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英国策論


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英国 策論 全

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策論

  [深田蔵書]英国士官ストウ著[印]

独立大名・諸侯

横浜港にある軍艦の旭丸の旗を立つは、外国共の常に見る所也。而、四五日以前より中檣〔ほばしら〕の上に独立大名の旗号を見ては、意少しく激せざる能わざる也。

薩州の船一艘、数ヶ月以前、函館を発し、日本西北海にて、佐渡壱岐一嶋辺て測量し、夫より当港え来著し、其艦長、条約面第一四ヶ条の規定通り、積来り日本産物を外国商人へ売払事を顧へり。然るに当港官吏共、船長及水夫等の上陸及売払等一切許容せず。此時、外国商人共、当港の官吏我々に商売を妨害せる事を、我有司、訴出るとも、有司、取合難し。何んとなれば、青表紙に載る如く、開港初年以来、帯刀人共、外国人共を視る仇敵の如くに乱妨せられしに、我有司より   大君政府をして、諸侯の家来は一切、此地に入らざれむる也。

青表紙とは、日本に不限、都を外国へ出勤の有司より、年々一度、本国政府へ奏聞せ 事を、其政府より卯行せしもの也。

是故に今、我有司より、諸侯の家来と売買致度〔いたしたく〕は、言難し。且、我有司が、我々商売を妨害すと言て、これを罪する事、得べからず。是、固より我々の為めに患難なきように謀るによればなり。

日本一統の君主

大君は、日本一統の君主たるように最初条約の節に云しなれども、彼は只、諸侯の長にて、僅に日本半国ほど而巳〔のみ〕領るがなるに、自を日本国主と唱えし。是、名分不正にして、僣偽〔せんぎ〕なく数多の国郡を領したる独立の諸侯共、開港を好まざるに非れども、彼らに一切評議せず。彼共、今其条約を承諾せざるは、恠む〔あやしむ〕に足らざるなり。是に由て諸侯は、大君及び外国人へ対し自然に何か仇せんと思うに至る諸侯の家来は、一切、此地に入れざる也。

然るに、諸侯共、稍々〔ようやく〕、外国交易を致さんと武器買入を始む。常に政府官吏の立合にて、売買を為す。且、武器を買う而巳ならず、自分領内の産物 を売んと欲し、且、武器の償金と交易せんと欲に至りしなり。此官吏立合は、監司を付る如き者にして、其煩く面倒なるもの也。然るに条約面第一四にある通り、武器は大君政府のみ買入れる規定なれば、此官吏をして監せしむる事、宜なり。且、最初諸侯の家来を此地へ入ざるように頼みしは我国人故に、今度薩摩艦の一件を咎むること能わず。

今、諸侯共と我大商人と取組、常商人の商売を出来ぬやうにして買すること論を待ず。然るに、彼等の交易をする事ならぬ双方、商売の出来候ように配慮すべし。只、今まで仇敵の如くなりし大名共、漸々外国の交易を好み、且、自分領内の港を港を開きたと思うこと、明かに見ゆる也。

然らば、彼らの港を開、ともに二十家に近き独立諸侯の領内に盡くに〔つくに〕及ばず。唯、一二の最交易に便なる場所を見立、開かば足れり。然し、日本諸侯一致せずして、只、独大君と而巳、条約を維持せんと欲するとも、決て能わざる也。今、諸侯共は大君の令を遵奉せず、又、交易の利潤をも得。唯、条約は大君と結し、其条約を妨たること決して相成らず、と云て、手を朿て〔こまねいて〕傍観し居るように見えたり。願は我等、赤心〔せきしん〕を以て、改革を評議せん。其故は、我々唯、条約を一箇の諸侯と結ぶ事を好まず。日本全国の償金を謀り度〔はかりたい〕もの也。

我れ大君

今、我れ大君は、日本の君主と言し偽を知れり。其故は、外にも彼と権勢の同き者、数多あるを以て也。然ば、唯今の条約に新に諸侯と条約改革せん。左らば〔さらば〕、唯、諸侯共喜ぶ而巳ならず、又、交易の利潤を得るに由て、大君の譜代諸侯に至る迄困窮せし苦を、免うべし。

