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伊勢物語

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伊勢物語 朱雀院塗籠御本


むかしおとこありけり。うゐかぶりして。ならの京かすがの里にしるよしして。かりにいきけり。其さとに。いともなまめきたる女ばら[女はらからイ]すみけり。かのおとこかいま見てけり。おもほえずふるさとに。いともはしたなくありければ。心ちまどひにけり。男きたりけるかりぎぬのすそをきりて。うたをかきてやる。そのおとこしのぶずりのかりぎぬをなんきたりける。

 かすかのゝ若紫の摺ころもしのふのみたれかきりしられす

となん。をいつぎてやれりける。となんいひつぎてやれりけるおもしろきことゝや。

 陸奧に忍ふもちすりたれゆへに亂れそめけん我ならなくに

といふうたのこゝろばへなり。むかし人は。かくいちはやきみやびをなんしける。

昔男ありけり。みやこのはじまりける時。ならの京ははなれ。此京は人の家 いまださだまらざりける時。西京に女有けり。其女世の人にはまさりたりけり。かたちよりは心なんまされりける。人そのみも[ひとりのみにもイ]あらざりけらし。それをかのまめ男うち物かたらひて。かへりきていかが思ひけん。時は彌生の朔日。雨うちそぼふりけるにやりける。

 おきもせすねもせてよるを明しては春の物とて詠め暮しつ

昔男ありけり。けさうしける女のもとに。ひじきといふものをやるとて。

 思あらは葎の宿にねもしなんひしきものには袖をしつゝも

五條[二條イ]の后の。いまだみかどにも。つかうまつらで。たゞ人にておはしけるときのことなり。

昔東五條に。おほきさいの宮のおはしましける西の對にすむ人ありけり。それをほいにはあらでゆきとぶらふ人。こゝろざしふかゝりけるを。む月の十日あまり。ほかにかくれにけり。ありどころはきけど。人のいきよるべきところにもあらざりければ。なをうしとおもひつゝなんありける。又のとしのむ月に。梅花さかりなるに。こぞを思ひて。かのにしのたいにいきて見れど。こぞににるべうもあらず。あばらなるいたじきに。月のかたむくまでふせりて。こぞをこひて讀る。

 月やあらぬ春や昔の春ならぬわか身一つはもとのみにして

とよみて。ほのとあくるに。なくかへりにけり。

昔男有けり。ひんがしの五條わたりに。いとしのびいきけり。しのぶ所なればかどよりもいらで。ついぢのくづれよりかよひけり。人たかしくも[しげくもイ]あらねど。たびかさなりければ。あるじきゝつけて。そのかよひぢに。夜ごとに人をすへてまもらせければ。かのおとこえあはでかへりにけり。さてつかはしける。

 人しれぬわか通路の關守はよひことにうちもねなゝん

とよみけるをきゝて。いといたうえんじける。あるじゆるしてけり。

昔男有けり。女のえあふまじかりけるを。年をへていひわたりけるに。からうじて女のこゝろあはせて。ぬすみて出にけり。あくた河といふ河をゐていきければ。草のうへにをきたる露を。かれはなにぞとなん男にとひける。ゆくさきはいととほく。夜も更ければ。おにある所ともしらで。雨いたうふり。神さへいといみじうなりければ。あばらなるくらの有けるに。女をばおくにおしいれて。男は弓やなぐひをおひて。とぐちに。はや夜もあけなむとおもひつゝゐたりけるほどに。鬼はや女をばひとくちにくひてけり。あゝやといひけれど。神のなるさはぎにえきかざりけり。やう夜の明行を見れば。ゐてこし女なし。あしずりしてなけどかひなし。

 白玉か何そと人のとひし時露とこたへてけなましものを

これは二條の后の。御いとこの女御のもとに。つかうまつ[る歟]人のやうにて。ゐ給へりけるを。かたちのいとめでたうおはしければ。ぬすみていでたりけるを。御せうとのほり河の大將もとつねの。くにつねの大納言などの。いまだげらうにて內へまいり給ふに。いみじうなく人のあるを聞つけて。とりかへしたまひてけり。それをかくおにとはいへる也。いまだいとわかうて。たゞにきさひのおはしけるときとや。

むかしおとこ有けり。女をぬすみてゐてゆく道にて。水のまんととふに。うなづきければ。つきなんどもぐせねば。手にむすびてのます。さてゐてのぼりにけり。女はかなくなりにければ。もとの所へゆく道に。かのし水飮し所にて。

 大原やせかゐの水をむすひ上てあゝやと云し人はいつらそ

といひてきえかゑり。あはれといへどかひなし。

昔男ありけり。京にありわびて。あづまへゆきけるに。伊勢おはりのあはひの海づらをゆくに。なみのいとしろくたちかへるを見て。おもふ事なきならねば。おとこ。

 いとゝしく過行かたの戀しきにうらやましくもかへる浪哉

むかし男ありけり。そのおとこ。身はようなきものに思ひなして。京にはをらじ。あづまのかたにすむべき所もとめにとてゆきけり。しなののくにあさまのたけに。けぶりたつを見て。

 しなのなる淺間のたけに立煙をちかた人の見やはとかめぬ

もとよりともする人。ひとりふたりして。もろともにゆきけり。みちしれる人もなくて。まどひゆきけり。みかはのくにやつはしといふ所にいたりぬ。そこやつはしといふことは。水のくもでにながれわかれて。木八わたせるによりてなむ八橋とはいへる。その澤のほとりに。木かげにおりゐて。かれいひくひけり。その澤にかきつばたいとおもしろくさきたり。それを見て。都いとこひしくおぼえけり。さりけれぱある人。かきつばたといふいつもじを。くのかしらにすへて。たひの心よめといひければ。ひとの人よめり。

 から衣きつゝなれにしつましあれは遙々きぬる旅をしそ思

と讀りければ。みな人かれいひのうへに淚落してほとびにけり。ゆきて。するがの國にいたりぬ。うつの山にいたりて。わがゆくすゑのみちは。いとくらくほそきに。つたかづらはしげりて。もの心ぼそう。すゞろなるめを見ることとおもふに。す行者あひたり。かゝるみちには。いかでかおはするといふに。見れば見し人なりけり。京にその人のもとにとて。文かきてつく。

 するかなるうつの山への現にも夢にも人のあはぬなりけり

富士の山を見れば。さ月つごもり雪いとしろくふりたり。

 時しらぬ山はふしのねいつとてかかのこまたらに雪の降覽

この山は。上はひろく。しもはせばくて。大笠のやうになん有ける。高さはひえの山をはたちばかり。かさねあげたらんやうになん有ける。なをゆきて。むさしの國としもつふさの國と。ふたつがなかに。いとおほきなる河あり。その河の名をば。すみだ川となんいひける。その河のほとりに。むれゐておもひやれば。かぎりなくとをく もきにけるかな とわびをれば。わたしもり。はや舟にのれ。日もくれぬといふに。のりてわたらんとするに。みな人物わびしくて。京に思ふ人なきにしもあらず。さるおりにしろき鳥の。はしとあしとあかきが。しぎのおほきさなる。水のうへにあそびつゝ。いををくふ。京には見えぬとりなれば。人々みしらず。わたしもりにとへば。これなむ都鳥と申といふをきゝて。

