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あづまに下る。大かたふるき御世よりつかへきて年もたけたるうへ、この頃は天下にいさぎよくうべうべしき人に思はれたる頃なれば、この事更に御門のしろしめさぬよしなどけざやかにいひなすに、荒きえびすどもの心にもいと忝き事となごみて、ぶいなるべく奏しけり。此の御使の賞にや宣房、大納言になされぬ。いといみじきさいはひなり。親は三位ばかりにて入道してき。子どもなどさへいと淸げにてあまたあめり。さればおほやけはしろしめされぬにても、かの人々は遁るべき方なしとて別當は佐渡國へながされぬ。俊基はいかにして遁れぬるにか都へかへりぬれど、ありしやうには出でつかへず籠り居たるよしなり。かやうにて事なくしづまりぬればいとめでたけれど、うへの御心のうちは猶安からず、いかならむ時とのみおもほしわたるべし。月日程なくうつりゆきて嘉曆元年にはなりぬ。やよひのはじめつ方より春宮例ならず坐しまして日々におもらせ給ふ。さまざまの御修法どもはじめ御祈なにやかやと伊勢にも御使たてまつらせ給へど、かひなくて三月二十日遂にいとあさましくならせ給ひぬ。宮の內火をけちたる心ちしてまどひあへり。御めのとの對の君といふ人夜晝御傍さらずさぶらひなれたるに、いみじき心まどひ誠にをさめがたげなり。かぎりと見え給ふ御顏にさしよりて、「かくのこりなき身を御覽じすてゝは、えおはしましやらじ。今一度御聲なりとも聞かさせ給ひて、いづ方へも御供にゐておはしましてよ」と聲も惜まずなき入り給へるさまいとあはれなり。すべて宮の內とよみかなしぶさまいはむかたなし。永嘉門院は御子もおはしまさねば年月このみやを故院聞えつけさせ給ひしかば、今もひとつ院に