我々、己に、大君と条約を結びたれば、今、此に改革に及ぶとも、強なに〔かたくなに〕に日本の君主たるように偽りし大君を排すると言ども、国家の顧覆には至らざるなり。其故は、近来、大君の所業を以て見れば、天子の勅許を得ずして諸侯も承諾せす条約を取行う事能ざるは、明白なり。是を以て海外人は、天子は日本の君主と思う事、理なきにあらず。然れども、只天子と而巳条約を結ぶは、利あらんと思う事、不可なり。又、天子一人、其威権を専らに行する能わざるは、天子と而巳の条約は又、無益なるに疑なし。

兵庫開港期限

兵庫開港期限、今より千八百六十八年一月一日迄には、諸侯共に是迄の条約面に於て不都合ありし条々を吟味し、又、孰れ〔いずれ〕の港を開くべきや、我々と日本人との交際をして堅固に安堵せしむべきを商議するに、其時日、足らざるに非る也。此開港の期限迄に、一つの極の極当処置なくては、我無事に彼港に居住する事、覚束なし。我々、危急を防がんとならば、大君同様に、一国の権威を専らにする諸侯共と評議して、可なり。

右事件を施行するは、独日本の為のみならず、我々と日本との交易を慥に〔たしかに〕繁昌せしむる一端と思うに由て、此段己に、日本との条約済の各国公使に告知らせしむる者なり。

議論の発端

我等、是までの条約を取除き、今度新に日本諸侯一致したる条約を取結ぶべきこと、四五年以前、新聞紙に出板せし如く、同意の者も少なからず、我等、歓喜に堪ざる也。

此議論の発端は、此事を引続き取行うべき方から、ある者より、自然我々等をして此説を起すべく、感じ成らしめし也。其人とては、外国人而巳ならず、日本憂国有識の者ども也。彼ホは千八百五十八年、アメリカ定約以来、始終是、ホの事を企しと見えるなり。

日本吏学家の著述にあるごとく、往古は大君の僭偽者、天子を弑〔しい〕して、国権を掌握せし如きには非るなり。王権の衰微せしは、藤原氏より始れり。此藤原氏は、数年の間、常に己れが女子を天子の皇后に納れ、己が外子外孫のみ天子の位に即け、己威権を極め、私利を営みしもの也。終に、政府盡く〔ことごとく〕彼の掌中に委任し、天子は只、歌詠絲竹、其他の遊楽而巳に日夜を送れり。藤原氏の勢、道長、頼道に至り尤盛なりし後、二三條帝王、権を匡復せんと欲せし所、在位僅かにして崩御せり。即ち、西洋千六十九年より七十二年頃也。其後、源頼朝、平氏を亡し、覇業を創立せり。是、武家国権を取し始なり。当時の徳川氏をして、頼朝の如く権威あらしめば、我々、又彼と条約を結ぶに足れり。然し、假令〔けりょう〕我々、此僭偽者ら威権を持続く間は交接すべきも、若、彼と肩を比べ抗抵するもの起るときは、我をいかんが所すべきや知らず。長崎のみに客居め、日本国体を詳知らざりし。

「ケンヘル」(蘭人)、日本の事跡を筆記せるものに、日本には二王ありと云い来れり。其一人は国家を支配する天子、他の一人は教主の如きものにて、国家の政事に関係せざる天子なり、と言。然るに外国和親通商を願し時、是、尤重大の事件にて、も諸侯も評論し、諸侯も帝の意に随うべくありし所、大君の外国より反合を催され、止事得ず己れ一箇の了間を以て条約書に調印せり。是、城門を開きて敵を入しめしが如し。外国人は、此条約に永続すべき君主と和親を結びしと、信用して交易を始めし也。以来、我々天幸にて、安逸に起居する事を得たり。

大君天子の命を以て、上洛せしめられしより、其威権、大挫けり。是、天子へ数年の間、恭敬を盡さず、己に要政を行う報と知るべし。又、彼の大君威権、彼の親戚より軽蔑し来れり。大金を費し人力を尽して、一つの叛者(水戸を云)を制する事能わず、僅かに、己と睦しき大名の手を仮り、平たるコトを得たり。長州に付ては、一ケ年以来、叛者の首級を持帰るべしと高らかに罵て、江戸より軍勢を差出せり。大君の所置、中途に於て、京師に於て妨られしも非ず、無拠、第一の官人を長州へ遣わし、只、虚名にて従服せしめ、和睦せんと謀りしは、尤大君の大なる恥辱に非や。

