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甲陽軍鑑

 
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甲陽叢書第一篇

甲陽軍鑑 上

甲陽 温故堂 梓

 
 
オープンアクセス NDLJP:4甲陽軍艦全集ニ載スル所起巻九ケ条トモ多少文意相違アリ即チ左ノ如シ

甲陽軍鑑起巻第一

(一)此書物仮名つかひ万事無穿鑿威を盛ふる家にて心の至りたる人々見給ては大に笑給はんつるとも是は又左様乃善き人へは深く密して当年勝頼公三州長篠にておくれを取給ひ能武士百人は九十八人討死し生れかはりて衰ふる家の奉公人に心をつけんが為なれバいかにも愚痴なる事共也其謂は我等文盲第一なれ共武功分別有る大剛の名人に親み常に雑談を聞百に一ツ計り覚へ少し心も付たる故か又自余乃傍輩よき程の人申たる儀迄聞書只今紙面にあらはす長坂釣閑跡部大炊助女人に見せ給ふべからず若又当御家に二代も奉公いたし子共余多乃人には見せらる〻共牢人衆などに見せ給はゞ中高坂が現世未来迄の耻且は御家の瑕なれば深く慎給ひて当屋形より太郎信勝公御代へのたくさへに可被成事
六乃章を異本に偽乃なき世なりせば世の中にたか誠をも嬉しからましといふ歌を人に習て高坂弾正か記之と書て石木寺物語の発端にせしを今如正本

一此書物仮名かなづかひ、万事無穿鑿ぶせんさくにて、物知の御覧候は、一ツとしてよき事なくて、わらひ草になり申へく候、子細は我等、元来ぐわんらいしやうなれ共、不慮ふりよに十六歳の春、召出され、地下をいで春日かすが源五郎になり、奉公申、しかも油断ゆだんなく、御前に相つめ、少も学問仕べき、隙なき故、文盲もんもう第一にて如くだん、さりながらあしき事をバ、すて給ひ、此理窟りくつを取て、当屋形勝頼公より、太郎信勝公御代迄、上下諸侍の作法になさるへき事

一長坂長閑老、跡部大炊介殿、失念しつねん有まじ、信玄しんげん公、御代に、公事くじ沙汰によらず、万事穿鑿せんさく多候ひつれバ、それるみな書しるし申事は、際限さいげんなけれは、其品々に不審ふいしんたちて、人の合点がつてんに及ばずして、取々の沙汰なるを、御屋形信玄公を、始奉り、其外家老衆、批判ひはん有て、大形理のすみたる事を、一色二色つ〻、かきしるし侯事

一此本かなにて、いかゞなど〻有て、字になをし給ふ事、必ず無用になさるべし、結句只今、字の所をも、かなにかきて尤に候、但それももとほんを、一冊字に書てかき其外にかなの本を、一冊書て、重て置給へ、其本ほんとは、信玄公五十七ケ条の、御法度書はつとかき之事也、さて又仮名の本を用る徳は、世間に学問よくして、物よむ人は、百人の内に、一二人ならてなし、さるに付、物しらぬ人も、仮名をばよむ物にて候間、雨中のつれにも、無学むがく老若らうにやく取て、よみ給ふ様にとの事也

一侍衆大小共に、学問よくして、物しり給はん事、肝要かんやうなり、但なに本にても、一冊おほうして、二冊三冊よみて、其理に能々てつし給はゞ、必おほくは、学問無用になさるべし、殊に詩聯句しれんぐなどまて、あそばし候は、猶もつてひが事也、但又国を半国共持給ふ、大将は学問きはめ、聯句なともし給へ、文武二道と申て、現世げんせ未来みらいまで人の、ほめ物になり給ふ也、されど又国持大将も、物の本部数ぶかぞを、よく鍛錬たんれんし給ふほどにて、それより武篇ぶへん場数ばかぞ、すくなければ、国持をも、少ぬるき様に、大略は沙汰する物也、そこのほどを、能分別なさるべき事也

