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Page:Bushido.pdf/258

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なる宣敎師に賦與するに苦しむものなり。况んや彼等宣敎師は、互に榮を他に歸すべしとの聖書の訓戒を固守して、何等の證左も無きに、自から己れに名譽を收めんとすること無からんは、更に其職に忠なるの所以なるをや。予は自から信ず、基督敎宣敎師は、日本に對し、殊に敎育、就中、道德敎育の領域に於て大いに盡瘁する所ありと。されど唯だ、聖靈の活動は確乎たりと雖、尙ほ玄妙不可思議にして、神祕の裡に隱れて現はれざるなり。宣敎師等の事業は、尙ほ悉く間接の効果を來すものに過ぎず、否、基督敎傳道の事業は、新日本の特質を形成するに於て、其功の殆んど認むべきものなし。否、幸福にも患難にも吾人を刺勵したるものは、實に純粹簡易の武士道なりき。新日本建設者たる佐久間、西鄕、大