Page:Kokubun taikan 07.pdf/483

提供:Wikisource
このページは校正済みです

とよみたまひけるを、めのとは常に語りつゝこひかなしみける。この大將殿、帝のうまご、宮の御子にてたゞ人になり給へる、此の世には、めづらしく聞きたてまつるに、なさけ多くさへおはしける。いとありがたくきこえたてまつりしに、まださかりにて雲がくれたまひにけむ、いと悲しくこそ侍れ。かの花園も雲けぶりとのぼりて、あとさへ殘らぬと聞き侍るこそあはれに心うけれ。そのわたりに詣で通ひける人、

  「いづくをか形見ともみむ夜をこめてひかり消えにし山のはの月」

三のみこの御子には、また信證僧正とて仁和寺におはしき。鳥羽の院御ぐしおろさせ給ひし時、御戒師におはしき。また山にも僧都の君などいひて聞こえ給ひき。一定〈言イ〉にもなかりしにや、院よりおほい殿に尋ね申させ給ひけるとかや。御むすめはおほい殿の一つ腹に、伊勢のいつきにて下り給へりき。後は伏見の齋宮と申しゝこれにやおはすらむ。又行宗の大藏卿の女のはらに、齋院もおはするなるべし。此の比むそぢなどにや餘り給ふらむ。そのいつきにおはせし比、おほい殿、本院に有栖川のもとの櫻のさかりなりけるにおはして、歌などよみ給ひけるに、女房の歌とて、

  「散る花を君ふみわけてこざりせば庭のおもてもなくやあらまし」

とぞきこえし。

     はらばらの御子

きさいの宮、女御更衣におはせねど、御子うみたてまつり給へるところどころ、近き御代に