているのは、持てる者の富を増やすか否かではなく、持たざる者に充分な供給をするか否かなのである。

私が自国の精神と目的の何たるかを理解していれば、現状維持派や、日和見主義者や、臆病者の声に我々が耳を傾けることはない。我々は前進するのである。

我々国民の大多数は、善意の男女である。献身的な温かい心以上のものを持つ男女である。実際的な目的の冷静な頭脳と意欲的な手腕を持つ男女である。彼らは、効果的手段で国民の意志を実行するよう、国民政府のあらゆる機関に求めるであろう。

全構成者が全国民のための受託者として働くとき、政府は有効に機能する。全ての事実に通じていれば、政府は常に前進できる。政府の全行動に関する正しい情報を国民が知れば、政府は正当な支持と合法的な批判を得ることができる。

私が国民の意志の何たるかを理解していれば、国民は効果的政府の諸条件が創られ、維持されるよう要求するであろう。不正という癌に侵されておらず、従って平和への意志を諸外国に強く示せる国家。そんな国家を、彼らは要求するであろう。

今日、我々は急激に転変する文明の中にあって長く抱いてきた理想に我が国を再び捧げる。如何なる地でも、人々を引き離す力と結び付ける力の双方が常に働いている。個人の抱負について、我々は個人主義者である。だが、我々が国家として経済的・政治的進歩を追求するに際しては、国民として浮沈を共にするのである。

民主主義的努力を維持するには、様々な取り組みに伴う相当な忍耐や謙虚さが必要である。だが、多くの声が乱れ飛ぶ中から、最重要な社会的需要への理解が生じる。そうすれば、政治指導部は共通の理想について発言し、その実現を援助することができる。

アメリカ合衆国大統領として再び就任宣誓をするに際し、私は国民が選んだ道に沿って国民を導くという厳粛な義務を引き受ける。

この責務を負っている間、私は彼らの目的を語り、彼らの意志を実践するよう全力を尽くす。我々1人ひとりを助け、暗闇に座す者に光を与え、我々の歩みを平和の道へと導いてくれる[7]、神の導きを求めつつ。

訳註[編集]

  1. 原文は「Instinctively we recognized a deeper need -- the need to find through government the instrument of our united purpose to solve for the individual the ever-rising problems of a complex civilization」。逐語訳をするならば、「より深い必要性――複雑な文明の増大しつつある諸問題を個々人のために解決するという結束した目的の道具を、政治を通じて見出す必要性――を、我々は本能的に認識していた」。
    この1文は、経済活動や国民生活に対する政府の関与を増大させるというローズヴェルトの意図を示すものである。
  2. 原文は「Our tasks in the last four years did not force democracy to take a holiday」。逐語訳をするならば、「この4年間の我々の仕事は、民主主義に休暇を取らせなかった」。
  3. 金融業者を始めとする大企業を指す。ローズヴェルトは彼らを恐慌発生の元凶として批判しているのである。
  4. 原文は「Hard-headedness will not so easily excuse hardheartedness」。「hard-headedness」(頭が固いこと、頑固さ、強い意志)と「hardheartedness」(心が固いこと、無情さ、無慈悲な行動)を対比させている。
  5. 原文は「But our present gains were won under the pressure of more than ordinary circumstances」。逐語訳をするならば、「だが、我々の現在の利益は、通常の状況を超えた圧力の下で勝ち取られた」。
  6. ローズヴェルトが初めて大統領に就任した日を指す。
  7. 原文は「to give light to them that sit in darkness and to guide our feet into the way of peace」。『新約聖書「ルカによる福音書」第1章第79節より引用(ただし一部省略)。「ルカによる福音書(ジェームズ王版)」では、「To give light to them that sit in darkness and in the shadow of death, to guide our feet into the way of peace」。

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