オープンアクセス NDLJP:5一学問の儀、右国持大将さへ、あまりはいか〻と存るに、まして小身なる人は、奉公を肝要に、まもる人の、学をよくとおぼさんには、無奉公ぶほうこうに成て、家職かしよくをうしない、不忠節ふちうせつの侍になる子細は、無事の時、座敷の上の奉公が、てきむかふ時の、忠節なり、何の道も、家職を失はん事勿体もつたいなし、其家職とは、武士の家にむまる〻人は、奉公ほうこう也、奉公に二ツあり、一ヲは座敷ざしきの上にての奉公、一ツには戦忠せんちうの奉公也、出家しゆつけは仏道修行しゆぎやうの儀、家職なり、儒者じゆしやは儒道の義家職也、町人はあきなひ家職なり、百姓は耕作こうさくの事、是れ家職也、右之外も、諸芸能しよげいのう、共道々みちに、我なりたるわざに、心がくる事尤也、家職を大形にしてやめて、余の事をいたし、精にいる〻は、大非義也、其非義といふは、出家が、学問をわきへなし、武辺ぶへんを心がくる儀と、武士が奉公の武道をわきへなし、学問を第一におもひ、或は乱舞にすく事、皆是家職をしらざる儀也、但侍百人の内に、一二人物しりのあるは、是又大きに、よき事也子細は、国持大身は、物しりの出家を、扶持ふちし給ふが二三百の侍大将、一手を三そなへばかりにわけてまはす衆をもつ余慶よけいなくして、物しりの出家をつる〻事、まれなれバ、家中の侍に、物しりの有は、縦は鞍二口の馬のごとく、さるによつて、百人のうちに、一二人の物知たる侍、大きによきと申儀は、此ことはりなるを以ての事

一小身なる人の、物をしりきはめ、詩聯句しれんぐまで、なさる〻共、あまりかもてへ、たつべからず子細は、ほめながらも、なにとやらん、足利あしかゝそうのかへりて、男になりたる様にて、大略見ぐるしく候、出家さへ紫野妙心寺めうしんじ禅僧ぜんそうを、立る衆は、物をしりても、しらざるふりをして、不立文子ふりつもんじとたて、ざぐへん、もつぱらにして禅話ぜんわ肝要かんようにする、坊主ぼうず出家しゆつけといへとも、けはしく見へ候事

(二)信玄公御代公事沙汰によらば合戦三ツの作法武功乃調万事せんさく多ければそれを皆書記す事は際限なし其品々に不審たちて人乃合点に不及取々の沙汰なるを御屋形を始奉り其外家老衆批判有て大形理のすみたる事と一色二色宛書記す事

