利用者:村田ラジオ/sandbox

提供:Wikisource
wikisource:宗教 > ニネベのイサアク神秘論文集
ニネベのイサアク神秘論文集

第7論文[編集]

翻訳

<< 他の主題については、章ごとに短い段落で。神への信頼の性質と、どのような人に神への信頼が生まれるかについて。さらに人は神を信頼するとき、自分の心の状態に応じて力を持つようになること。そして愚かにも識別力もなく信じる者について。 >>


神への信頼は、美しい心の信仰を伴い、それは知識の識別力から生まれる。一方、味気なく愚かさから生まれた別の信頼がある。これは偽りの信頼である。


こうした過ぎ去る物事にまったく心を煩わせず、道徳を求める熱意と神聖な事柄への強い関心のゆえにこの世のいかなる仕事も考えず、昼も夜も神の仕事に魂を捧げ、そのため衣服や食物の用意を怠り、住居などの準備や場所の確保を怠る人 ―― そのような人は、神が時が来れば必要なものをすべて用意し、世話をしてくれると神を信頼する ―― これこそが真の信頼であり、知恵への信頼である。そして実際、そのような人にとって神を信頼することは美しいことでもある。なぜなら、彼は神の僕であり、神に関する思いでいっぱいで、神の仕事の重荷を怠ることなく担っているからである。したがって、神が彼に世話をすることはふさわしいことであり、それは他の人類に対する世話とは区別される。なぜなら、彼は私たちの主の言葉である「神の国と神の義を求めなさい、自分の体のことで思い煩うな」を自分の中に際立って保っているからである。そして、もしあなたがたがこのことに心を砕くなら、世界は召使いのように、あなたがたのためにすべてを用意するであろう。そして、主人に対するように、あなたの言葉にためらうことなく従い、何事においてもあなたの意志を妨げることはないであろう。

したがって、そのような人は世俗的な理由のために神の前に絶えず立つことを止めることはないので、身体に必要なものに身を委ねることはない。なぜなら、彼は他のものにも関心がなく、小さなことでも大きなことでも、快適なことでも楽しいことでも同じくらいそれらすべてを控えるからである。それは神への畏れに基づく控え目さである。それゆえに、たとえ彼はこれらのもののどれにも触れず、それらのために疲れ果てることがなくても、驚くべき方法で糧を見出すであろう。


一方、心が完全に地に埋もれ、神に喜ばれることを少しも気にかけず、常に蛇と共に塵を食べ、あらゆる点で肉体的なことで疲れ果て、人々との面会、交流と楽しみと贅沢に没頭し、常にそれらを気にかけ、さまざまな世俗的なつながりを持つような人は、道徳に関してそのような怠惰と無関心に陥り、時々困難や窮乏に陥ったり、罪深さの結果が何らかの形で彼を悩ませたりして、次のように言うとき、「私は神を信頼します。神は間違いなく私のために働いてくださり、私を慰めてくださるでしょう」 ― 愚か者よ、あなたは今まで神を思い起こさず、怠惰な行いによって神を軽んじ、聖書が言うように、神の名は諸国民の間で中傷されたのだ(ローマ 2:24)。そして今、あなたは口いっぱいにこう言う、「私を助け、私を気遣ってくれる方に信頼します」。神は預言者を通して、そのような人々を軽蔑してこう言われた、「彼らは日々わたしを見て、わたしの道を知ることを喜びとする。彼らは正義を行い、神の定めを捨てなかった国民である。彼らはわたしに正義の定めを求める」(イザヤ 58:2)。


彼らの中には、精神的に神に近づくことすらなく、苦難の暗闇に取り囲まれているときに、自信をもって神に手を上げる愚か者がいる。 そのような者が賢くなるには、何度も烙印を押される必要がある。なぜなら、彼らは神を信頼する根拠となるような行いをしていないにもかかわらず、悪行と義務に対する無関心のさなかから、懲罰に値するとされ、慈悲を与えられたからである。彼らは自分自身を誤らせ、以前の生活の地位を忘れて、「私は神を信頼する」と言ってはならない。そのような者は懲罰を受けなければならない。そうしないと、信仰の行いを持っていなくても、怠惰に足を伸ばし、「私は神が私に食物を与えてくださると信じています」と言って、まるで神の仕事に精を出しているかのようになってしまう。


あるいは、ある人が自分の愚かさのせいで穴に落ち、それまで一度も神について考えたことがなかったのに、今はこう言うかもしれない、「私は神を信頼している。神は私を救ってくれる。」 愚か者よ、間違えるな。神への信頼は、神のために働き、神に仕える汗によって先行されなければならないのだ。 あなたが神を信じているなら、それは良いことだ。しかし、信仰には働きも必要であり、神への信頼には、道徳のために労苦して生まれた心の証言も必要である。神は被造物を気遣い、すべての力で身を包んでいると信じなさい。しかし、この信仰に、それに適した働きを結び付けなさい。そうすれば、神はあなたに答えてくれるだろう。拳に風を吹き込んではならない、つまり、行いのない信仰である


【翻訳中】

英文テキスト
Chapter 7