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際上大勢力を有したりしは却つて此等の三學派が各〻一方に偏して圭角ある倫理說を主張したるかたに在りき。此等の學派は偏僻に失せる所はあれど其の偏僻なることが却つて一種の勢力となれり。當時は一方より云へば諸種の學派が相競ひ相爭ひたる學派並立の時代ともいふべく、また新たなる大潮流の方より云へば倫理時代と稱すべし。

《此の時代の學風の二傾向。》〔六〕以上述べ來たれる理由により當時の哲學は倫理道德の實際的方面を其の硏究の主眼となし理論上の根本思想は槪ねこれを在來の學說に取り、ただ之れを當時の更に複雜になれる時世に適合せしめ之れを相混和し又多少變形せしむることに力を用ゐたり。當時の學風は、云はば分科的となりて一科々々の硏究には頗る細密となれる所あり、また之れと共に博覽といふ事が當時の一傾向となれり。約言すれば當時の學風には一方には在來の學術の歷史及び其の他の故實來歷の穿鑿又其のほか局部的事實の考究を事として博覽を競ふことと一方には安心立命の實際問題に著眼することとの二傾向あり。故に知識の方面より云へば諸種の事物の局部的穿鑿は盛んなれど大體に亘れる萬物の根本理を眞に達觀する大