一武士は、ねてもさめても、或は食事の時もしう忠節ちうせつ忠功ちうこうを存すべき事

(三)信玄公ノ三字ナシ
用徳はノ下今戦国乃最中なれば文学として物よむ云々物しらぬ人もノ六字又よむ物にて候間の七字ナシ

一敵方にても、一国を持給ふ侍は、なに大将か大将と申さず、た〻大将とばかり申物也、此大将をも、口きたなくいふ事、弱将じやくしやうの下にて、未練みれんの人々の作法さほう也、惣別そうべつ一国の主をば、敵みかたともに、口にても、書付もうやまふていふ事也、子細は日本国をあつめても、百人にたらず、六十六人の武士なり、さる程に、一国をもつ大将の中に、古来からの侍をば、家をたつとび、うやまふべし、しいでの国持侍をば、其人の智恵冥加みやうがかんじて思へば、是又口きたなふ申は也、てきをそしるは、必弓矢ゆみやちとよはき家にての作法也、弓矢の儀、勿論つよき方、勝事十が八ツなれ共、又弱きの勝事も、是あるは、運次第なるをもつて也、さる程によはき侍がつよき武士ぶしは勝は、必其強き敵の大将を、口きたなふ申そしるなり、たとへば町人が侍ときりあふて、勝ば、我手柄てがらを申してきをそしる子細は、常に町人武士には、たゝかいてなるまじきと、存するに、不慮ふりよをもつて、勝つれは、武士もふかき事は、なきぞとそしる、又武士が町人と、戦ちとてまを取て、勝時は勝ても町人をほむるは、元来ぐわんらいよはからんと、思ひつるに、不思議ふしぎたゝかいたりといふて、ほむる其ごとくに、大合戦なとありて、てきの大将を口きたなふいふて、種々しゆつくりごとを申て、そしるは、勝まじき敵に、不慮ふりよかちたる儀と、相心得候へば、他国たこくのかんがへにのることいかゝに候間、勝頼公御家にて、敵の事をあまり、左道さたうに申べからず、信玄の御だいには、御法度はつとなけれ共、試博をのづから、此理にてつして、敵方の儀、つくり事をいばす、但むかしも源氏げんじ平家へいけたゝかいに、平家より源氏を、口きたなうそしる、待賢門たいけんもん夜軍よいくさに、平家かちては、猶源氏を義朝がといふて、悪口あつこうする、其後源氏、又平家に勝つるが、清盛の小松殿大臣殿おほいどのと申て、源比方より、清盛がなど〻いふ事、さのみなきは、義経公敵の一門、数盛の御くびを見て、なみだをながし給ふ、作法さほうの故、源氏の侍、悉く平家を、悪口あつこうせず、か様の善悪ぜんあくを、分別ふんべつなさるべき事

(四)待衆大小共に学問よくし給はん事肝要也但書は一冊多して二冊三冊よみて其理に能く徹し給はゞ必多ハ無用なるべし殊に詩聯句など迄し給ふは猶以僻事也又半国共持給ふ大将は学文きはめ聯句なと志たまへ物乃すべを知に能事也乍去国持をも物乃本部数より武偏場数少ければお温き様に沙汰するも乃也そこの程を分別なさるべき事

一御一家衆、家老からう出頭しゆつとう衆、そうじて大身衆、振舞ふるまいの時、必亭主ていしゆおにを仕り、尤也、それは人のためにてなし、第一其身のためなり、此義をせんさくなき衆軽薄けいはくと心得らるべし、能々是をも、分別なさるべき事

 此九ケ条かてう、右之書置かきをきたる本共の、発端ほつたん

(五)国持大将さへあまりに如何と存るに増て奉公を肝要に守る小身乃人学文をよくとおぼさんには無奉公に成て家職を失ひ不忠の士になる子細に無事の時座敷の上の奉公が敵に向ふ忠節也何の道も家職を失ん事勿体なし武家に生る〻人は一ツに座敷の上の奉公二ツに戦忠是家職也出家は仏道修行隠遁の儀町人は商売百姓は耕作の事家職也此外諸芸能其道々乃業に心掛る事尤也家職と不動して出家か武道を心掛武士が詩聯句を第一にし或は乱雑にする事皆是家職を不知義なり但侍百人の中に一二人文学乃有は是又大に能事也其謂ハ国持大身ハ物知の出家を扶持し給ふか二三百騎乃侍大将一手を三備計に分て廻し侍余摩なくして物知乃出家を連る事称なれバ家中の士に物知乃有ハ縦は鞍二口の馬の如し

(六)詩聯句までなずる〻ともヲ一、詩聯句などめずる〻共一トス又子細ハノ三字ナシ「さぐへん」ハ座具辺ナリ

(七)異ナル所ナシ

(八)一国の主をハなに大将と申さず只大将と計申也其大将をも敵身方共に口にても詞にても書付も敬ふて仕謂は日本国を聚ても百人にたさず六十六人の武士也これに因て古来よりの侍をば家を尊み敬ひ仕出の国持士をば智悪真加を感じ思ふべし敵を誹るも必弱将乃下にて未練乃人々乃作法也弓矢の儀勿論強き方の勝は十が八ツなれ共又弱き乃勝事もこれ有は運次第成を以也去程に弱き侍の強き武士に勝は必其強き敵の大将を悪口する縦ハ町人が常に武士には成間敷と存るに不慮を以勝つれば我手柄を云武士も深き事はなきそと誹る亦武士が町人と戦少手間を取て勝時ハ元来弱からんと思いつるに不思議に戦たりと云てふむる其ことくに大合戦など有て敵の大将を口きたなふ種々作り言して誹るは勝まじき敵に不慮に勝たる義と相心得候へば勝頼公御家にて献の事を余り左道に申べからず信玄公の御代にハ御法度なけれ共諸待を乃づから此理に徹し敵方の義作り事をいはば昔深平乃戦に平家より源氏を口きたなふ誹る待賢門の夜軍に勝ては猶源氏を義朝がといふて悪口する其後源氏又平家に勝つるが清盛の小松殿大臣殿とて清盛がなど〻いふ事なきハ義経公敵の一門敦盛の御頸を見て涙を流し給ふ作法乃故也加様の善悪を分別可成事