今、誰にても、大君は日本の主宰と云者はあらざるなり。己に服従すべき者 、制御する事能わざる時は、彼等に及び外国人共、最早、大君を日本の宰と敬憚するもの非るなり。外国政府に於て、大君と条約を結びしは、大なる誤なるコト、四ケ年以前発起せし事件を以てみるべし。

千八百六十三年九月の切害は現在、大君政府に知ながら、彼等、主人の威力を以て刑罰するを逃れり。故に此条約は、国家を制御すること能わざる者と結びしと言事。鹿児島一挙は、彼れ我々に向い妄動する罪を代に為、稍、干戈〔たてほこ〕を動かせしなり。此頃より諸侯は、各己が領分を獨立に支配し、己の志意に任せ挙動すること、明なり。

我等、長州と和睦を結びし時、其全権士官より、大君攘夷令承遣せし、慥なる〔たしかなる〕証拠を差出さしむ上は、我々、江戸官吏を詰問する好き機会なり。此時、本国の公使シャトルアルロックら呼帰さば、我々の論ずる条約を編む我人民と、日本人民の、堅固なる基礎の上に休ましめんに惜むべき事にあらずや。我々、此事件を行うは、未だ好機会にいたらず。然れども、我貴き使節の力を以て直ちにとげ得ること、疑なし。

又、我々の説の如く、我々、日本人民と交易を盛にひらくることを待願う事なり。吾ら近来、大君と結びし条約を廃し、新たに   帝に及び一致したる諸侯と取結ぶべきを論じ来れり。然れども今迄、其大略を著演せり今又、爰に弁明すべし此説話は、 旧法を改革せる尤交易ならざる非常過激の論也。故に、此事を好むものをして、吾興起する所の範囲に入らしむる事、緊要なり。

今迄説来りし形勢其他、新たに論ぜんとする者は、僅尺寸の髪に上せ難し。今度、我々の注意は、以前より猶、委しく〔くわしく〕説明して、大君の条約書に調印せし事の全理に背き、且、彼我条約を持守するに不可堪事、及、条約交易規則等、全備らざることを明白に顕して、我々今論ずる事、理なきに非るを示さんが為なり。

日本政事に及文学の外国の書生共、日本に大君の名は二つなし、其名を持得るものは只、   帝一人のみと思う。我々を咎むべきかもしらず、ショウグンと云語は、英吉利語にて譯するもかたからざるに、将軍は、外国有司共と結びし条約に、己の本官より尊貴なる大君の号を以て調印せり。かれ此名を称する事央の其理にあらず。畢竟この条約を持守しては、西洋各国の成立する事証せり。江戸の君主、此名を調印せられしは、莫大なる僭偽にして、見るもの愚弄め、信ぜざる事知るべし。外国有司共、何卒此国と和親すべきを願い、将軍を眞に大執権家と全信せしなり。然れども、是を以て外国有司共に罪を帰すること得べからず。畢竟が天子と僭し、尊貴なる号を書称するを知らずして、彼に欺かれし事、唯深く自ら侮るのみ。此事、実は将軍、眞の国君たるように僭偽し居れども、外国有司共に於ては、終始相替らざるなり。則「ロエルケン」の条約筆記を以て知るべし(ベルゲン開港の勅義使節として来る者)。

今我、二ヶ様の事実を持る居て、以て、条約改革の事を我々の公使に責るべし。下関のことの時、将軍の偽作を論ずべき好機会なりと雖ども、其事を果さず、ありき我々の有司に所す。其ことの証跡を示すべし。又、此一事を中途にて廃すべからず。是等の大名が、全国の   天子と而巳称すべき陛下の尊号を称するに至っては、吾々理を以て論ぜざるを得ず。ロートエルケン筆記に因て見べし。

若、徳川陛下たるときは   帝は如何なる者ぞや。是、   帝は則、日本第一等の教主なるが、而て此   帝の是迄免さざりし条約を、去年、終に   勅許を得られしは、是又、吾公使の成功と云べし。将軍は、日本人より常に殿下と呼れしに、彼れ自ら、殿下より上の称号呼用ゆる事、史して不当なり。

条約書面の誹謬

今爰に、条約書面の誹謬を著す事、左の如し。

大貌利太尼亜〔大ブリタニア〕及意爾 蘭度〔アイルランド〕皇帝陛下、日本大君陛下に、国の臣民をして永く天子たる事顕然たり。仮令、大君の名目は条約書に載せしと云ども、日本語にて、日本人常に、彼国又は彼の国領分と呼来れり。

