297
瞿曇の弟子は常に覺醒せり、彼等の晝夜常に念ずる所は法にあり。
298
瞿曇の弟子は常に覺醒せり、彼等の晝夜常に念ずる所は僧にあり。
299
瞿曇の弟子は常に覺醒せり、其の心晝夜常に身念に住して。
300
瞿曇の弟子は常に覺醒せり、其の心晝夜常に不害を樂みて。
301
瞿曇の弟子は常に覺醒せり、其の心晝夜常に修習を樂みて。
302
出家は難く、〔世を〕樂むは難く、庵〔住〕は難、在家〔住〕は難く、同輩と棲むは難く、旅人は難に陷る、されば旅人たるなく、難に陷るなかれ。
303
信ありて戒德を具有し、名と富とを有てるものは、其の選ぶ所に隨ひ、隨所に恭敬せらる。
304
善人は遠く現はるること、雪山の如く、不善者は世に顯はるることなき、猶ほ夜陰に投ぜる箭の如し。
305
獨坐・獨臥・獨經行して倦むことなく、獨り己を制して林邊に樂しむものたれ。
(1) 「愛は人を生む」と云ふ句よりして愛を母と云ひ、「我は某なる王の子、某なる大臣の子なり」と云ひ、父によりて我慢の心起る,よりて我慢を父と云ふ、兩刹利王とは斷見常見の二、國土とは十二處、而して依屬とは十二處附隨の諸煩惱を云ふ。 (2) 兩婆羅門王とは斷常の二見、虎類とは此處にては疑藎を指すと註解書に釋せり。 (3) 瞿曇又は喬答摩は釋迦族の姓なるが故に、釋尊を時には瞿曇佛と呼びたり。
泥犂品第二十二