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のうた詠じてたちにけるとなむ。二位大納言の宰相におはせしにかはりて、孝善が、「ひくてもたゆくながき根の」とよみとゞめ侍るぞかし。永長元年八月七日、かくれさせ給ひにき。その年おほ田樂とて、都にも道もさりあへず、神の社々、この事ひまなかりける、御事あるべくてなど世に申しける。この御ことを、白河の院なげかせ給ふこともおろかなり。これによりて御ぐしおろさせたまへり。あさましなど申すもおろかなり。御めのと子の、まだ若くて廿一とか聞こえしも、法師になり侍りし。かなしさはことわりと申しながらも、わかきそらにいとあはれに、ありがたき心なるべし。日野といふところにすむとぞきゝ侍りし。次のとしの秋、むかしの御事思ひ出でゝ、そのとものぶの大とこ、

  「かなしさに秋はつきぬと思ひしをことしも蟲のねこそなかるれ」

とよみて、筑前の御とて、伯の母ときこえしがもとに、つかはしたりければ、筑前かへし、

  「蟲のねはこの秋しもぞなきまさるわかれのとほくなる心ちして」

と侍りしを、金葉集にはきゝあやまりたるにや、かきたがへられてぞ侍るなる。六條の院に御堂たてさせ給ひて、昔おはしましゝやうに、女房さぶらひなど、かはらぬさまに、いまだおかれ侍るめり。御かなしみ、むかしもたぐひあれど、かゝること侍らず。御庄御封などよにおはします樣に、しおかせ給へれば、すゑずゑのみかどの御時にも、改めさせ給ふことなくて、この比も、さきの齋宮傳へておはしますとぞきこえさせ給ふめる。

     ありす川