コンテンツにスキップ

Page:Bushido.pdf/13

提供:Wikisource
このページは検証済みです
大學敎授に承く。稻造の學專ら農政殖產に在りと雖も、亦た餘力以て文を學び、倫理宗敎の考究に勗むること玆に年あり。稻造曾て白耳義國碩學ラベレイレエと語る、學士我國敎育の宗敎に關せざるを知り、爲に德敎の基礎を疑へり。稻造武門の末に生れて、武士道の浸潤する所となり、我國德敎の精髓實に茲に存するを知る。因りて以爲らく、斯道は獨り家妻をして、之に則らしむべきのみならず、又た廣く外邦の人に傳ふべしと。乃ち明治三十二年、北米合衆國に於て、英文を以て武士道論を著作し、之を彼國に