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におはしましつるを中の院いかなるたよりにかほのかに見奉らせ給ひて、いと忍び難くおぼされければ、とかくたばかりて盜み奉らせ給ひて冷泉萬里小路殿におはします。またなく思ひ聞えさせ給へる事かぎりなし。正安二年正月三日御門御元服し給ふ。今年十三にならせ給へば御行く末はるかなる程なり。又の年む月の頃、內侍所の御しめのをり給へるはいかなるべき事にかなど忍びてさゝめく程こそあれ、東よりの御使のぼるとてまことの中さわぎて禪林寺殿みたてまつり給ふ世にとや、正月廿一日春宮御位に即かせたまひぬ。おりゐの御門御年十四にて太上天皇の尊號あり。いときびはにいたはしき御事なるべし。僅に三とせにておりさせ給へれば何事のはえもなし。この春は春日社に御幸などあるべしとて世の中まだきよりおもしろき事にいひあへりつるも、かいしめりていとさうざうし。さてこの君を新院と申せば父の院をば中院ときこゆ。御門の御父は一の院と申す。法皇もこの頃一所におはしますなめり。一院世の政事聞しめせば天下の人又おしかへし一かたになびきたる程もさもめの前に移ろひかはる世の中かなとあぢきなし。土御門の前の內のおとゞ定實、六月に太政大臣になり給ふいとめでたし。故大納言入道顯定の本意なかりし御おもておこしたまへるいとゆゝし。院の御おぼえの人なるうへ、ざえもかしこくおはすれば世に用ゐられ給ヘり。御子の大納言雅房中納言親定とていづれも才ある人にておはしき。持明院殿には世の中すさまじくおぼされて伏見殿に籠りおはしますべくのたまへれど、二の御子坊にさだまり給へば又めでたくてなだらかにておはしますべし。先に聞えつる御母女院の御はらからの姬