此意、条約書中之意と大に相異せり。今、文章中の誤を改むる事、左 如し。

大貌太尼亜〔大ブリタニア〕、意爾蘭度〔アイルランド〕帝陛下、将軍殿と双方領分の臣をして、和親すべきを希つと言に、是、日本一統の   天子は、条約を結びしに非ず。只、江戸関八州幷〔ならびに〕諸郡、大日本にて区々たる〔くくたる〕一方の地を領したる君主となり、抑仙台、薩摩及び他の大諸侯と称する者は、其如何なる説を立べきや、我、未だ知らざる也。吾等今又、条約面を詰難す。

第四条に言、日本大君、陛下領分にある大貌太尼亜臣民中にて、身上又は持場に付、万事出来する事は尽く「ブリタニヤ」有司、裁断すべし。此条、大君述来る通、尤好し。然し、凡〔ぼん〕他の領分なる時は如何せん。譬ば、或いは ブリタニヤ人民、尾張領分に行き、尾張候の為に斬首せられ、或は、 ブリタニヤ水夫、不幸にして、肥前侯の海岸に破船し、肥前領に漂流せし時、肥前候の為に無残なる死に所せられ、彼らの骨を西洋奇物として、宝庫に納めらるる等の出来せし時の所置、行いがたし。

第五条に云に 日本人 ブリタニヤに対し悪事をなす者は、日本官吏召捕、日本の法に従て罪べし。双方、編頗なく公平の裁許あるべし。其以来日本人、ブリタニヤ人民に対し咎人出来せし時、此ケ条を以て罪に行うことを論ぜり。然れども、諸侯の家来に向て、此ケ条は死物として、実に行われしコトなり。則、薩摩・長州の事に就て知るべし。

第六ケ条に云 ブリタニヤ臣民、日本人に対し訟うべき事あらば、「コンシュル」に出、其趣意を告べし。 コンシュル論議の上、双方遺憾なき様所置すべし。又、日本人、ブリタニヤ人に対し訟うべきコトあらば、是又、コンシュルしがたきことあらば、日本官吏立合、倶に其事を吟味し、当然の裁断をなすべし。此条立合裁許の事正しく規定を立、施行する時は、尤好き法なり。此条に付て書記すること多し。然れども此条、偽行れさる通り、尤大切なるケ条と云り知るべし。我が コンシュル内外人民、双方遺憾なきよう所置すべし。又は、日本官吏を呼び、其詮議すべき所、訴訟人を運上所へつかわし、日本官吏に任せしに、日本官吏、其理曲直を正して、公平の裁断せし事、末嘗有也。

七ケ条通、借人返済の怠りを防ぐこと気毒也(日本人、国人にしゃく財して返済せざる者多し)。

第八ケ条 ブリタニヤ人民、日本人を雇い、当然の用に充ること、日本政府より妨なかるべし。この条に付属応接あり。且、時々、日々此事あり。江戸執政より、この条約を破りしにして、則、僭偽を含みし事知るべし。

第十二ケ条 難破船の水史を貌に扶助し、とり扱うこと。只、将軍の領分のみにして、他侯領の海岸にては、一向扶助せずと云こと。江戸官吏、承知し居るなり。如何となるは、江戸官吏とも先年、外国有司共へ書写を以て、難破船は唯、要用の時而巳、開港近港において其事あるべしと通達し、  免の十四ケ条交易の為に開たる各港において ブリタニヤ人民、何品にても商売の品を輸入し、又、輸出する事、自由たるべし。且、かようなる売買の払方等の節は、一切日本官吏立合なかるべし。此条、交易規定に於て、尤大切なる部也。開港以来、常に此条破れ来れり。

此外、条約の破れし廉〔かど〕、少なからず。此死物の条約による時は、我々の交易は、跛〔ちんば〕者のごとし。我、日本民交易淹滞〔えんたい〕して、又、彼等の懇親なる事、得べからず。

結論

我公使共、この条約を廃し、新に建立する事、尤急務にして、諸事、規則通に行う迄は、我々の交易も繁昌せず。又、日本の富、昌する事、有べからず。

  右原文 英国士官サトウ著述。



注釈

この著作物は、1929年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


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