(九)御一家衆家老衆出頭衆惣じて大身衆振舞の時必亭主おにを仕尤也それは人の為ならず第一其身の為也此義軽薄と不存事

右之九ケ条は此奥に書記本共の発端也

 
 
オープンアクセス NDLJP:6 甲陽軍鑑目録

一品 信玄公、分国中仕置ぶんこくちうしおをき、五十七ケ条之事

二品 信玄公、舎弟しやてい典厩てんきう、子息へ異見いけん九十九ケ条之
 付十五年己来このかた、子息を典厩と申也

三品 信玄公、御父信虎公を、追出ついしゆつ之事

四品 晴信公、三十一歳にて、発心ほつしんありて、信玄と名乗なのり給ふ事
  右四ほん合一巻

五品 春日源五郎、座敷の上にて、能奉公ほうこう故、立身りつしんの事

六品 信玄公御時代じだい諸国しよこくの大将衆、大身小身ともに、幼少ようせうよりの様子やうす之事

七品 小笠原源与斎、軍配ぐんばい奇特きどくある事

八品 はん兵庫星占ほしうらない之事 付長坂長閑面目めんもく失ふ事

九品 信玄公、御歌のくわい之事

十品 来年の備定そなへさだめ、前年談合だんがふ之事
  右六品合一巻

十一品 どん過たる大将之事

十二品 利根りこん過たる大将之事

十三品 弱すぎたる大将の事

十四品 つよ過たる大将之事
 右合四ほん命期めいごまき是也為四巻

十五品 武具ぶぐ其外諸道具、穿鑿せんさく之事

十六品 諸奉公人、大小上下共に、喧嘩けんくわ仕置しをき之事
 付弓法之事并能之次第鞠之事

十七品 甲州信玄家、大身小身共、人数大つもり事巻第八

十八品 信玄公御一代之義大概、并甲州にらさき合戦かつせん之事

十九品 信玄公、十九歳にて其一年無行義ぶぎやうぎの事 付詩作の事、并板垣諫言之事

二十品 信州海尻合戦之事

廿一品 甲州こあらま合戦の事

廿二品 甲信堺せさは以下、合戦の事

廿三品 信州平沢ひらさは、大門到下たうげ等、合戦之事

廿四品 山本勘介、工夫くふう塩尻しほじり合戦の事

廿五品 山本勘介、間答もんだふ并勘介駿河するがへ行事并戸石合戦之事

廿六品 信濃、上野境、笛吹うすい峠にて、上杉衆と、板坦信形合戦之事 付同日同敵と、初て合戦の事
 合九品為巻第九上

廿七品 真田弾正だんじやう、以武略ぶりやくてき事并長野信濃板垣事、山本勘介、国々のれいを引事信州上田原、合戦之事

廿八品 村上義清越後長尾景虎に、被頼事并上田原の同年、海野たいら、合戦等之事
 合二品為九下

廿九品 一晴信景虎、小県ちいさがた対陣たいぢん之事 一晴信河中島、御出陣しゆつぢん之事 一伊奈、木曽、松本御はたらき付景虎小県ちいさがたへ、出陣之事 一晴信景虎対陣たいぢん事 一上州てらを合戦 一景虎晴信信州にて合戦約束やくそく、景虎まはす事、付景虎越中出陣晴信日付 一今川義元扱にて、晴信氏康和睦 一使番十二人之事