 名にしおはゝいさこととはん都鳥我思ふ人は有やなしやと

とよめりければ。舟人こぞりてなきにけり。その河渡り過て。都に見しあひて物がたりして。ことづてやあるといひければ。

 都人いかゝととはゝ山たかみはれぬ雲ゐにわふとこたへよ

むかし男。むさしの國まどひありきけり。その國なる女をよばひけり。父はこと人にあはせんといひけるに。母なんあてなる人に心つけたりける。父はたゞ人にて。母なん藤原なりける。さてなんあてなる人にとはおもひける。此むこがねに。よみてをこせたる。すむさとは。むさしのくにいるまのこほりみよしのの里なり。

 み吉野の賴むの鴈もひたふるに君か方にそよるとなくなる

かへし。むこがねかへし。

 我方によるとなくなるみ吉野のたのむの鴈をいつか忘れん

人の國にても。かゝることは。たえずぞありける。

昔男有けり。東へゆきけるに。友だちに道よりをこせける。

 忘るなよほとは雲ゐに成ぬとも空行月のめくり逢まて

むかしおとこありけり。女をぬすみて。むさしの國へ行ほどに。ぬす人成ければ。くにのつかさからめければ。女をば草むらの中にをきてにげにけり。みちゆく人。此野はぬす人ありとて。火をつけんとするに。女わびて。

 むさしのはけふはな燒そ若草の妻もこもれり我もこもれり

とよみけるを聞て。この女をばとりて。ともにゆきにけり。

昔。武藏なる男。京なる女のもとに。きこゆればはづ[か脫歟]し。きこ[え脫歟]ねばくるしとかきて。うはがきにむさしあぶみとのみ書て。のちをともせずなりにければ。京より女。

 武藏鐙流石に懸て思ふにはとはぬもつらしとふもうるさし

とあるを見てなん。たへがたきこゝちしけり。

 とへはいふとはねは恨む武藏鐙かゝる折にや人はしぬらん

むかし男。みちのくにに。すゞろにいたりにけり。そこなる女。京の人をば。めづらやかにかおもひけん。せちにおもへるけしきなん見えける。さてかの女。

 中々に戀にしなすはくはこにそなるへかりける玉のを計り

うたさへぞひがめりける。さすがにあはれとやおもひけん。いきてねにけり。夜ふかく出にければ女。

 夜も明はきつにはめなてくたかけのまたきに鳴てせなをやりつる

といひけり。おとこ京へなんまかるとて。

 栗原のあねはの松の人ならは都のつとにいさといはまし

といへりければ。よろこびて思ひけりとぞいひける。

昔。男。みちの國へありきけるに。なでうことなき人のむすめにかよひけるに。あやしくさやうにてあるべき女にはあらず見えければ。

 忍ふ山しのひてかよふ道もかな人の心の奧もみるへく

女かぎりなくめでたしとおもへど。さるさがなきえびす所にては。いかゞはせん。

昔。みちのくににおとこすみけり。みやこへいなんとするに。女いとかなしと思ひて。むまのはなむけをだにせんとて。おきのゐみやこつしまといふ所にて。さけのませんとして よめる。

 おきのゐて身を燒よりもわひしきは都つしまの別れなり鳬

とよめりけるに。めでてとまりにけり。

むかし。きのありつねといふ人有けり。みよのみかどにつかへて。ときにあひたりけれど。のちには世かはり時うつりにければ。よのつね時うしなへる人になりにけり。人がらは 心うつくしう。あてなることをこのみて。こと人にもにず。よのわたらひ心もなくまづしくて。猶むかしよかりし時の心ながら。ありわたりけるに。よのつねのこともしらず。としごろありなれたる女も。やうとこはなれて。つゐにあまになりて。あねのさきだちてあまになりにけるがもとへゆく。おとこ。まことにむつまじき事こそなかりけれ。いまはとてゆくを。いと哀とはおもひけれど。まづしければ。するわざもなかりけり。思ひわびて。ねんごろにかたらひけるともだちに。かう今はとてまかるを。何事もいさゝかの事もせで。つかはすこととかきて。おくに。

 手を折てへにける年を數ふれは十と言つゝよつはへにけり

このともだちこれを見て。いとあはれとおもひて。女のさうぞくを一具をくるとて。

 年たにもとをとてよつをへにけるを幾度君を賴みつきらん

かくいひたりければ。よろこびにそゑて。

 これやこのあまの羽衣むへしこそ君かみけしに奉りけれ

よろこびにたへかねて又。

 秋やくる露やまかふと思ふまてあるは淚のふるにそ有ける

昔。年比音信ざりける人の。櫻見に來たりければ。あるじ。

 あたなりとなに社たてれ櫻花としにまれなる人もまちけり

返し。

 けふこすはあすは雪とそ降なまし消すは有と花とみましや

むかし。なま心ある女ありけり。男とかういひけり。女歌よむ人なりければ。こゝろみんとてむめを折てやる。

 紅にゝほふはいつら白雪の枝もたはゝにふるやとも見ゆ

おとこしらず。よみによみけり。

 紅にゝほふかうへのしら雪は折ける人の袖かとそ見る

昔男。みやづかへしける女[の方にイ]ごたちなりける人をあひしれりけり。ほどもなくかれにけり。おなじところなりければ。さすがに女のめには見ゆるものから。男はあるものにもおもひたらねば。をんな。

 天雲のよそにも人のなりゆくか流石にめには見ゆる物から

とよめりければ。おとこ。

 行かヘり空にのみしてふることは我いる山の風はやみなり

とよめるは。あまた男ある女になむありける。

昔おとこ。やまとにある女をよばひて。あひにけり。さてほどへて。宮づかへしける人なりければ。かへりけるみちに。やよひばかりに山にかえでのもみぢの。いとおもしろきをおりて。すみし女のもとにみちより。

 君かためたをれる枝は春なからかくこそ秋の紅葉しにけれ

とてやりたりければ。返事は京にいきつきてなん。もてきたりける。

 いつのまに移ろふ色のつきぬらん君か里には春なかるへし

昔男女。いとかしこう思ひかはして。ことごゝろなかりけるを。いかなることか有けむ。はかなきことにことづけて。よの中をうしと思ひて。いでていなんとて。かゝる歌なん物にかきつけゝり。

 出ていなは心かろしといひやせん世の有樣を人はしらすて

とよみて。をきて出ていにけり。この男かくかきをきたるをみて。心うかるべきこともおぼえぬを。何によりてならむ。いといたううちなきて。いづ方にもとめゆかんと。かどに出てとみかうみ見けれど。い[づイ]こをはかともおぼえざりければ。かへり入て。

