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神を色黑く鼻平しと思ひトラケー人はその神を碧眼赤髯なりと思へり」と。彼れはかゝる口吻をもて世人が神を人間の如く思ひなすを罵倒しき。謂へらく神は決して人間に類するものにあらず生まるゝことなく死することなく無窮より無窮に存在し常住不動なり。「人と神々との中にて最も大なる者なる唯一の神あるのみ、これは形に於いても思ひに於いても死すべき人間に似ず」。「彼れは凡べての物を照覽し凡べての物を思ひ凡べての物を聞く」。又曰はく「神は勞することなくして其の心の思ひを以て凡べての物を支配す」。「彼れは常に同じ塲所に止まり少しも動くことなし、今は此處今は彼處と其の所を移すは彼れにふさはしからず」と。

此の如き進步したる宗敎思想とミレートス學派に現はれたる一元的哲學思想とがクセノファネースに於いて相結合しきと見ゆ。アリストテレースのいふ所によればクセノファネースは全世界をただ一體なりと考へ而して此の一體を神と見たりしが如し。盖し其の意は、數多の世界あることなく唯だ有るものは眞實は一つなり、萬有即一、而して其の一なる者は動くことなし、是れ神なりと云ふにありしならむ。