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けぼのに、守山を出でゝ行く。やす川わたるほどさきだちて行くたび人の、こまのあしのおとばかりさやかにて、霧いとふかし。
「たび人はみなもろともに朝立ちてこまうちわたす野洲の川ぎり」。
十七日の夜は、小野のしゆくといふ所にとゞまる。月出でゝ、山の峯に立ちつゞきたる松の木のま、けぢめ見えていとおもしろし。こゝは夜ぶかき霧のまよひにたどり出でつ。さめがゐといふ水、夏ならばうち過ぎましやと思ふに、かちびとは、猶立ちよりて汲むめり。
「むすぶ手ににごるこゝろをすゝぎなばうき世の夢やさめが井の水」
とぞおぼゆる。
十八日〈三字イ無〉、美濃のくに關の藤川わたるほどに、まづ思ひつゞけゝる、
「わが子ども君につかへむためならでわたらましやは關のふぢ川」。
不破の關屋のいたびさしは、今もかはらざりけり。
「ひまおほき不破の關屋はこのほどの時雨も月もいかにもるらむ」。
關よりかきくらしつる雨、時雨に過ぎてふりくらせば、道もいとあしくて、心より外に、笠縫のうまやといふ所に、暮れはてねどとゞまる。
「たび人はみのうちはらふゆふぐれの雨にやどかるかさぬひの里」。
十九日、又こゝを出でゝ行く。よもすがらふりける雨に、平野とかやいふほど、道いとわろくて、人かよふべくもあらねば、水田の面をぞさながらわたり行く。明くるまゝに、雨はふらず