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「こゝろみにほかの月をも見てしがな我が宿からのあはれなるかと」
などは、この御有樣に思し召しよりける事とも覺えず、心苦しうこそさぶらへ。さて又冷泉院にたかんな奉らせ給へるをりは、
「世の中にふるかひもなき竹の子はわがへむ年をたてまつるなり」。
御かへし、
「年へぬるたけのよはひは返してもこの世をながくなさむとぞおもふ」。
かたじけなく仰せられたりと御集に侍るこそあはれに候へ。誠にさる御心にも祝ひ申さむと思し召しけむ悲しさよ。この花山院は風流者にさへこそおはしましけれ。御家造らせ給へりしさまなどよ、寢殿、對、渡殿などはつくりあひ、ひはだふきあはすることもこの院のしいでさせ給へるなり。昔はべちべちにてあはひに樋かけてぞはべりし。內裏は今にさこそは侍るめれ。御車やどりには板敷を奧は高く端はさがりて大きなる妻戶をせさせ給へる故は、御車のさうず〈如元〉くをさながら立てさせ給ひて、おのづからとみの事の折にとりあへず戶おしひらかばからからと人の手ふれぬさきにさし出されむがれうと面しろく思し召したる事ぞかし。御調度どもなどのけうらさこそえもいはず侍りけれ。六の宮のたえいり給へりし御誦經にせられたりし御硯の箱見給へき。海賊に蓬萊山手長足長などこがねしてまかせ給へりしこそ、かばかりの箱の漆つき蒔繪のさまくちおかれたりしやうなどのいとめでたかりしなり。又木だちつくらせ給ひしをりは、「櫻の花はいうなるに枝ざしのこはごはしくて、もとの