 思ふかひなき世成けり年月をあたに契て我かすまひし

 人はいさなかめやすらん玉かつら俤にのみいてゝみえつゝ

といひてながめをり。この女いとひさしくありて。ねんじかねてにやあらん。かくいひをこしたり。

 今はとて忘るゝ草のたねをたに人の心にまかせすもかな

返し。おとこ。

 忘草かるとたにきく物ならは思ひけりとはしりもしなまし

またありしより けにいひかはして。おとこ。

 忘るらんと思ふ心のうたかひに有しよりけに物そかなしき

かへし。

 中空に立ゐる雲のあともなく身のはかなくも成ぬへきかな

とはいひけれど。をのが世々になりにければ。うとく成にけり。

むかしはかなくてたえにける中。をか[なをやイ]わすれざりけん女のもとより。

 うきなから人をはえしも忘ねはかつ恨つゝ猶そ戀しき

といひければ。さればよと思ひて。

 あひはみて心ひとつをかはしまの水の流て絕しとそ思ふ

とはいひけれど。その夜いにけり。いにしへゆくさきの事どもぞおもふ。

 秋のよのちよを一夜に準へてやちよしねはや飽由のあらん

返し。

 秋夜の千夜を一よになせりともことは殘て鳥や鳴なん

いにしへよりも哀にてなむかよひける。

むかし。いなかわたらひしける人の子ども。井のもとにいでゝあそびけるを。おとなになりにければ。おとこも女もはぢかはしてありければ。男はこの女をこそえめ。をんなはこの男をと心ひつゝ。おやのあはすることもきかでなんありける。さてこのとなりのおとこのもとよりなん。

 筒ゐつの井筒にかけし麿かたけ過にけらしなあひ一本見さるまに

返し。

 くらへこし振分髮もかたすきぬ君ならすして誰かなつあく一本へき

かくいひて。ほいのごとくあひにけり。さて年ごろふるほどに。女のおやなくなりて。たよりなかりければ。かくてあらんやはとて。かうちのくにたかやすのこほりにいきかよふ所いできにけり。さりけれど。このもとの女。あしとおもへるけしきもなく。くるればいだしたてゝやりければ。男こと心ありて。かゝるにやあらんとおもひうたがひて。ぜんざいのなかにかくれゐて。かの河內へいぬるかほにて見れば。この女。いとようけさうして。うちながめて。

 風吹はおきつしら浪たつた山夜半にや君か獨ゆくらん

とよめりけるをきゝて。限なくかなしと思ひて。河內へもおさかよはずなりにけり。さてまれかのたかやすのこほりにいきて見れば。はじめこそこゝろにく[くイ]もつくりけれ。いまはうちとけて。髮をかしらに卷あげて。おもながやかなる女の。てづ[かイ]らいひがいをとりて。けごのうつはものに。もりてゐたりけるをみて。心うがりていかずなりにけり。さりければ。かの女やまとのかたを見やりて。

 君かあたり見つゝをくらん伊駒山雲な隱しそ雨はふるとも

といひて見いだすに。からうじて。やまと人こむといへり。よろこびてまつに。たび過ぬれば。

 君こむと云しよことに過ぬれは賴めぬ物のこひつゝそをる

といへりけれど。おとこすまずなりにけり。

昔男。かたいなかにすみけり。おとこ宮づかへしにとて。わかれおしみてゆきにけるまゝに。みとせこざりければ。まちわたりけるに。いとねんごろにいひける人に。こよひあはんとちぎりたりけるに。この男きたりけり。この戶あけたまへと。たゝきければ。あけてなんうたをよみていだしたりける。

 あら玉の年のみとせを待わひてたゝ今小宵社新枕すれ

といひいだしたりければ。おとこ。

 梓弓まゆみ槻弓としをへて我せしかことうるはしみせよ

といひて。いなんとすれば。うらみて女。

 あつさ弓ひけとひかねと昔より心はきみによりにしものを

といひけれど。男かへりにけり。女いとかなしうて。しりにたちてをひけれど。えをひつかで。し水のある所にふしにけり。そこなる岩に。をよびのちしてかきつけゝり。

 あひ思はてかれぬる人をとゝめかね我身は今そ消果ぬめる

とかきて。いたづらになりにけり。

昔おとこありけり。あはじともいはざりける女の。さすがなりけるがもとにいひやりける。

 秋のゝに一本笹分し朝の袖よりもあはてぬる夜そひち勝りける

色ごのみなりける女。返し。

 みるめなき我身を浦としられはや枯なて蜑の足たゆくくる

昔男。人のむすめのもとに一夜ばかりいきて。またもいかずなりにければ。女のおやはらだちて。手あらふ所に。ぬきすをとりてなげすてければ。たらひの水に。なくかげのみえけるを。みづから。

 我はかり物思ふ人は又あらしと思へは水のしたに有けり

とよめりけるを。このこざりける おとこきゝて。

 水口に我やみゆらん蛙さへ水の下にてもろこえになく

昔いろごのみなりける女。いでていにければ。いひがひなくて。男

 なとてかくあふこかたみとかたみとも一本成ぬらん水もらさしと契しむすひ一本物を

ニ條后の春宮のみやす所と申ける時の御かたの花の宴に。めしあげられたりけるに。肥後のすけなりける人。

 花にあかぬ歎はいつもせしか共けふの今宵にしく物そなきしくをりはなき一本

とよみてたてまつれり。

むかしおとこ。はつかなりける女に。

 逢ことは玉のをはかり思ほえてつらき心のなかくみるらん

むかしおとこ。宮のうちにて。あるごたちのつぼねのまへをわたるに。なにをあだとかおもひけん。よしや草葉のならんさが見んと。いひければ。男。

 つみもなき人をうけへは忘草をのか上にそおふといふなる

といふを。ねたう女も思ひけり。

昔男。津のくにむばらのこほりにすみける女にかよひける。此たびかへりなば。又はよもこじと思へるけしきをみて。女のうらみければ。

 あしへ一本よりみちくる汐のいやましに君に心を思ひます哉

女返し。

 こもり江に思ふ心をいかてかは舟さす掉のさしてしるへき

いなかの人のことにてはいかゞ。

むかしおとこ。つれなかりける人のもとに。

 いへはえにいはねはむねのさはかれて心一つになけく比哉

おもひていへるなるべし。

むかし男。心にもあらでたえにける女のもとに。

 玉のをゝあはをによりて結へれは逢ての後もあはぬ成けりあはんとそ思ふ一本

昔忘ぬなめりと。とひごとしける女のもとに。

 谷せはみ峯まてはへる玉かつら絕んと人をわか思はなくに

女かへし。

 僞と思ふ物から今さらにたかまことをか我はたのまん

むかしおとこ。いろごのみなりける人をかたらひて。うしろめたなしとやおもひけん。

 我ならて下紐とくな朝かほの夕かけまたぬ花には有とも

女かへし。

 ふたりして結ひし物を獨して逢みんまてはとかしとそ思ふ

むかし。きのありつね物にいきて。ひさしうかへらざりけるにいひやる。

 君により思ひならひぬ世中の人は是をや戀といふらん

返し。

 習はねは世の人ことに何をかも戀とはいふととひわふれ共

昔わかき男。けしうあらぬ人を思ひけり。さかしらするおやありて。おもひもつくとて。このをんなをほかへならんといふ[おひやらんとすイ]。人の子なれば。まだ心ごゝろのいきをひなくて。えとゞめず。女もいやしければ。すまふちからなし。さこそいへ。まだえやらずなるあひだに。思ひはいやまさりにまさる。おやこの女ををひいづ。男ちのなみだをおとせども。とゞむるちからなし。つひにいぬれ[ゐていでていぬイ]。女かへし人につけて。

 いつこまておくりはしつと人とはゝあかぬ別れの淚河まて

おとこなくよめる。

 いとひては誰か別の難からんありしにまさるけふは悲しな

とよみてたえいりにけり。おやあはてにけり。なをざりに思ひてこそいひしか。いとかくしもあらじとおもふに。まことにたえいりたれば。まどひて願などたてけり。けふのいりあひばかりにたえいりて。又の日のいぬの時ばかりになん。からうじていきいでたりける。むかしのわか男は。かゝるすける物思ひなんしける。今のおきなまさにしなんやは。