三十品 一金丸筑前飯富源四郎、春日源五郎諏訪へ被遣 一晴信公、原隼人に被仰事 一晴信公、同時に法躰衆事 一山本勘介、申上る条々 一伊奈木曽松本国被仰付 一信州とき田合戦の事

卅一品 一栗原左衛門、小山田左兵衛、死去しきよの事 一板垣弥次郎、御勘当かんだう之事付曲淵まがりふちの事オープンアクセス NDLJP:7 一桔梗原合戦、付長時敗軍 一川中島城取并小室 一景虎関東発向の事 一上杉則政無分別之事 一浄土宗法花宗、宗論 一北条氏康とせり合事 一織田弾正と、義元和睦 一信州先方衆成敗せいばいの事 一瀬場御成敗之事 一木曽降参かうさん之事 一於河中島、与謙信一対陣 一氏実うはさの事 一秋山高遠の城に、被置事 一飯富三郎兵衛事 一関東上野御発向之事付上野合戦、并河中島にて景虎と対陣之事 合三品為巻第十上

卅二品 謙信けんしん和睦わほぐ調、又対陣の事 一河中島出陣、謙信対陣事 一飛弾国へ御手遺の事 一西上野へ、御働之事 一氏康より、信玄公頼申事 一小田原へ、加勢入事 一謙信、小田原押詰事付飯富、信玄へ異見 一景虎敗軍并信玄公下墨さげすみ 一景虎上洛の事 一小幡尾張、甲府へ参候事 一信州先方衆御成敗事 一川中島合戦事 一甘数近江守退口 一法師、信玄に紛る事 一信玄氏康、松山城攻事付竹たば鉄炮の事付輝虎後詰山の根の城、せめをとす事 一松山城に、上田暗礫斎、被置 一北条氏政麦飯の事 付上杉と、氏康合戦物語之事 一知行割ちぎやうわり之事 一信玄公義信中悪くなる事

卅三品 一信虎より、信玄へ異見いけんの事三ケ条 一小幡尾張守、本意一松枝の城攻付じやう伊庵事 一箕輪みのわしろむる事付城伊庵、大熊働之事 一上泉兵法之事 一山本勘介、下墨さげすみ之事 一飛弾越中へ働事 一義信逆心ぎやくしん之事 一雪隠せついんを山と、名付る事 一甘利あまり左衛門落馬らくば之事 一秘蔵大将四人事 一飯富兵部少輔、成敗之事付雨宮十兵衛、被召返並義信自害之事 一富士願書之事 一三好光源院殿、奉討事 一越中働之事 一縁者組の事付古典厩御子息事 一信長勝頼、縁者ゑんじや事付信長より進物しんもつ、付方々使事 一信虎公より、書札しよさつ参事 一輝虎、和田の城攻事付横田十郎兵衛手柄 一東上野、新田、足利働事 一連歌事 一越中に出馬事 一信玄、氏康於前橋城輝虎事 一信玄息女、城介殿と縁辺事、付信長より、音信の事
 合二品為十下

卅四品 一氏実、信玄中悪なかあしくなる事 一信長へ、御祝言しうげん進物並城介殿進物之事 一公事並世間の風 一氏康子息、謙信養子やうし之事付輝虎信玄、和睦わぼく調事 一信玄病、診脉之事 一氏実没落付懸川城取籠事 一駿河仕置事付家康懸川攻事 一北条氏康より、使者参事 一氏康、信玄対陣付馬場美濃手柄てがら之事 一信玄甲府へ打入事付氏康、駿河仕置之事 一於懸川城家康氏真、勝負しやうぶ之事 一氏真降参かうさん船にて小田原へ退事、付右衛門被伐事

卅五品 一信玄出馬駿河伊豆堺焼事、付信玄、八幡大菩薩、小旗波に被取 一関東発向、小田原城迄御働事はたらき付馬場参事 一みませ合戦之事

卅六品 一高坂くや事 一相州駿州、豆州御働之事 一蒲原城攻事付岡部事、付黄八幡指物さしものつる事 一花沢城攻事、付藤枝城あけ退、並無理介落書事 一信長より使者、御音信、付家康御事
 合三品為巻第十一上

