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おはしけるが、三河のかみになりて國へ下り給ひけるに、類ひなくおぼえける女を具しておはしける程に、女みまかりにければ、悲しびのあまりにとりすつることもせでなりまかるさまを見て心をおこして、やがてかしらおろして、都にのぼりて物など乞ひありきけるに、もとの妻にてありける女「われを捨てたりしむくいに、かゝれとこそ思ひしにかく見なしたること」など申しければ、「御とくに佛になりなむ事」とて、手をすりて喜びけると傳へ語り侍る。さて內記のひじりを師にし給ひて、ひんがし山の如意寺におはし、橫河にのぼりても、源信僧都などに深き御法の心汲みしり給ひて、惟仲の平中納言の北白川にて六十卷講じ給ひけるには、覺運僧都まだ內供におはしける時講師せさせ給へり。この三河の入道は讀師とかやにてこそは、法華經の心說きあらはせるふみも、點じしたゝめて、そこばくの聽衆ども居なみて、おのおのよみしたゝめられ侍りけり。かくて後にぞ、山三井寺の僧たちもやすらかによみ傳へたまふなる。遂にから國におはしてもいひしらぬことゞもおはしければ、大師の御名得給ひて、圓通大師とこそきこえ給ふめれ。かくれ給ひけるに佛むかへ給ひ、樂のおと聞こえければ、それにも詩つくり歌よみなどし給ひけるも、もろこしより送り侍りける。

  「笙謌ハルカニ聞コユ孤雲ノウヘ、聖衆來迎ス落日ノマヘ」

とつくり給へり。歌は、

  「雲の上に遙に樂の音すなり人やきくらむひが聞〈耳イ〉かもし」

とよみたまへりけると聞こえ侍りし。

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