昔女はらからふたり有けり。ひとりはいやしき男のまづしき。ひとりはあてなる男のとくあるもちたりけり。そのいやしきおとこもちたる。しはすのつごもりに。うへのきぬをあらひて。手づからはりけり。心ざしはいたしけれども。いまださるわざもならはざりければ。うへのきぬのかたをはりさきてけり。せんかたもなくて。なきにのみなきけり。これをかのあてなる男きゝて。いと心ぐるしかりければ。いときよげなりける四位のうへのきぬ。たゞかた時に見いでて。

 紫の色こき時はめもはるに野なる草木そわかれさりける

むさし野の心なるべし。

昔男。色ごのみとしる。女をあひしけり。にくゝもあらざりけれど。なをいとうたがひうしろめたな[き歟]うへに。いとたゞには。あらざりけり。ふつかばかりいかで。かくなん。

 出て行あとみち一本たにいまたかはかぬにたか通路と今はなるらん

ものうたがはしさに。よめるなり。

昔かやのみこと申すみこ おはしましけり。其みこ女をいとかしこう。めしつかひたまひけり。いとなまめきて有けるを。わかき人はゆるさゞりけり。我のみと思ひけるを。又人きゝつけて文やる。郭公のかたをつくりて。

 時鳥なかなく里のあまたあれは猶うとまれぬ思ふ物から

といへりけり。この女けしきをとりて。

 名のみたつしてのたおさはけさそなく庵數多に疎まれぬれは

一時はさ月になんありければ。男又返し。

 いほり多きしてのたおさは猶賴む我すむ里に聲したえすは

昔あがたへゆく人に。馬のはなむけせんとて。よびたりけるに。うとき人にしあらざりければ。いへとうじして。さかづきさゝせなどして。女のさうぞくかづく。あるじの男うたをよみて。ものこしにゆひつけさす。

 いてゝゆく君か爲にとぬきつれは我さへもなく成ぬへき哉

むかし宫づかへしける男。すゞろなるけがらひにあひて。家にこもりゐたりけり。時はみな月のつごもりなり。夕暮に風すゞしく吹。螢など飛ちがふを。まぼりふせりて。

 行螢雲の上まていぬへくは秋風吹とかりにつけこせ

昔すき者の心ばえあり。あでやかなりける人のむすめのかしづくを。いかで物いはんと思ふ男有けり。こゝろよはくいひいでんことやかたかりけん。物やみになりてしぬべきとき。かくこそおもひしかといふに。おやきゝつけたりけり。まどひきたるほどに。しにゝければ。家にこもりて。つれとながめて。

 暮かたき夏の日くらしなかむれはその事となく物そ悲しき

むかしおとこ。ねんごろにいかでと思ふ女ありけり。されどこの男あだなりときゝて。つれなさのまさりて。

 大幣のひくてあまたに閒ゆれは思へとえこそ賴まさりけれ

返し。

 大幣と名に社たてれ流れてもつゐによるせはあるてふ物を

むかしおとこ有けり。ものへ行人に。むまのはなむけせんとて。ひと日まちけるに。こざりければ。

 今そしる苦しき物と人またん里をはかれすとふへかりけり

昔男。いもうとのおかしげなるを見て。

 うらわかみねよげにみゆる若艸を人の結はぬことをしそ思ふ

ときこえければ。返し。

 初草のなとめつらしきことのはそうらなく物を思ひける哉

むかし男有けり。人をうらみて。

 鳥のこをとをつゝ十はかさぬとも思はぬ人を思ふものかは

 白露をけたて千とせはありぬともいかゝたのまん人の心を

といへりければ。をんな。

 朝露は消のこりても有ぬへし誰か此世をたのみはつへき

又おとこ。

 吹風にこそのさくらはちらすともあなたのみかた人の心や

又返し。女。

 行水にかすかくよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり

又おとこ。

 行水とすくる齡とちる花といつれまててふことをきくらん

あだにて。たがひにしのびありきすることをいふなるべし。

むかしおとこ。人の前栽うへけるに。

 古今移し植はうへしうへは一本秋なき時やさかさらん花こそちらめねさへ枯めや}}

むかしおとこありけり。人のもとより。かざりちまきをこせたる返事に。

 葛蒲かり君は沼にそ惑ひける我は野に出てかくそをゝしき

とて。きじをなんやりける。

むかしおとこ。ありあひ一本がたかりける女に。物がたりなどするほどに。とりのなきければ。

 いかてかは一本鳥のなくらん人しれすおもふ心はまた夜深きに

むかしおとこ。つれなかりける女に。いひやりけり。

 行やらぬ夢路をたとる袂にはあまつそらなき露やをくらん

昔男。ふして思ひおきておもひあまりて。

 我袖は草の庵にあらねともくるれは露のやとりとそなる

昔。人しれぬ物おもひける男。つれなき女のもとに。

 戀わひぬ蜑のかるもに宿るてふ我かく一本身をもくたきつる哉

昔。心つきな[きイ]色ごのみなる男。なが岡といふ所に家つくりてをりけり。そこのとなりなりける宮ばらに。こともなき女どもありけり。ゐなかなりければ。田から[む]とて此男見をりけるに。いみじのすきものの。しわざやとてあつまりいりきけれはいりければ一本。此男おくににげいりにけき。女かく。

 あれにけりあはれ幾よの宿なれや住けん人のをとつれもせす

といひて。あつまりきければ。男。

 葎生て荒たる宿のうれたきはかりにもおき[鬼イ]のすたく也けり

といひてなむ出したりける。此女どもほひろはんといひければ。

 打わひて落穗拾ふときかませは我も田つらにゆかまし物を

昔男有けり。宮づかへもいそがしくて。心もまめならざりければ。家とうじ「と新」[イニナシ]まめに思はんといひける人につきて。人の國へいにけり。この男うさの使にていきけるに。ある國のしぞうの官人のめになんあると聞て。女あるじに。かはらけとらせよ。さらばのまんといひければ。かはらけとらせて。いだしたりけるに。さかななりけるたち花をとりて。

 さ月まつ花橘の香をかけは昔の人の袖のかそする

といへりけるにぞ。思ひ出てあまになりて。山には入にける。

昔つくしまでいきたりける男有けり。これはいろこのむなるすきものぞと。すだれのうちなる人のいひけるをきゝて。男。

 染河を渡らん人のいかてかは色になるてふことなかるへきのなからん一本

女返し。

 名にしおはゝあたにそ思ふあるへき一本たはれ嶋浪の濡衣きるといふ也

昔年ごろをとろへざりける女。心かしこくやあらざりけん。はかなき人のことにつきて。人の國なりける人につかはれて。もとみし人のまへにいできて。物くはせなどしありきけり。長きかみをきぬのふくろに入て。遠山ずりのながきあををぞきたりける。よさりこのありつる人たまへと。あるじにいひければ。をこせたりけり。男われをばしらずやとて。

