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ました。かうして興つた新しい學問を、國學といひます。

光圀は、早くこれに目をつけ、大阪の僧契沖が、古いことばにくはしいと聞いて、これに萬葉集の解釋を賴みました。その後、京都の荷田春滿、遠江の賀茂眞淵、伊勢の本居宣長らが、次々に出て、ますます國學の硏究を進めました。宣長は、寛政のころの人で、いはば、國學を大成した學者であります。

宣長は、學者の中に、支那を尊びわが國をいやしむものが多いのをなげき、日本の國がらが、萬國にすぐれてゐることを明らかにするため、多くの本をあらはしました。中でも名高い古事記傳は、古事記をくはしく硏究したもので、宣長は、これを作りあげるのに、三十餘年の長い年月を費やしました。質素な四疊半の書齋に閉ぢこもつて、夜となく晝となく著述にはげみ、つかれると、部屋のすみに