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生み奉り給へるも、おなじさまなれば、まめやかに口をしうおぼしめしたれど、さすが、いかゞはせむにておはしますなるべし。姉宮をば宇治のきさき、御子おはしまさぬにあはせて、大きおとゞの御心とゞむとにや、この宮にむかへ申させたまひて、養ひ申させ給ふ。のちに生まれさせ給へるをば、院にみづから養ひたてまつり給ふ。御母きさき、しばしはあの御方など申しておはしましゝ程に、三位のくらゐそへさせ給ひて、この御事をのみ類ひなき御もてなしなれば、世の人ならびなく見たてまつれるに、又たゞならぬ事おはしませば、此の度さへうちつゞかせ給はむも口をしき上に、おぼしめしはからふ事やあらむ、をとこ宮生みたてまつり給ふべき御祈り、いひしらず營ませ給ふ。石淸水に般若會などいひて、山三井寺などのやんごとなき智惠深き僧ども參りゐて、日ごろ法文のそこをきはめて行はせ給ふ。帥の中納言といふ人、御後見にて都の事も大事なれど、かの宮に日ごろ籠もりて、御かはりにや、日每に、束帶にて御講もよほし行はれけるを、われもわれもと御法ときて、祈り申されける中に、忠春とか聞こえしが、「鼇海の西にはうみの宮、御產平安たのみあり。鳳城の南には男山、皇子誕生疑ひなし」と申したりけるとなむ聞き侍りし。奈良の濟圓といひし僧都、さきの日このこゝろをしたりけるにめでたしなど聞こえけるを、山に忠春己講と聞こえしが、後の日、かやうにむすびなしていひける。とりどりにえも云はずなむきこえ侍りける。はての日は、上達部引きつれまゐりて、御布施とり御神樂などせらる。上達部歌も笛も、おのおの心をつくして、淸暑堂のやうなり。かうに云ひ知らぬ御祈りども有りける程に、保延五年にや