 いにしへの匂ひはいつら櫻花わけるかこともちれるが如も一本なりにける哉

といふを。いとはづかしとおもひて。いらへもせでゐたるを。などいらへもせぬといへば。淚のながるゝに。めもみえずものもいはれずといへば。おとこ。

 是やこの我にあふみをのかれつゝ年月ふれとまさり顏なみ

といひて。きぬぬぎてとらせけれど。すててにげにけり。いづこにいぬらんともしらず。

むかし。世ごゝろある女。いかでこのなさけある男をかたらひてしがなと思へども。いひいでんにもたよりなければ。まことならぬ夢がたりを。むす子みたりをよびあつめてかたりけり。ふたりの子はなさけなくいらへてやみぬ。さぶらふなりけるなん。よき御おとこぞいでこむとあはするに。この女けしきいとよし。こと人はいとなさけなし。いかでこの在五中將にあはせてしがなとおもふ心ありけり。かりしありきける道にゆきあひにけり。馬のくちをとりて。やうなんおもふといひけれは。あはれがりてひとよねにけり。さてのちをさをさこねば。女おとこの家にいきて。かいま見けるを。男ほのかにま見て。

 百とせに一とせたらぬつくもかみ我をこふらし俤にたつ

といひて。馬にくらおかせていでたつけしきを見て。むばらからたちともしらずはしりまどひて。家にきてふせり。男この女のせしやうに。しのびてたてりて見ければ。女うちなきてぬとて。

 さむしろに衣片しきこよひもや戀しき人にあはてわかねん

とよみけるを。あはれとみてその夜はねにけり。世中のれいとして。思ひおもはぬ人有を。この人はそのけぢめ見せぬこゝろなんありける。

むかし男。女をみそかにかたらふわざもせざりければ。いづこなりけむ。あやしさによめる。

 吹風に我身をなさは玉すたれひま求めつゝいらましいるへき一本ものを

返し。女。

 とりとめぬ風にはあれと玉簾たかゆるさはか隙もとむへき

とてやみにけり。

昔。みかどの時めきつかはせ給ふ女。色ゆるされたる有けり。あほみやす所とていまそかりけるが御いとこなりけり。殿上につかはせ給ひける。ありはらなりける男。女がたゆるされたりければ。女のある所にいきて。むかひをりければ。女いとかたはなり。身もほろびなん。かくなせそといひければ。

 思ふには忍ふることそ負にける逢にしかへはさもあらはあれ

といひて。さうしにおりたまへば。いとゞさうしには。人の見るをもしのばでのぼりゐければ。此女思ひわびてさとへゆきければ。なにのよきこととおもひてゆきかよふに。みな人きゝてわらひけり。つとめてとのもとのもり一本づかさの見るに。くつはとりておくになげいれてのぼりゐて。かくかたはにしつゝありわたるよ。身もいたづらになりぬべければ。つゐにほろびぬべしとて。この男いかにせん。わかゝる[がかゝるイ]心やめ給へと。ほとけ神にも申けれど。いやまさりつゝおぼえつゝ。なをわりなくこひしきことのみおぼえければ。かんなぎをんやうじして。こひせじといふみそぎのぐしてなんいきける。はらへけるまゝにいとゞかなしきことのみかずまさりて。ありしよりけに戀しくのみおぼえければ。

 戀せしとみたらし河にせしみそき神はうけすも成にける哉けらしも古今

といひてなんきにける。

このみかどは。御かほかたちよくおはしまして。曉には佛の御名を心にいれて。御聲はいとたうとくて申給ふを聞て。此女はいたうなげきけり。かゝる君につかうまつらで。すぐせつたなうかなしきこと。此男にほだされてと思ひてなんなきける。かゝるほどに。みかどきこしめしつけて。此男ながしつかはしければ。あの女をば。いとこの宮す所まかでさせて。とののくらにこめてしほり給ひければ。くらにこもりて。なく

 蜑のかるもにすむ虫の我からとねを社なかめ世をは恨みし

となきをれば。此男は人の國より夜ごとにきつゝ。笛いとおもしろくふきて。聲はいとおかしくてうたをぞうたひける。此女くらにこもりながら。そこにぞあなりとはきゝけれど。逢見るべきにもあらで。かくなん。

 さり共と思ふらん社悲しけれ有にもあらぬ身をはしらすて

とおもひをり。おとこは女しあはねば。かくしありきつゝうたふ。

 徒に行てはかへる物ゆへに見まくほしさにいさなはれつゝ

水のおの御時の事ニ條のきさきともこのことは一本なるべし。おほみやす所とは。そめどのの后なり。

むかし男。つのくににしるところありけり。あにをとゝともだちなんどひきゐて。なにはのかたにいきけり。なぎさをうち見ければ。船どものあるを。

 難波津に一本けふこそみつの浦ことに是や此よをうみわたる舟

これをあはれがりて。人々かへりにけり。

昔男。いづみの國にいきけり。つの國住よしのこほりすみよしの里のはまゆくに。いとおもしろければおりゐつゝ。ある人すみよしのはまとよめといふに。

 鴈なきて菊の花さく秋はあれと春は海へに住吉の濱

とよめりければ。みな人よまずなりにけり。

昔男有けり。その男伊勢の國にかりのつかひにいきけるを。かの伊勢の齋宮なりける人のおや。つねの使よりは此人よくいたはれといひやりけり。おやのいふことなりければ。いとねんごろにいたはりけり。あしたにはかりにいだしたてゝやり。ゆふさりはこゝにかへりこさせけり。かくてねんごろにいたはりけるほどに。いひつぎにけり。二日といふ夜われてあはむといふ。女はたいとあはじとも思へらず。されど人めしげければえあはず。つかひさねとある人なれば。とをくもやどさず。ねやちかくなん有ける。女人をしづめて。ねひとつばかりに男のもとにきにけり。男はたねられざりければ。とのかたを見いだしてふせるに。月のおぼろなるに人のかげするを見れば。ちいさきわらはをさきにたてゝ人たてり。おとこいとうれしくて。わがぬる所にゐていりて。ねひとつよりうしみつまで物かたらひけり。いまだなにごともかたらひあへぬほどに。女かへりにければ。男いとかなしくてねず成にけり。つとめてゆかし[いぶかしイ]けれど我人をやるべきにしあらねば。心もとなくてまちみれば。あけはなれてしばしあるほどに。女の許より詞はなくて。

 君やこし我やゆきけんおもほえす夢か現かねてかさめてか

男いたううちなきて。

 かきくらす心のやみに惑ひにき夢うつゝとは今宵よひに一本さためよ

とてかりにいでぬ。野にありきけれど心はそらにて。いつしか日もくれなんとおもふほどに。國のかみの。いつきの宮のかみかけたりければ。かりの使ありときゝて。夜ひとよさけのみしければ。もはらあひごともせで。あけばおはりの國へたちぬべければ。男もをんなも。なみだをながせどもあふよしもなし。夜やうやうあけなんとするほどに。女のかたよりいだすさかづきのうらに。

