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り。舞人樂人などは、殿上人中少將さまざま左右のしらべし給ひき。童舞三人、胡飮酒、陵王、納蘇利なむ侍りける。その中に胡飮酒は源氏の若君なむ舞ひ給ひし。袖ふり給ふさま、天童の下りたる樣にて、此の世の人のしわざともなく、めもあやになむ侍りける。御ぞかづけ給へるをば、御おやの大納言とて、太政のおほい殿おはせしぞ、とりて拜し給ひける。その若君は中の院の大將と聞こえ給ひしなるべし。

     つりせぬうらうら

此の御時ぞ、昔のあとを起こさせ給ふ事は多く侍りし。人のつかさなどなさせ給ふ事も、よしありて、たはやすくもなさせたまはざりけり。六條の修理大夫顯季といひし人、世のおぼえありておはせしに、敦充といひし博士の「など殿は宰相にはならせ給はぬぞ。宰相になる道は七つ侍るなり。中に三位におはすめり。又いつ國治めたる人も成るとこそは見え侍れ」といひければ「顯季も、さおもひて、御氣色とりたりしかば、それも物かくうへの事なりと仰せられしかば、申すにもおよばでやみにき」とぞいはれ侍りける。また顯隆の中納言といひし人、世にはよるの關白など聞こえしも「辨になさむと思ふに、詩つくらではいかゞならむ。四韻詩つくる者こそ辨にはなれ」と仰せられければ、おどろきて好みなどせられけり。殊に明らかにおはしまして、はかなき事をも、はえばえしく感ぜさせ給ふ。又やすき事をもきびしくなむおはしましける。いづれの山とか。御祈りの賞行はむとおぼされけるに、たゞ御布施ばかり給はむは、懇におぼしめす本意なかるべし、阿闍梨など寄せおかむこそかひある