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  「日のひかりいでそふ今日のしぐるゝはいづれのかたの山邊なるらむ」。

きさいの宮の御かへし、

  「しらくものおりゐるかたやしぐるらむおなじみ山のひかりながらに」などぞきこえ侍りし。院は數月綾綺殿にこそはおはしましゝか。後には少し悔いおぼしめす事ありて、位にかへり即かせ給ふ御いのりなどせさせ給ひけりとあるはまことにや。御心いとなまめしくおはしましゝ、御心ち重くならせ給ひて、太皇太后宮のをさなくおはしますを見奉らせ給ひて、いみじくしほたれさせ給ひて、

  「くれ竹のわが世はことになりぬともねはたえせずぞなほなかるべき」。

誠に悲しくあはれにこそ承はりしか。村上の御門はた申すべきならず。なつかしうなまめきたる方は延喜にもまさり申させ給へりとこそ人まうすめりしか。「我をば人はいかゞいふなる」と人に問はせたまひけるに「ゆるになむおはしますと世には申す」と奏しければ、「さてはほむるなり。王のきびしくなりなば世の人いかゞたへむ」とこそ仰せられけれ。いとをかしうあはれに侍りし事は、この天曆の御時に淸凉殿の御前の梅の木の枯れたりしかば、もとめさせ給ひしに、なにがしのぬしの藏びとにていますかりし時うけたまはりて、「若きものどもはえ見知らじ。きんぢもとめよ」とのたまひしかば、ひと京罷りありきしかども侍らざりしに、西の京のそこそこなる家に、色濃く咲きたる木のやうだい美しきが侍りしをほりとりしかば、家あるじの、「木にこれゆひつけ候ひてもて參れ」といはせたまひしかば、あるや