Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/164

提供:Wikisource
このページは校正済みです

 「ぬしやたれ山のすそ野に宿しめてあたりさびしき竹のひとむら」。

日は入りはてゝ、なほものゝあやめもわかぬほどに、わたうどとかやいふ所にとゞまりぬ。

廿二日のあかつき、夜ふかく有明のかげに出でゝ行く。いつよりもものかなし。

 「住みわびて月の都をいでしかどうき身はなれぬありあけのかげ」

とぞ思ひつゞくる。供なる人、有明の月さへ笠きたりといふを聞きて、

 「たび人のおなじみちにや出でつらむ笠うちきたるありあけの月」。

たかしの山もこえつ。海見ゆるほど、いとおもしろし。浦風あれて、松のひゞきすごく、浪いとたかし。

 「わがためや浪もたかしの濱ならむ袖のみなとのなみはやすまで」。

いとしろき洲崎に、くろき鳥のむれ居たるは、うといふ鳥なりけり。

 「しら濱にすみの色なるしまつ鳥ふでもおよばゞゑにかきてまし」。

濱名の橋より見わたせば、かもめといふ鳥、いとおほく飛びちがひて、水のそこへも入る。岩のうへにもゐたり。

 「かもめゐる洲崎の岩もよそならず浪のかけこすそでにみなれて」。

こよひは、ひくまのしゆくといふ所にとゞまる。こゝのおほかたの名をば、濱松とぞいひし。したしといひしばかりの人々なども住む所なり。住みこし人のおもかげも、さまざま思ひ出でられて、又めぐり逢ひて見つるいのちのほども、かへすがへすあはれなり。