卅七品 一氏政、深沢城攻事付氏政、輝虎被頼事 一土屋事 一氏政信玄、三島対陣、付秋山武畧事付山県、家康衆と、喧嘩 一関甚五兵衛事 一氏政と和睦、付信長箕作城攻落、並家康若狭へ働、家康義景合戦事 一信長うわさ之事 一諸角もろずみ介七朝と、原甚四郎喧嘩けんくわ事 一信長家康氏政、輝虎批判ひはん 一高天神にて、内藤修理手柄事付城々仕置、並吉田宿にて、せりあひの事

卅八品 一信長、家康へ異見いけんの事 一霊陽院殿より、御使者事 一申西両年、御備書付御分国中へ、迴被成候十八ケ条 一信長より、漆所望の事 一とうかね、両酒井、こがね、高木馬進上事 一氏政より、御音信事 一信長より、家康と御無事之義、被申事付御音信事
 合二品為十一巻下

卅九品 一身延山へ、御使被立事 一家康より、輝虎へ使者の事 一輝虎河中島へ出馬事 一遠三絵図ゑづ、并備定そなへさだめ 一味方原みかたがはら合戦事 一高坂弾正異見いけん之事 一信長より、織田掃部、刑部おさかべ迄、被差越事 一信長と、御手ぎれの事 一氏政より、御使札事 一公方義昭公より、御使者事 一人質取替の事 一信玄公、御馬入事付秋山、信長縁辺并人質之事 一信玄、公方へ御返状 一信長公方くぼうへ申状之事 一東美濃へ、御出馬 一信玄公、御他界たかい之事付遺言の事 一信之公、オープンアクセス NDLJP:8敵合てきあい作法さほう三ケ条 一同人の御つかひ被成やう 一同御家中、武士の手柄 一同御家中、城取極意ごくい五ツ并御武勇ぶゆう十三条 一高坂弾正申候事 一信玄公、御家中諸侍の礼 一同国法こくほうそむ人、御免之事 一同御家中、音信の定 右一品為巻第十二

四十品上  信玄公を始、家老衆、大身小身物、善悪工夫之義、時宜作法、手本になる事
 右一品為巻第十三十四両巻

四十一品 自是三品為巻十五  軍法之巻是也 一軍法序一ケ条 一法度の元、五ツの事付同五ケ条之理、并三ケ条

四十二品 一三ケ条の合戦、備定の事 一大将三ツのさいはい、付御旗奉行、武者奉行之事 一御大将其下、侍大将、足軽天将、近寄頭きんきかしら迄、不して存不叶 一敵数人、かく義、御大将に、諸役者、内通の事 一備事 一山本勘介、前原筑前、日取破事 一法度入、不入事 一押太皷之事 一侍大将、足軽大将、ことばのさいはい三ツ 一陳取ぢんどり之事 一戦場にて、備立同くばりの事 一敵を引懸る合戦 一足軽付あひことばの事 一味方討、なきやうの事 一多勢無勢、出立の事 一味方夜軍、分別の事 一初て逢敵に、武略之事 一こぜりあひの事一城取并角馬出、付よこぐるわの事

品第四十三 一信玄公、軍法の御挨拶あいさつ人之事付足軽大将、侍大将、御使、武者奉行、旗奉行、鑓奉行 一信玄公、十六歳より、五十三迄の間、軍法工夫仕衆 一信玄公、御旗之事 一勘定奉行、三人形義かたぎの事并信虎公、御代事付鉄炮てつほう之事 一五赦の事 一於陣所制札せいさつ之事 一ぞう人陣にて、煩の時薬の事 一対陣の時、いやなる人三つい 一陣の時、崇敬人、五つい合十八 一信玄公、於御陣手柄を成者に褒美ほうびの色々 一国持三代の家、弓欠無穿鑿ぶせんさく之事 一信玄公、家老、軍法工夫、侍大将に八人、足軽大将に七人、此外七人

