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とかたらひ申し給ひければ、さやうにもとおぼして女院にもほのめかし申させ給ひけるを、「いとあるまじき事」とのみ諫め聞えさせ給ふ。その冬のころ、宮いたう忍びて石淸水の社に詣でさせ給ひ、御念誦のどかにし給ひて少しまどろませ給へるに、神殿の內に「椿葉のかげ二たびあらたまる」と、いとあざやかにけだかき聲にてうちずんじ給ふと聞きて御覽じあけたれば、明方の空すみわたれるに星のひかりもけざやかにていと神さびたり。いかに見えつる御夢ならむと怪しくおぼさるれど、人にものたまはず、とまれかくもあれといよいよ御學問をぞせさせ給ふ。年もかへりぬ。春のはじめはおしなべて、ほどほどにつけたる家々の身の祝ひなど心ゆきほこらしげなるに、む月の五日より內の上例ならぬ御事にて、七日の節會にも御帳にもつかせ給はねば、いとさうざうしく人々おぼしあへるに、九日の曉かくれさせ給ひぬとてのゝしりあへるいとあさましともいふばかりなし。皆人あきれまどひて中々淚だにいでこず。女御もいまだ童あそびの御さまにて何心なくむつれ聞えさせ給へるに、いとうたていみじければ、うちしめりくんじて居給へるいとをさなげにらうたし。大殿の御心のうち思ひやるべし。御せうと〈左大臣たゞいへ〉の若君も殿上したまへる、唯御門のおなじ御ほどにて、さわがしきまでの御遊のみにて明しくらさせ給ひけるに、かいひそみて群りゐつゝ鼻うちかみうち泣く人より外はなし。かくのみあさましき御事どものうち續きぬるは、いかにもかの遠き浦々にて沈みはてさせ給ひにし御なげきどものつもりにやとぞ世の人もさゞめきける。御惱みの始めもなべてのすぢにはあらず、あまりいはけたる御遊よりそこなはれ給ひに