 かち人のわたれはぬれぬえにしあれは

とかきてすゑはなし。てのさかづきのうらについまつのすみしてかきつく。

 またあふさかのせきはこえなん

あくれば。おはりへこえにけり。

むかし男。かりの使よりかへりけるに。おほよどのわたりにやどりて。いつきのみやのわら[はべイ]にいひかけける。

 みるめかるかたはいつこそ掉さして我にをしへよ蜑の釣舟

昔男。伊勢の齋宮に內の御使にてまいれりければ。かの宮にすてこすゝ子一本といひける女。わたくしごとにて。

 千早振神のいかきもこえぬへし大宮人の見まくほしさに

おとこかへし。

 戀しくはきてもみよかし千早振神のいさむる道ならなくに

むかし。そこにありときゝけれど。せうそこをだにいふべくもあらぬ女のあたりをありきて。男のおもひける。

 ありとみて手にはとられぬ月のうちの桂男ののことく一本君にも有かな

むかし。女をいたううらみて。

 岩根ふみかさなる山はへたてねとあはぬ日おほく戀渡る哉

むかし男。伊勢の國なりける女に。又もえあはでうらみければ。女。

 大淀の濱におふてふみるからに心はなきぬかたらはねとも

といひて。ましてつれなかりければ。

 袖ぬれて蜑の刈干すわたつ海のみるめ逢迄やまんとやする

女。

 岩間より生るみるめし常ならは汐干汐みちかひもしほりはかひもからなん一本あらなんありなし一本

又。おとこ。

 淚にそぬれつゝしほるあた人のつらき心は袖のしつくか

とのみいひて。世にあふことかたきことになん。

むかし男。伊勢國なりける女を。またはえあはで。となりの國へいくとて恨ければ。女。

 大淀の松はつらくもあらなくにうらみてのみもかへる浪哉

昔。ニ條の后の春宮のみやす所と申けるころ。氏神にまうで給けるに。つかうまつれりけるこのゑづかさなりける翁。人々のろく給はりけるつゐでに。御車より給はりてよみて奉る。

 大原や小鹽の松も山へけふこそは神世のことおもひいつらしるら一本古今

 昔きたのみこと申すみこいまそかりけり。田村の御門のみこにおはします。そのみこうせ給ひて。なゝ七日のみわざ安祥寺にてしけり。右大將藤原のつねゆきといふ人。其みわざにまいり給ひて。かへさに山しなのぜんじのみこの御もとにまいり給ふに。その山科の宮。瀧おとし水はしらせなどして。おもしろく作れり。まうで給ふて。年比よそにはつかうまつれど。まだかくはまいらず。こよひはこてにさぶらはんと申給ふを。みこよろこび給ひ。よるのおまし所まうけさせ給ふ。この大將いでて。人にたばかり給ふやう。宮づかへのはじめにただにやは有べき。三條にみゆき有し時。きのくにの千里の濱にありけるいとおもしろき石奉れりき。みゆきの後奉れりしかば。あるみさうしのまへのみぞにすへたりしを。このみこのみ給ふものなり。かの石をたてまつらんとのたまひて。とりにつかはす。いくばくもなくてもてきぬ。この石きくよりは見るまさりたり。これをたゞにたてまつらば。すゞろなるべしとて。人々に歌よませ給ふ。むまのかみなりける人よめり。

 あかねとも岩にそかふる色みえぬ心をみせん由のなけれは

この石は。あをきこけをきざみて。まきゑをしたらむやうにぞありける。

昔。氏の中にみこうまれ給へりけり。御うぶやに。みな人々歌よみけり。御おほぢのかたなりけるおきなのよめる。

 我もとに千尋あるかけをうゑつれは夏冬誰か隱れさるへき

これはさだかずのみこ。中納言ゆきひらのむすめのはらなる淸和の親王なり。時の人中將の子となんいひける。

むかし。おとろへたる家に藤の花うへたる人ありけり。いとおもしろうさけりけり。やよひのつごもり。雨のそぼふるに。人のもとにおりてたてまつるとて。

 ぬれつゝそしゐて折つる藤の花春は幾日もあらしと思へは

昔。左のおほゐまうち君いまそかりける。かも河のほとりに。六條をいとおもしろくつくりてすみ給ひけり。神な月のつごもりがたに。菊の花うつろひて。木くさのいろちぐさなるころ。みこたちおはしまさせて。さけのみあそびて。夜あけゆくまゝに。このとののおもしろきよしほむるうたよむに。そこなりけるかたいおきな。みな人によませはてゝ。いたじきのしたをはひありきてよめる。

 鹽竈にいつかきにけん朝なきに釣する舟はこゝによらなん

とよめるは。みちのくににいきたりけるに。あやしうおもしろき所々おほかりけり。わがみかど六十餘國のうちに。しほがまといふ所ににたる所なかりけり。さればなんかのおきなもめでてしかはよめるなり。しほがまうきしまのかたをつくりけるとなん。

昔。ふか草のみかどの。せり川のみゆきし給けるに。なまおきなの。いまはさることにげなく思ひけれど。もとつきにけることなれば。おほかた[たかイ]のたかがひにてさぶらひ給ひけるを。すりかりぎぬの袂に。鶴のかたをつくりてかきつけける。

 翁さひ雖年七十人なとかめそ狩衣けふはかりとそたつもなくなる 行平歟

おほやけの御きそくもあしかりけり。をのがよはひ思けれど。わかゝらぬ人きゝとがめけり。

昔。これたかときこゆるみこおはしけり。山ざきのあなたに水無瀨といふ所に宮ありけり。年ごとの櫻の花ざかりに。かしこへなんかよひ給ひける。その時むまのかみなりける人まいりつかうまつりければ。御供におくらかし給はで。つねにゐておはしましけり。なぎさの院の櫻。ことにおもしろくさけり。木のもとにおりゐて。枝をおりてかざしにさして。みな人歌をよむに。うまのかみなりける人のよめり。

 世中にたえて櫻のさかさらは春の心はのとけからまし

また人。

 ちれはこそいとゝ櫻はあはれなれ何か浮世に久しかるへき

むかし。おなじみこ交野に狩しありき給けるに。馬かみなりける人を。かならず御供にゐてありき給ひけり。れいのごとありき給ふに。この人かめにさけをいれて。野にもていでたり。のまんとてきよき所もとめゆくに。あまの河といふところにいたりぬ。むまのかみおほみきまいる。みこののたまひける。かた野をかりてあまの河にいたるを題にてうたよみて。さかづきさせとの給ひければ。よみてたてまつれり。

 狩くらし七夕つめに宿からんあまの河原に我はきにけり

ときこえければ。此うたをみこかへす詠たまうて。返しえし給はず。きのありつね御ともにつかうまつりたりけるが。かへし。

 一年にひとたひきます君まてなれ一本は宿かす人もあらしとそ思ふ

歸りて宮にいらせ給ぬ。夜ふくるまで酒のみ物語して。あるじのみこゑひていり給ひなんとす。十日あまりの月かくれなんとす。それにかのむまのかみなりける人のよめる。

 あかなくにまたきも月の隱るゝか山端逃ていれすもあら南

みこにかはりて。きのありつね。

 をしなへて峯もな一本ひらに成なら一本ん山端なくは月もかくれし

昔。みなせにかよひ給ふこれたかのみこ。れいのかりしありき給ひにけり。御ともにうまのかみなりけるおきなつかうまつれり。日比へて宮にかへり給ひけり。御をくりしてとくいなんとおもふに。おほみき給ひろく給はせんとて。つかはさざりければ。こゝろもとなくて。

