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ちくれふりき。つとめて見しかば屋の上にふりつもれりき。同八年冬雨もふらずして世の中の井の水みな絕えて宇治川の水既に絕えなむとする事侍りき。十二月に百川が夢に、鎧兜を着たるもの百餘人きたりてわれをもとむとたびたび見えき。又御門東宮の御夢にも、かやうに見えさせ給ひてなやましくおぼされき。これ皆井上の后長部の親王の靈と思して、御門深く憂へ給ひて諸國の國分寺にて金剛般若を讀ましめさせ給へりき。同九年二月に長部の親王いまだ世におはすといふことを、ある人御門に申しき。御門この親王を東宮にかへし立てむの御心もとより深かりしかば、人を遣して見せしめ給ひしに、百川御使を呼びよせて「汝あなかしこまことを申すことなかれ。もし申しては國は傾きなむずるぞ。やすく生けらむものと思ふな」といひしかば、この御使おぢわなゝきながら、行きて見るに、うせ給ひにきと聞え給ひし長部の親王はいさゝかのつゝがもなくておはするものか。あさましく思ひながらこの使かへり參りて百川におぢ恐りて「ひが事に侍り。あらぬ人なり」と申しゝを、親王の乳母仕うまつり人集り參りて御使とかたみに爭ひ申すに、御使ちかごとを立てゝ「若し僞れることを申さば二つの目ぬけおち侍るべし」と申しゝかば人みなひが事と思ひて親王をおひうて申して後、いくばくのほどもなくてその御使の目二つながら拔け落ち侍りにし、あらたにあさましく侍りし事なり。十月に東宮伊勢太神宮へ參り給ひき。過ぎぬる春の比御病重くてさまざまにせさせ給ひしかども、そのしるしなかりき。その時の御願にてをこたり給ひて後まゐらせ給ひしなり。今年とぞおぼえ侍る、傳敎大師大安寺に行表と申しゝ僧の弟子にな