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きゝ待りし。良賴の中納言のむすめの腹のきんだちなり。女御も同じ御はらからにおはす。又そのはらに平等院の僧正行尊とて、三井寺におはせしこそ、名高き驗者にておはせしか。少阿闍梨など申しける折より大峯葛城はさることにて、遠き國々山々など久しく行ひたまひて、白河の院鳥羽の院うちつゞき護持僧におはしき。仁和寺の女院の女御まゐりにや侍りけむ、御ものゝけ其の夜になりておこらせ給ひて、俄に大事におはしましけるに、この僧正祈り申し給ひければ、程なくをこたらせ給ひて、御車にたてまつりて、出でさせ給ひにけるあとに、ものつきにものうたせてゐさせ給へりけるこそ、いとめでたく侍りけれと傳へうけ給はりしか。僧正歌よみにおはして、代々の集どもにも多くいりたまへるとこそきゝ侍れ。笙のいはやにて、

  「草のいほを何露けしと思ひけむもらぬいはやも袖はぬれけり」

などよみ給へり。傳へきく人の袖さへしぼりつべくなむきこえ侍る。大峯にて後冷泉の院うせさせ給ひて、世のうきことなど思ひみだれてこもりゐて侍りけるに、後三條の院くらゐに即かせ給ひてのち、七月七日まゐるべきよし仰せられければ、よめる、

  「もろともにあはれと思へ山ざくら花よりほかにしる人もなし」

などよみ給へり。歌よまざらむはほいなかるべき事なるべし。いとゞ御心もすみまさり給ひけむかし。手かきにもおはして、かなの手本など世にとゞまり侍るなり。ことはらばらにも、勸修寺僧正、光明山の僧都など申しておはしき。その女御の御はらに、御子あまたおはしき。