 枕とて草引むすふこともせし秋のよとたにたのまれなくに

とよみければ。やよひのつごもりなりけり。みこおほとのごもらであかし給ひけり。かくしつゝまいりつかうまつりけるを。思ひのほかに御ぐしおろさせ給ひて。小野といふ所にすみ給ひけり。む月におがみたてまつらんとてまうでたるに。ひえの山のふもとなれば雪いとたかし。しゐてみむろにまうでておがみ奉るに。つれといと物がなしうておはしましければ。やゝ久しく侍らひて。いにしへの事など思ひ出て聞えさせけり。さてもさぶらひてしがなとおもへども。おほやけごともあればえさぶらはで。暮にかへるとてよめる。

 忘れてはつゝ古今夢かとそ思ふおもひきや雪ふみ分て君をみんとは

とよみてなん。なくかへりにける。

昔男有けり。身はいやしながら。はゝみこなりけり。その母なが岡といふ所にすみ給ひけり。子は京に宮づかへしければ。まうづとしけれどしばもえまうでず。ひとり子にさへ有ければ。いとかなしうし給けり。さるほどにしはすばかりに。とみのこととて御ふみあり。驚て見れば。ことことはなくて。

 老ぬれはさらぬ別も有といへはいよみまくほしき君哉

となん有ける。是を見て馬にものりあへずまいるとて。道すがらおもひける。

 世中にさらぬ別のなくもかな千世もとたのむなげく古今、いのる一本人の子のため

昔おとこ有けり。わらはよりつかうまつりける君。御ぐしおろし給ふてけり。もとの心うしなはじとて。む月にはかならずまうでけり。おほやけの宮づかへしければ。しばもえまいらざりけれど。心ざしばかりはかはらざりければまうでたるに。また昔つかうまつりし人のぞくなる。ほうしなる。まいりあつまりて。む月なれば。ことたべ[たつイ]とておほにぶき[みきイ]たまひけり。雪こぼすがごとくふりて。日ねもすにやまず。みな人ゑひて。雪にふりこめられたるを題にて。歌よまんといふに。

 思へとも身をしわけねはめはかれぬ雪のつもるそ我心なる

とよめりければ。みこいといたう哀がりて。御ぞぬぎて給へりけり。

むかし。いとわかきおとこ。わかき女をあひいへりけり。をのおや有ければ。つゝみていひさしてけり。年ごろへて女のかたより猶このこととげんといへりければ。男うたをよみてやれりけり。いかゞおもひけん。

 今迄に忘ぬ人は世にもあらしをのかさま年のへぬれは

といひてやみにけり。男女あひはなれぬみやづかへになんいでたり一本ける。

昔男。津の國むばらのこほりあしやの里にしるよしありて。いきてすみけり。むかしのうたに。

 蘆のやの灘の鹽燒いとまなみつけの小櫛もさゝてきにけり

とよめるは。この里をよめるなり。こゝをなんあし屋のなだとはいひけり。此男なま宮づかへしければ。それをたより。ゑふのすけどもあつまりきにけり。この男のあにもゑふのかみなりけり。その家の海のほとりにあそびありきて。いざこの山のうへにありといふぬのびきのたき見にのぼらんといひて。のぼりてみるに。そのたき物よりことなり。たかさ廿丈ばかり。ひろさ五尺一本餘ばかりある石のおもてに。しろききぬにいしをつゝみたらんやうになん有ける。さる瀧のかみに。わらふだばかりにてさし出たるいしあり。その石のうへにはしりかゝる水。せうくり一本かうじばかりのおほきさにてこぼれおつ。そこなる人にうたよます。このゑふのかみまづよむ。

 我世をはけふかあすかとまつかひの淚の瀧といつれ勝れり

つぎにあるじよむ。

 ぬき亂る人こそ有らめ白玉のまなくもちるか袖のせはきに

とよめりければ。かたへの人わらふにや有けむ。この歌をよみてやみけり。かへりくるみちとをくて。うせにし宮內卿もとよしが家のまへすぐるに日くれぬ。やどりのかたを見やれば。あまのいさりする火おほくみるに。このあるじのおとこよむ。

 はるゝ夜の星か河邊の螢かも我すむかたの蜑の燒火か

とよみて。みなかへりきぬ。そのよみなみの風ふきて。なごりのなみいとたかし。つとめてその家のめのこどもいでて。うきみるの浪によせられたるをひろひて。いゑにもとてきぬ。女がたより。そのみるをたかつきにもりて。かしはおほひて出したり。そのかしはにかくかけり。

 わたつ海のかさしにさすと祝ふもゝ君か爲には惜まさり鳬

ゐなかの人の歌にては。あまれりやたらずや。

むかし。いやしからぬ男。我よりはまさりたる人を思ひかけて年へにけり。

 人しれす我戀しなはあちきなくいつれの神になき名おほせん

昔。つれなき人をいかでと思ひ。戀わたりければ。哀とや思ひけん。さらばあす物ごしにてものばかりをいはんといへりけるを。かぎりなくうれしながら。またうたがはしかりければ。面白かりける櫻につけて。

 櫻花けふこそかくも匂ふともあな賴みかたあすのよのこと

といふ心ばへあるらし。

昔。月日のゆくさへなげく男。やよひの晦日に。

 おしめとも春のかきりのけふの日の夕暮にさへ成にける哉

むかし。戀しさにきつゝかへれど。女にせうそこもたせてもせて一本よめる。

 あし[へイ]こくたなゝしを舟幾そたひ漕歸るらんしる人なしに

昔おとこ。身はいやしながら。ふたつなき人を思ひかけたりけり。すこしたのみぬべきさまにやありけん。ふしておもひおきて思ひ思ひてよめる。

 あふな思ひはすへしなのめにけり一本なく高き賤き苦しかりけり

むかしもかゝることありけり。世のことはりにや有けん。

昔。二條の后宮につかうまつる男有けり。女のつかうまつれりけるを見かはしてよばひわたりけり。いかで物ごしにたいめして。おもひつめたることすこしはるけんといひければ。女いとしのびて物ごしに逢にけり。ものがたりなどして。おとこ。

 彥星に戀はまされり天のかはへたつる關を今はとめてよ

これををかしとやおもひけん。あひにけり。

昔おとこ有けり。女をとかういふこと月日へにけり。女岩木ならねば。いとほしうやおもひけん。やう思つきにけり。その比みな月のつごもりばかりなりければ。女かさもひとつふたつ身にいでたりければ。いひをこせたる。いまはなにのこゝちもなし。身にかさもひとつふたついできにけり。時もいとあつし。すこし秋風たてゝあはんといへりけり。さて秋まつほどに女のちゝ。その人のもとにいくべかなりときゝて。いひのゝしりてくせて[くぜちいでイ]きにけり。さりければ此女のせうと。にはかにむかへにきたりければ。女かえでのはつもみぢをひろひてかきをく。

 秋かけていひし中にはあらなくに木葉降しくえに社有けれ

とみせて。かしこより人をこせたらば。これをやれといひをきていぬ。さて後つゐによくてやあるらん。あしくてやあるらむ。いく所もしらでやみぬ。此おとこ。いみじうあまのさかてをうちてなんのろひをるなる。むくつけきこと。人のおもひは。をふ物にやあらん。今こそ見めとぞいひける。

