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に於ける根本思想は宇宙を支配する道即ち神の理法といふ觀念にして彼等は其の理法を知りて之れに從ふが人間の務むべき所なりと說けり。此派の格言に曰はく自然(φύσις)に從ひて生活せよと。茲に謂ふ自然は即ち理性の謂ひにして廣くは自然界に通ずる道、狹くは人間の性なり(人性の特殊なる所は其の理性に在り)。故にストア派の說く所に從へば性に率ふと云ふは天命(神即はち宇宙の理性)に從ふと云ふと同意義なり(吾人をして『中庸』に說ける所を思ひ出ださしむ)。而して性と云ひ道と云ひ神と云ひ自然といふも窮極する所道理を具へて働くもの即ち理性といふことに歸す。理性に從ふが理性を具ふる人間の自然の性なり、自衞の性は凡べての物のおのづから具ふる所吾人は此の自然の性に從ふべし而して人間の自衞の性は理性を守るに在り理性を守持するに與りて利あるもののみ眞に吾人に取りて價値あるものなり。さきにソフィスト時代に自然に從へといふ思想を觀たりしが其の自然といふ觀念がストア學派にはソークラテースの道德論の影響によりて理性と云ふ觀念と契合せり。盖し此の學徒はソークラテースに從うて有德の生活は知見の指揮に從ふ生活に外ならずと說きたるなり。