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と、源と平とを、たいしたるやうにぞ聞こえし。同じ折に殿上したりける人のことなるべし。その平氏の子ども、二人ならびて藏人になりなどせしも、平氏のおほきおとゞは、白河院の御時は、非藏人などいひて、院の六位の殿上したりしかども、うるはしくはなさせ給はで、かうぶり給はりて、兵衞の佐になりたりしも、藏人は、なほかたきことと聞こえ侍りき。さて又かの宇佐の使に下られし兵衞の佐は在方と聞えし人の聟なりしが、心ざしやなかりけむ離れにしかば、いとくちをしくて、なほ御きそくにて、ふたゝびまで、とりよせたりしかども、え住み果てざりしかば、世に歌にさへうたひてありしを、院の御めのと子の、帥の子なれども、ふたゝびまで、床さりたるあやまりにや、國の司なりしをもとらせ給ひて、ふる里のせうとに、天の橋立もわたりにしは、かの宮內卿平氏の、むこになれりしいとほしみの、殘れるなるべし。そのふる里に、住みわたる人ときこえしも、世の中によめる歌など、きこえ侍りき。歌は忘れておぼえ侍らず。


今鏡第五

    ふぢなみの中

     みかさの松

近くおはしましゝ法性寺のおとゞは、富家の入道おとゞの御子におはします。御母六條の右