昔。ほり川のおほいまうちぎみと申いまそかりけり。四十の賀九でうの家にてせられける屛風に。中將なりけるおきな。

 櫻花散かひまかへ老らくのこんといふなるみちまとふまてまとふやに一本、かふかに古今

むかし。をき[おほきイ]をとゞときこゆるおはしけり。つかうまつるおとこ。なが月ばかりに。さくらのつくりたるえだに。きじをつけて奉るとて。

 我たのむ君かためにとおる花は時しもわかぬ物にそ有ける

とよみてたてまつりたりければ。いとかしこがり給て。使にろくたまへり。

昔。右近のむまばのひをりの日。むかひにたてたりける車に。女のかほの。したすだれよりほのかに見ゆれば。中將なる人のよみてやる。

 見すも非すみもせぬ人の戀しく古今は綾なくけふや詠め暮さん

かへし。をんな。

 しるしらぬ何か綾なくわきて言む思ひのみ社しるへか一本けれ

むかし男。弘徽殿のはざまをわたりたりければ。あるやむごとなき人の御つぼねより。わすれ草をしのぶぐさとやいふとて。さしいださせ給へりければ。たまはりて。

 忘艸おふるのへとは見るらめとこは忍ふなり後もたのまん

むかしおとこ。みこたちのせうえうし給ふ所にまうでて。たつた河のほとりにて。

 千早振神代もしらぬたつた川からくれなゐに水くゝるとは

昔なまあてなる男のもとにごたち有けり。それを內記なる藤原のとしゆきといふ人よばひけり。此女かほかたちはよけれど。いまだわかゝりければにや。ふみもおさおさしからず。ことばもいひしらず。いはむやうたはよまざりければ。このあるじなりける人。ふみのあむをかきて女にかきうつさす。さてかへりごとはしけり。ことはいかゞ有けむ。めでまどひて男のよめりける。

 つれのなかめにまさる淚袖のみぬれ古今ひちて逢よしもなし

返し。れいのおとこ。女にかはりて。

 淺みこそ袖はひつらめ淚河身さへなかるときかはたのまん

といへりければ。男いたうめでて。ふみばこにいれてもてありくとぞいふなる。おなじ男。あひてのちふみをこせたり。まうでこんとするに。雨のふるになん見わづらひぬ。身さいはひあらば。この雨ふらじといへりければ。れいの男。女にかはりて。

 數々に思ひおもはぬとひかたみ身をしる雨は降そまされる

とてやりたりければ。みのかさもとりあへで。しとゞにぬれてまどひきけり。

むかし女。ひとの心をうらみて。

 風吹はとはに波こすいは一本なれや我衣手のかはく時なき

とつねのことぐさにいひけるを。聞をよびける男。

 宵ことに蛙のいたくなくなるは水こそまされ雨はふらねと

むかし男有けり。歌はたよまざりけれど。世中をおもひしりたりけるあてなる女の。あまになりて。世中を思ひくわう一本むじて。京にもあらず。はるかなる山ざとにすみけり。もとしたしかりしんぞくたり一本ければ。よみてやりける。

 背くとて雲にはのらぬ物なれと世の憂事そよそになるてふ

昔男ありけり。深草のみかどにつかうまつりけり。そのおとこあだなる心なかりけり。こゝろあやまりやしたりけん。みこたちのめしつかひ給ける人をあひしりにけり。さて朝にいひやる。

 ねぬるよの夢をはかなみまとろめはいやはかなくも成勝る哉

昔。ことなる事なくてあまになれる有けり。かたちをやつしたれども。物ゆかしかりけん。かものまつり見に出たるを男 歌を一本よみてやる。

 よを海の蜑とし人をみるからにめくはせよとも思ほゆる哉

昔男。かくてはしぬべしといひやりたりければ。女。

 白露はけなは消なんきえすとも玉にぬくへき人もあらしを

といへりければ。ねたしと思ひけれど。こゝろざしはいやまさりけり。

むかし男。友だちの人をうしなへるが許にいひやりけり。

 花よりも人こそあたに成にける孰れをさきに戀んとかみし

昔男。しのびてかよふ女有けり。それがもとより。こよひなん夢に見えつるといへりければ。おとこ。

 戀わひて思ひあまり一本出にしたまの有ならん夜深くみえはたま結ひせよ

むかし男。やんごとなき女に。なくなれりける人をとぶらふやうにていひやれる。

 古にありもやしけむ今そしるまたみぬ人をこふる物とは

をんな。返し。

 下紐のしるしとするもとけなくに語るかことは戀すそ有へき

昔男。ねんごろにいひちぎれる女のことざまに成にけるを。

 すまのあまの鹽燒けふり風をいたみ思はぬ方に棚引にけり

むかしおとこ。やもめにてゐて。

 長からぬ命のほとに忘るゝはいかにみしかき心なるらむ

昔男。久しくをともせで。わするゝ心もなし。まいらんといへりければ。女。

 玉かつらはふ木あまたに成ぬれは絕ぬ心のうれしけもなし

昔女。あだなる男の。かたみとてをきたる物どもをみて。

 形見こそ今はあたなれこれなくは忘るゝ時もあらまし物を

むかしいとわかき人にはあらぬこれかれともだちどもの月を見ける。それが中にひとり。

 大かたはあちきなく一本月をもめてし是そ此つもれは人の老となるもの

昔男。女のいまだ世にへずとおぼえたるが。人のもとにしのびて。ものきこえてのち。ほどへて。

 近江なるつくまの祭とくせなんつれなき人のなへの數みん

昔男。梅つぼより雨にぬ歟れて人のまか殿となりける一本てけ一本るを見て。

 鶯の花をぬふてふ笠もかなぬるぬる人にきせてかへさん

昔おとこ。ちぎれることあやまれる人に。

 山城の井手の玉水てにくみてたのみしかひもなき世成けり

かういへど。いらへず。

むかし男ありけり。ふかくさにすみける女を。やうあきがたにや思ひけん。ものへいでたちて。

 年をへて住こし宿を出ていなはいとゝ深草野とや成なん

女かへし。

 野とならは鶉となりて鳴をらんいきてとしはへん古今一本狩にたにやは君はこさらん

とよめりけるに。いでてゆかんとおもふ心うせにけり。

昔男。いかなる事を思ひけるおりにか一本ありけん。

 思ふこといはてそたゝにやみぬへき我と等しき人しなけれは

昔男。みやこをいかゞ思ひけん。ひんがし山にすまんとおもひ。いきて。

 住わひぬ今はかきりの山里に身をかくすへき宿もとめてん

なんどよみをりけるに。物いたうやみてしに入たりければ。おもてに水そゝぎなどしければ一本いきいでて。

 我うへに露そをくなる天の河とわたる舟のかひのしつくか よみ人しらす古今

といひてぞいき出たりける。まことにかぎりになりける時。

 つゐに行道とかねはて聞しかと昨日けふとは思はさりしを

とてなむたえいりにけり

此本高二位本。朱雀院のぬりごめにをさまれりとぞ。

伊勢物語可祕々々

這伊勢物語者。京極黃門定家卿息女。民部卿局之眞翰無疑者也。 寬文四〈甲辰〉初冬

冷泉左中將爲淸


右朱雀院塗籠御本伊勢物語一卷以森山孝盛所藏民部卿局眞跡本書寫一挍而雖假名遣不一樣誤字脫文亦不少不輙改之一依原本但衍文處々加爪印畢

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。