巻第十六 四十四品 一太刀たち折紙おりかみ之事 一幕之事付樽肴たるさかな、持出事并時太鼓之事 一湯浸ゆづけ之事、菜数七五三也 一七の膳之事 一三ツ点心之次第 一軍陣之時、引渡之次第 一義之事 一汁の有、饅頭まんぢう之事 一嚢仕立ゆぶくろしたつる事 一銚子てうし提子ひさげ之事付さかづきの事 一着物出す事 一馬道具并馬請取渡事

四十五品 一寸法之事 一具足くそくかき出る事付かぶとの事 一决拾ゆがけ之事 一むち之事付小刀渡事

四十六品 一軍陣、時之事数ケ条

巻第十七 四十七品 巻第十八 四十八品

右信玄公十八歳より、五十三歳の、四月十二日迄、公事沙汰、人の存るに違たる落着、十二通為上下以上信玄公、御代之儀終
天正元年五月より、勝頼公御仕置也、仍当御代事柄をば、将来之軍記と申、天正六年戊寅に高坂弾正死去の後、春日惣二郎書

巻第十九 四十九品 一信玄公御一代、責取給城々 一対陣の時、一対陣の時、気見る事、城を巻にも口伝有り

五十品 一勝頼公家督事 一信玄公遠慮深き事 一高坂弾正金言の事 一勝頼公、継目御朱印の事 一諏訪明神夢想むそう之事

五十一品 一甲州味方衆、心かはり 一勝頼公をこら事 一武田方、家康にくる 一勝頼公東美濃発向之事 一同年高天神、落城 一高坂内藤、能分別之事 一勝頼公、浜松迄御働 一小田原より、検見被差越事 一三河先方、奥平おくたいら逆心ぎやくしん 一信玄公、御吊ひの事

五十二品 長篠合戦事 一長篠殿後おくれのち、高坂御異見 一家康駿河へ発向同小山、後詰ごつめ之事

五十三品 一武田、贔負の衆倒 一横須賀発向之事 一飛弾越中、謙信被取 一氏政勝頼、緑者之事 一伊勢熊野、諏訪顧書 一高坂弾正御異見之事 一信玄公、軍御日取之事 一軍法之事

巻第二十 五十四品 一甲州御舘、物怪ものゝけ之事 一謙信信長、取合之事 一謙信、他界あとさわ事 一勝頼公、東上野御支配 一勝頼氏政、取合之事 一勝頼景勝、入魂じゆつこん之事 一高天神番替之事

五十五品 一富士大宮、物怪ものゝけ之事 一北条衆、武田衆船軍 一忠節の侍衆、御成敗の事 一勝頼公、出頭衆賄賂に耽る 一勝頼公、北条を捨、家康に向給事 一高天神、御番手衆、訴訟 一勝頼公出オープンアクセス NDLJP:9頭衆、御後闇き事

五十六品 一勝頼公、出頭衆臆病おくびよう御異見の事 一信長家、作州さくしう後詰ごづめ 一東上州ぜんの城、攻給ふ事 一北条家老、勝頼公味方に成る 一勝頼公、氏政対陣の事 一高天神、家康に被取給ふ 一勝頼公衆家康に駿河とうめにて負る事

五十七品 一羽柴筑前の守、謀能はかりごとよき事 一甲州新府中之事 一信長人ぢゝ返し候事 一穴山御夫婦、御恨之事 一甲州くづれの事 一勝頼公、御最期之事 一同御父子、御しるし実検じつけん之事

五十八品 一信長甲州入、仕置之事 一信長勝頼公、御跡四ケ国割 一同威勢之事 一氏政信長、切腹をよろこ事 一高坂弾正、分別当る事

五十九品 一家康より北条氏直へ、こし入の事 一甲州衆、家康衆に成事 一家康、駿甲信仕置しおき、付小姓こしやう伊井の万千代、大身に被成候事 一家康秀吉、取合之事 一勝頼公、被仰たる事

右此趣、存知出次第書之、年号万次第不同、猥に候へども、それをゆるし給ひて、只此理窟をとりて、勝頼公御代の、たくらべにとのみ