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も他のスコラ學說とは大に其の趣を異にせり。そは其の敎說は一般人民の使用する言語を以て直接に一般の聽衆に訴ふる說敎壇上より吐露せられたる者にして所謂スコラ學者が當時の敎會の用語たると共に學者の用語たりし拉甸語を以て書籍にものせるとは同一ならず。又狹き意味に謂ふスコラ哲學と異なりて淵源の如何を問はず各自の宗敎的經驗を了解するに適せりと思はるゝものは廣く之れを攝入し殊に新プラトーン學派風の思想を吸收せる所甚だ多し。此の獨逸神祕學派は後には流れてバール(地名)の「神の友」と呼ばれたる輩の(異端視せられたる)說となり、又タウレル(Tauler 一三〇〇―一三六一)及びスーソー(Suso 一三〇〇―一三六五)の如き人々によりて繼續せられては通俗的說敎を主とするものとなりぬ。

《エックハルト、神性の自識。》〔一四〕こゝには神祕學說として最も注意すべき


エックハルト(Eckhart

の說を述べむ。彼れ以爲へらく、萬物の太原は想と物とを超絕したる能く名狀す可からざるもの、即ち無と名づくる外なきものなり。是れ即ち神性なり。而して