れば、あるべき限は、敎をからざれども、おのづからよく知てなすことなるに、かの聖人の道は、もと治まりがたき國を、しひてをさめむとして作れる物にて、人の必有べきかぎりを過て、なほきびしく敎へたてむとせる强事なれば、まことの道にかなはず、故口には人みなこと〴〵しく言ながら、まことに然行ふ人は、世々にいと有がたきを、天理のまゝなる道と思ふはいたくたがへり、又其道にそむける心を、人慾といひてにくむも、こゝろえず、そも〳〵その人慾といふ物は、いづくよりいかなる故にていできつるぞ、それも然るべき理にてこそは、出來たるべければ、人慾も卽天理ならずや、又百世を經ても、同姓どち婚することゆるさずといふ制など、かの國にしても、上代より然るにはあらず、周の代のさだめなり、かくきびしく定めたる故は、國の俗あしくして、親子同母兄弟などの間にも、みだりなる事のみ常多くて、別なく治まりがたかりし故なれば、かゝる制のきびしきは、かへりて國の恥なるをや、すべて何の上にも、法の嚴きは、犯すものゝ多きがゆゑぞかし、さて其制は制と立しかども、まことの道にあらず、人の情にかなはぬことなる故に、したがふ人いと〳〵まれなり、後々はさらにも