Page:Kokubun taikan 07.pdf/701

提供:Wikisource
このページは校正済みです

てその夜とまり給へるもしろしめさで、夜うち更けて少し驚かせ給ひて、「春宮はいつかへり給ひぬるぞ」との給ふに、うちこわづくりて近く參り給へれば、「未だおはしましけるな」とて、いとらうたしとおぼされたる御氣色あはれなり。大方のけしき院の內のかいしめりたるありさまなど、よろづおぼしめぐらすに、いと悲しき事多かれば、宮うちなき給ひぬ。御心ぼそういみじとのみおぼさるゝに、正中元年六月廿五日終にかくれさせ給ひぬ。御年五十八にぞならせ給ひける。後宇多院と申すなるべし。御門又御服たてまつる。あけくれねんごろにけうじ奉り給ふさまいとかたじけなし。御母の皇后宮ときこえし今は達智門院と申すも、まいて一所をのみ賴み聞えさせ給へるに、心ぼそういみじとおぼし歎く事かぎりなし。むかしの內侍のかんの殿院號ありて、萬秋門院ときこゆるも、故院の御かげにてのみ過ぐし給へれば、より所なくあはれげなり。御四十九日は八月十日あまりの程なれば、世の氣色何となくあはれおほかるに、女院宮だちの御心のうちども、朝霧よりもはれまなし。十五夜の月さヘかきくもれるに、故院の御位の御時に、宰相典侍とてさぶらひしは、雅有の宰相のむすめなり。その世のふるき友なれば、おなじ心ならむとおぼしやるも、むつまじくて、萬秋門院のたまひつかはす。

  「あふぎみし月もかくるゝ秋なればことわりしれどくもるそらかな」。

いとあはれに悲しと見奉りて、御かへし、宰相典侍、

  「ひかりなき世はことわりの秋の月なみだそへてやなほくもるらむ」。