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Page:Bushido.pdf/163

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性を擇ばず。故に師の任たるや實に神聖なりき。古語に曰へり、『我を生むは父母なり、我を敎ふるものは師なり』と。此の思想を以てするが故に人の師に仕ふること甚だ篤く、而して弟子の尊敬と信賴とを受くるの師は、必ずや學識に兼ねるに、高尙なる人格の仰ぐべきものなかるべからず。即ち師は父亡き者の父、愆ある人の忠言者なりき。實語敎に曰へり、『父母如天地、師君如日月』と。

 今や何等の勤勞に酬うるにも、一に金錢を以てするが如き風は、武士道を遵奉する者の間に曾て行はれしこと無かりき。武士道は金を獲ず、又た價を受けずして、始めて他に盡すことを得るの務あるを信じたり。乃ち僧侶にもせよ、敎師にもせよ、其精神上の勤勞は、價無きに非らず、却つて價